タカラヅカの思い出とこんにゃく焼き
1990年、中学2年生。
母に誘われて、私は日比谷にある東京宝塚劇場に初めて足を踏み入れた。
敷き詰められた絨毯。
華やかな観客の装いと香水の香り。
これから始まるひと時を心待ちにする人々の高揚感。
重い扉を開けると、少し涼しくて凛とした空気に包まれる。
買ったばかりのパンフレットをそっと開く。
やがて開演を知らせる鐘がなり、低い声の主演の人らしい声が場内に響く。
「皆様、ようこそお越しくださいました。星組の日向薫でございます」
気持ちがどんどんあがってゆく。
この日の宝塚歌劇団星組の演し物は「アポロンの迷宮」(小池修一郎演出)と「ジーザス・ディアマンテ〜夢の王の夢」(草野旦演出)。
ぼろぼろになるまで、幾度もパンフレットを開いていたので、タイトルはおろか、顔も名前もなんならセリフも、今も覚えている。
20世紀初頭のフランスを舞台に、義賊のような怪盗アポロン(ジャン=ポール・バラン)が、仲間とともに王女を助ける話。
後半は華やかなショー。
絢爛豪華な夢のような舞台はあっという間に終わってしまった。
閉園を告げる「すみれの花が咲く頃」というタカラヅカの代名詞ともいえる歌が流れる中、しばらく熱に浮かされたようになっていた。
舞台にはひげの洒脱なおじさんや10代の少年少女もいて、男の人も出るんだ、とか、子どもたちはこんな舞台に出られていいなぁ、などと思っていたら、全員大人の女性の団員であった。
だから、おじさん好きな私はしばらく、そのひげの人を追いかけていた。
当時の星組副組長、一樹千尋(いつき・ちひろ)さんだった。
帰宅すると、母はさっそく宝塚歌劇団が出している2種類の雑誌「歌劇」(文章中心)と「宝塚グラフ」(写真中心)を定期購読してくれて、公的な劇団ファンクラブ「宝塚友の会」にも入会。
それから宝塚歌劇団には約5、6年、どっぷりと浸かったのであった。
チケットはいつも電話で取っていて、「ジャンゴーン、この電話は大変混み合って、かかりにくくなっております」の声が聞こえた瞬間、リダイヤルしてかけ続け、ついに「プルル」と呼び出し音が鳴ったときの喜びといったらなかった。
思い入れがあるのは、初めて出会った星組。
次いで、母が個人のファンクラブにも入っていた安寿ミラさん率いる花組。
安寿ミラさんはダンスがうまく、準トップだった真矢みきさんと共にヤンミキコンビと言われて人気があった。
タカラヅカといえばの大階段での燕尾服ダンスも、花組は群を抜いてキレがよく、かっこよかった。
※安寿ミラさんは、現在振付師ANJUとして活躍中。
最終的には母と一緒に観に行っていた安寿さんが阪神・淡路大震災のあった1995年に退団すると、私自身のタカラヅカへの熱も冷めていき、今度は退団者が出演する東宝ミュージカルや小劇場へと関心は移行していった。
あとから聞けば、母方の祖母は八千草薫さんの宝塚歌劇団時代からのファンだったらしいし、母もやはり娘時代にはまっていたらしいので、宝塚歌劇団というのは、そうやって代々受け継がれる側面もあるのかも知れない。
私の世代の親戚では、私と従姉妹がはまっていて、従姉妹は受験用の教室に通うほどであった。
ファン歴が長くなると、兵庫県にある宝塚歌劇団の本拠地にも行きたくなるというもの。
ファンの間では宝塚歌劇団の本拠地は通称で「ムラ」と呼ばれている。
ムラは、養成所である宝塚音楽学校もあり、創立者の小林一三さんの銅像もあり、ファンには聖地のようなものではないだろうか。
ピンクの屋根と白壁でてきた巨大な城のような宝塚歌劇団の本拠地は、隣にはホワイトタイガーで有名なファミリーランド(現在は閉園)、大きな川と山に囲まれたところにあり、出待ちすると動物園の匂いが漂う、牧歌的な雰囲気もあった。
劇場を一歩入ると、一気に歌劇の世界に染まる。
赤い絨毯と金の手すりのついた大きな階段は、非日常の世界に気持ちを切り替えるのに十分だった。
ここには、いつも夜行バスで母と通った。
夜出発すると、朝6時に大阪に着く。早朝の喧騒感や、夜の気だるさの残るバスターミナルを出て、梅田駅から阪急電鉄で宝塚駅へ。
「すみれの小径」と名付けられたプロムナードは、もはや宝塚関係者しか歩いていないのではないかと思われた。
初めて「ムラ」に行った日。
私と母は、帰りに、劇場からほど近い鉄板焼屋さんに入った。
おばちゃん数人で切り盛りしていて、常連さんらしいおじさんたちや、宝塚観劇後の人たちが狭い店内にギュウギュウしていた。
壁を見ると、歴代のタカラヅカスターの色紙や写真、千社札がびっしり。

タカラヅカの生徒さん(とファン)は
それぞれ自分の千社札を持っている
画像は宝塚駅西口の文具店「朝日屋」ホームページより
ここで、私と母は何品か頼んで食べたはずなのだけど、初めての本場での観劇で胸いっぱいで、最後に頼んだこんにゃく焼きのことしか覚えていない。
九条ねぎがこれでもかと載ったこんにゃく焼きは、しょうゆが焦げて香ばしく、あとにも先にも、こんなにおいしいものは食べたことがない。
なんども自宅での鉄板焼の度に、あの味を再現しようと思うのだけど、一度たりともあの味にはたどり着けないでいる。
タカラヅカの生徒さん方(※)にも愛された店なので、こんにゃく焼きはきっと多くのスターを生んだに違いないのだ。
※歌劇団の初舞台を踏んだ人は在団している限り研究科もしくは専科に所属し、生徒と呼ばれる。
店主のきっぷのいいおばちゃんはもうあれから30年も経って、かなりのご高齢か、もしかしたらもうおられないかもしれない。
もう一度食べに行きたかった。
それだけが、心残りだ。
長い期間の生徒さんたちの厳しい鍛錬によって、歌と踊りが完璧なまでに完成された絢爛豪華な舞台。
清く正しく美しい、タカラヅカ。
けれども私のタカラヅカの思い出のなかには、舞台の美しさとともに、あの煙いっぱいの鉄板焼屋さんで食べたこんにゃく焼きが、大きく鎮座しているのだ。
