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【小説】出口はどこですか? 第11話

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 風車の丘から車に乗り込む際、沙樹さきはユウヤが指をさしていた遠くの建物に目をった。何も知らなければ、ただの白い豆腐のような建物だが、今の沙樹にはユウヤの弟が眠る、大きな四角い卵殻らんかくのように見えた。なぜ卵殻などと思うのだろう。不思議とそれは、病人が眠る建物には見えず、息づくなにかを覆う大きな殻のように、沙樹は感じた。
 見たこともない、なんなら存在すらさっきまで知らなかったユウヤの弟が、長い間、悪夢の中で彷徨さまよっている姿を想像して、どうにかして救ってあげたいと思った。今まで何かに祈った記憶など、一度もなかったが、今のこの気持ちが祈りというものだろうか。祈るほか、沙樹にできることなどない。
「なんかごめんね」
 車に乗り込むと、ユウヤは申し訳なさそうな顔をしていた。
「いや、全然」
 そう言いながら、沙樹はシートベルトを締めたが、ユウヤはまだ発進する様子はない。このまま帰ることに躊躇ためらいがあるようだった。
「俺は、今日ここに連れてきてもらえてよかったよ。いいドライブだったじゃん?」
「ありがとう、沙樹君」
 ユウヤは何かをこらえるような目で沙樹を少し見つめてから、エンジンをかけ、慣れた動作で発進した。
「ただ俺のパワースポット教えたいって感じにしか考えてなかったんだけど、弟の話しちゃったから重くなっちゃったよね。俺のためのドライブに沙樹君つき合わせちゃった」
「んなことないって。お前のこと、もっと知ることができて俺は嬉しかったよ。誰にでも話せるもんじゃないだろ」
「うん」
 信号もない道をまっすぐ進み、長いトンネルに入った。他に車もいない。無機質なトンネルの壁と、その左右の壁から照らす青白く四角いライトが、妙に近未来感を出していて、まるでこのまま時空を超えそうな錯覚があった。
晴希はるきも喜んでる」
「ハルキ?」
「あ、弟の名前。神郷こうざと晴希っていうの。かっこよくない?」
「かっけぇな。そういや、ユウヤって神郷って苗字だったか。なんか珍しい苗字だったのは覚えてたんだけど」
「うん。芸名みたいよね。初見で読める人、ほとんどいない」
「だろうな」
 前に教えてもらった漢字を思い出しながら、沙樹は少し笑った。

 ライムグリーンのトールワゴンは時空を超えることもなく、ちゃんと車通りのある都会に戻り、見覚えのある沙樹の街まで辿り着いた。
「そこでいい?」
「うん」
 ユウヤはハザードランプを点滅させながら、乗せてもらった時と同じ場所に車を停めた。
「今日はありがとう、沙樹君」
「こちらこそ」
 沙樹はシュルシュルとシートベルトを外して、「気をつけて帰って」と言いながら、ドアを開けた。夜のドライブが思った以上に充実した時間になり、見慣れた景色に包まれながら、沙樹は寂しさを感じた。
「あ、沙樹君、なんか落ちてる」
「え?」
 ユウヤがシートの下から、鍵を拾った。手の中にある拾った鍵を見て、大きな声をあげるユウヤ。
「え!? 沙樹君、鍵、むき出しで持ってるの!?」
「そうだけど」
 言いながら、ユウヤから鍵を受け取ろうと、ドアの外から身を乗り出して、手を伸ばした。
「ちょっと、沙樹君、待った! 乗って!」
「ええ?」
 伸ばした手をユウヤに掴まれ、再び車の中に引きずり込まれた。沙樹は座り直して、ドアを閉める。
「なに」
 戸惑って、ユウヤを見ると、ユウヤは鍵を親指と人差し指で握って、沙樹に見せる。
「これさぁ、沙樹君」
「うん」
「だめだよ! 信じらんない!」
「ええ?」
「マジで今までこんなの持ち歩いてたの? むき出しで?」
「うん」
「家の鍵じゃないの? これ」
「そうだけど」
「うわぁ……」
 そう言いながら、ユウヤは沙樹の前のダッシュボードをガコッと開けた。中にはごちゃごちゃといろんなものが詰め込まれていて、がさごそと何かを探している。つられて沙樹も、ダッシュボードの中を覗く。なにかのスプレー缶や、ヘアワックス、灰皿のようなもの……ユウヤは煙草を吸わないので、これは地元の先輩用か? あと、ガムのボトルや、なんかの冊子など……の下から、ピンクの丸っこいマスコットが付いたキーホルダーを取り出した。
「あった、あった。ぽれった君」
「なにそれ」
「知る人ぞ知る、地元のマスコット。これ、特別にあげるから使って」
「え、いらない」
 ユウヤが沙樹の鍵と、キーホルダーを押し付けてくる。地元のマスコットぽれった君は、ピンクと水色の妙な生き物で、たぶん熊……いや、耳が微妙に長いからウサギなのか? 両手に扇子を持っている。どう考えても、沙樹の趣味ではない。
「あのね、沙樹君。今これ鍵に付けないと後悔するよ?」
「付けたら後悔するよ、こんなの」
「もう~……」
 ユウヤはいそいそと勝手に沙樹の鍵にぽれった君を付けて、チャリ、と音をたてて振ってみせる。
「はぁ……ありがと」
 溜息をつきながら、渋々受け取る。まあ、たしかに鍵を裸の状態で持ち歩くのは、危機感がなさ過ぎるかもしれない。実家の鍵は、高校の時に滉大こうだいからもらったお土産のキーホルダーを付けていた。あれはシンプルなデザインで、沙樹の好みを把握した滉大らしいチョイスだった。よく考えたら、今の家の鍵もそのキーホルダーにまとめて付ければよかったのだ。そうしていたら、こんなことにはならなかったのに。
「じゃ、またな」
「うん、また店来てね」
 沙樹はぽれった君を右手に握りしめ、ドアを開けて、再び席を立った。一度車の中を覗いて軽く手を振ってから、ドアを閉めた。
 走り去るユウヤの車を見送り、家に向かって歩き出す。はぁ……こんなでかいキーホルダー付けたら、ポケットに入んないだろ。そう思いながら、なぜか笑いが込み上げた。お節介なあいつらしい。

 出口のことを可能な限り頭の隅に追いやり、沙樹はなんとか平日を乗り切った。もちろん星形の月には行っていない。もはやあの店は事件現場でしかない。気軽に顔を出せる場所ではなくなってしまった。かと言って、他の店に行こうという気も起きなかった。
 とはいえ、金曜の夜はまっすぐ家に帰ることを少し躊躇う。真尋まひろから連絡があり、土曜の夜は会うことになっていた。結局、「連絡する」と約束した真尋から、約束通り何回か連絡は来たが、用もないのにやり取りをすることに慣れていないふたりは、ぎこちない日報のような会話を少し交わし、なんだか気まずささえ感じながら、相手が「おやすみ」を言うのをお互い待っているような、そんな内容のLINEを何回か繰り返すことになっただけだった。それでも、沙樹は安心した。まだ真尋は、沙樹に歩み寄ろうとしている。ここをどう乗り切るか、ふたりの未来は今にかかっているのだと思う。真尋の動きにはあまり期待できないから、自分が上手く立ち回らねば。そんな思いがあった。

 まあ、今日はまっすぐ帰るか。
 いつも金曜の夜は星形の月に寄るか、もしくは会社の同僚と飲んだり、滉大とダーツをしたり、そんな感じで、ちょっとしたご褒美的な週末を過ごしていた。自分で気づいていないだけで、実際の沙樹はかなり重度の寂しがり屋だということを、親友の滉大は知っている。しかし沙樹はそんな素振りは決して見せない。ただ、自然と人のいる場所に足が向かい、そこで興味なさそうな顔をして酒を飲んでいる沙樹は、そういう時間に自分が安心を得ていることに、気づいていなかった。
 だから、沙樹は正体のわからない不安を少々感じながら、そしてそれを不快に思いながら、コンビニで弁当とレモンサワーを買って、ひとり、家に帰った。鞄のどこかに入れたはずのぽれった君を手で探り、内ポケットでそれを見つけ出すと、玄関の鍵を開けた。まだこいつに慣れない。
 テーブルの上にスマホを横向きに立て、レモンサワーを飲みながら動画を眺めている。コンビニ弁当の容器の上に、雑に散らばる割り箸。少し暗く感じる照明。窓の外から聞こえる、通行人の笑い声。
 つまんねぇな、と動画を止めた。その瞬間、手に持ったスマホが震えだしたから、沙樹は驚いて取り落としそうになり、慌ててスマホを両手で掴み直した。滉大からの着信である。
「はい、どうした?」
「明日暇?」
「夜予定あるから、それまでなら」
「じゃあ、昼飯でも」
 こんなやり取りならわざわざ通話しなくても、と沙樹は思うのだが、滉大はLINEのメッセージのやり取りが面倒らしい。用があるときは、とりあえず電話をかけ、繋がらなかったらメッセージを送るというのが、滉大のパターンである。逆に、用がない時はメッセージが送られてくることもある。そんな連絡はほとんどないのだが、まれに、沙樹が落ち込んでいる時など、「大丈夫?」だけ送られてきたりする。「大丈夫」と返すのだが。
「あ、じゃあ買い物もつき合ってほしい」
「おっけー。あそこでいい?」

 土曜の昼。滉大と待ち合わせた駅に着いた沙樹は、同じ電車に乗っていた滉大と改札手前で出会でくわした。軽く手を挙げて寄ってきた滉大にひらひらと手を振り、一緒に改札を通ると、当たり前のようにそのまま右の通りへ向かった。駅の左側、西口には当てがない。いつも遊ぶのは東口だった。
「どうする? 食いたいもんある?」
 通りの前で少し立ち止まり、滉大が初めて口を利いた。つられて沙樹も立ち止まる。
「んー、肉屋とか?」
「昼ステーキか。いいね」
 滉大とよく行く、安いステーキハウス、通称「肉屋」。席も広めで、比較的ゆっくりできる、ファミレス感覚のステーキハウスである。
「あれ? 沙樹君」
 肉屋に向かおうとした瞬間、背後から聞こえたよく知っている声に振り向くと、真尋がいた。
「奇遇だね」
「ああ……」
 真尋の隣に、見たことのない女の子。年齢は沙樹と同じくらいだろうか。身長は真尋よりだいぶ小さく、服装も含めて幼く見える。「誰ですか?」と真尋に遠慮もなく尋ねていた。沙樹の隣にいる滉大は、真尋に会ったことは一度もないが、なんとなく察して、真尋たちに軽く頭を下げた。
「彼は私の恋人、沙樹君。あ、こちらは私の後輩、彩音あやねちゃん」
 真尋は嬉しそうに互いを紹介した。「こちらは?」と滉大の方をうかがう。
「友達の滉大」
「あー、彼が!」
 よろしくね、と滉大に微笑む真尋の隣で、彩音が沙樹を睨んでいるような気がした。気のせいだろうか。なんとなく、好きになれそうもないタイプ。
「あ、これからお昼?」
 そんな空気にはまったく気づかない真尋が、爽やかな笑顔を向けてくる。
「よかったら、御一緒しない?」
「え……」
 やだ、と答えたい。たぶん、そこの後輩だって、嫌なはず。滉大は、社交的ではないが、人を拒むところもないので、嫌ではないかもしれない。気まずさもあまり感じないタイプだ。
「いいですね、ぜひぜひ」
 意外なことに、後輩の彩音は乗り気なようだ。滉大を振り返ると、「俺はいいよ」という顔をする。
「あー、じゃあ、うん」
「よかった。知ってるかな、そこのカジュアルダイニング。ランチが美味しいんだよ。テラス席もあるし」
「どこでもいいよ」

 やっぱ失敗だったかな。
 洒落たクッション付きのラタンチェアに座りながら、沙樹は想像以上の居心地の悪さに、逃げ出したくなっていた。なにより、滉大に申し訳ない。昼飯に誘ってくれたのは滉大だったのに、こんなことになるとは。いつか真尋に紹介したいと思っていたから、それはいいのだが、この……この後輩が、妙に気になる。なんか、真尋に近すぎないか? 女子ってそんなもん? まあ、距離感バグってる子もいるし、おかしくはないのだろうか。しかし、なんだか沙樹に対して、チクチクと感じる敵意のようなものは、一体なんなのだろうか。気のせいか? 真尋から、なにか聞いているのだろうか。だとしたら、一体なにを聞いてこの態度になるのだろう。なんだか不快だ。そして、得体の知れない不安感。なにに対する不安なのかも、自分でわからない。時々話に出ていた真尋の後輩とは、彼女のことだろう。だとしたら、真尋が可愛がっている後輩だし、以前ユウヤが見た一緒に買い物をしていた後輩も、恐らく彼女のはず。嫌いになりたくないんだけどなぁ。
「ごめん、ちょっと仕事の電話してくるね」
 注文を終えた後、真尋がスマホを持って、「すぐ戻る、ごめんね」と言いながら、席を立った。

 気まず……。


 手元には水のグラスしかなく、食べて誤魔化すこともできない気まずさ。一番席を外してはいけない人が、こんな早い段階で抜けるとは。
「真尋さんって、かわいいですよね」
 急に、彩音が意味ありげに沙樹に話しかけた。
「え?」
 なにを言われるのだろう。いい話ではなさそうだ。
「沙樹さん、知ってます? 真尋さんって、恋愛感情知らないんですよ。自分では気づいてないみたいだけど」
 どういう状況なのか飲み込めず、沙樹は言葉が出てこない。どんな反応をすればいいのかもわからなかった。どうしよう、眩暈めまいがする。
「あんな美人で、なんでもできる完璧な先輩が、こんな欠点あるの、かわいくないですか?」



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