【小説】出口はどこですか? 第12話
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沙樹は混乱する頭を落ち着かせるために、一度目を閉じてみた。
こいつは、なんの話をしているのだろうか。真尋が恋愛感情を知らないだって? 正直、自分はそれに関して否定することはできない。むしろ納得すらしてしまう。しかしそれをなぜこいつから聞かされているのだろうか。恋人だと知っていながら……こいつ、どういうつもりで――。
「本人が気づいてないことを、なんでお前が知ってんだよ」
ここに来て、初めて滉大が口を開いた。
「それをこいつに言って、お前どうしたいわけ?」
沙樹は、彩音に言われたことより、いつも穏やかな滉大の見たことのない程のキレっぷりに驚いて、思わず仲裁に入りそうになってしまった。
「でも沙樹さん、否定できないんですよね? 気づいてたんじゃないんですか?」
痛いところを突かれ、言葉が出なかった。
「私、真尋さんに好きだって伝えたんです」
挑発的な目で沙樹を見据える。
「そしたら、真尋さん、笑顔で『私も好きだよ』って言ってくれました」
なんとなく、想像できてしまうのが辛い。
「だから、つき合ってくださいって言ったんですよ……。そしたら、『ごめんね、もう約束した人がいるんだ』って。あー、恋人がいるのかーって、約束って、将来の約束でもしたのかなって思ったんですけど……話聞いてたら、恋人になる約束をした? みたいな? あれ? 好きでつき合ってるんじゃないんだって思ったら『沙樹君? 好きだよ』って言うんですよ。私に言ったみたいに。当たり前のような顔して。あー、この人、恋愛感情知らないんだなって私、すぐ気づいて、そしたらめっちゃかわいくなっちゃって――」
急に早口で、興奮した様子で捲し立てる彩音に、沙樹はついていけない。なんでこいつはこんなに嬉しそうなんだ。自分もフラれた癖に。
それにしても。そうか。恋人になる約束、か。腑に落ちた。真尋にとって、俺とのつき合いは約束を果たしていただけだったんだな。斬新だな、その発想。律儀にここまでつき合ってくれていたわけか。たまたま彩音より先に「約束」していたから俺とつき合っていたわけで、彩音と先に「約束」していたら、俺は振られていたんだな。いや、そもそも真尋は、彩音を自分が振ったことに気づいているのか? それすら怪しい。
「まあ、そういうわけなんで。私、諦めませんから」
「好きにすれば……」
「は? 彼氏の余裕見せてるつもりですか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「お前が余裕なさ過ぎなんだ」
「お友達は黙っててください!」
「なんか楽しそうだね」
空気の読めない真尋が、スマホを片手に帰ってきた。
「仲良くなれたならよかったよ」
真尋の心底嬉しそうな顔を見ると、沙樹は小さく溜息をついた。
飲み物とサラダが運ばれてきて、一同は静かになる。ちらっと彩音の方に目を遣ると、先程とは打って変わって、媚びるような目で真尋を見ていた。その様子は、なぜか沙樹より幸せそうに見えて、なんだか可愛く思えてしまった。もしかして、これが彼氏の余裕なのか? いや、余裕など、見せている場合ではない。かなり深刻な問題なはずなのに、受け入れてしまっている自分がいる。ただの後輩の戯言なのに、真偽を疑う気力もない。滉大はまだ不機嫌そうにしているが、それは滉大が事情を知らないからだ。普段の真尋の様子を知っていれば、あの後輩に言い返すことも、できないのだった。
「そういえば、フェリー神話の資料、とても面白かったです!」
「ほんと? よかった。あれは要点しか書いてないから、興味があるなら私が纏めたものを渡すよ」
「フェリー神話……?」
沙樹はサラダに入っていた名前も知らない葉っぱを飲み込むと、聞いたことのない神話に思わず反応した。
「え? まさか沙樹さん、知らないんですか? 真尋さんが研究してるのに?」
あからさまに煽ってきているが、沙樹にはこんな煽りもかわいらしく見えて、特にイラつくこともなかった。
「ああ、話してなかったね。趣味でちょっと研究してるものがあるんだ」
「へぇ……神話……」
趣味で研究って、すごいな。やっぱそういう気質なんだろうな。沙樹は目の前のふたりの女性研究者から目を逸らし、カボチャの冷製ポタージュに手を伸ばした。たぶんこの後輩とも、そういう点で気が合うのだろう。実際、神話の研究のことなんて、沙樹は聞いたこともなかったわけで、聞いたところで話を膨らませる自信はない。
「ちょっと気になるんですけど……沙樹さんて真尋さんのどういうとこが好きなんですか?」
「え?」
「彩音ちゃん、そんなこと聞いたら沙樹君も困っちゃうよ。やめよう」
「気になるじゃないですか。私めっちゃ気になります」
「えっと……」
答えられない沙樹を庇うように、滉大がきつめの口調で間に入った。
「初対面の人間の前で言うもんじゃない。罰ゲームじゃないんだから」
「まあまあ」
慌てて滉大を宥める。もう……不穏な食事会だなぁ。
とはいえ。どこが好きなのか。答えられないのは、初対面の人間の前だからではない。運ばれてきたプレートを眺めながら、沙樹はぼんやり考えた。好きなところなんて、挙げようと思えばいくらでも挙げられるはず……だよな。まあ、本人を目の前にして考えることでもないか。
結局なんだったんだ、この食事会は。
沙樹はデザートの小さなガトーショコラやバニラアイスの乗ったプレートの前で、スプーンを手に取るかフォークを手に取るか迷っていた。居心地が悪く、非常に長く感じたこの食事会から、やっと解放される……たぶん。真尋との約束は夜だから、それまでは滉大と気ままに過ごしたい。まさかこのまま一緒に……なんてことは、さすがにないよな? 不安になってきた。
「真尋、夜まで俺は滉大と遊んでるから」
先手必勝。
「あ、そう? えっと……」
「私も真尋さんとふたりで行きたいとこあるんですよー。きっと真尋さん、喜んでくれると思うので!」
「そっか……。うん、わかった、行こうか」
彩音の言い方がなんか気に食わないが、まあ、気にすることもない。しかし思い返せば、この後輩はほんとブレないな。感心すらしてしまう。
「私ちょっと化粧室行ってきますね」
彩音がピンクのポーチを持って席を立った。少し酸素が濃くなった気がする。そして体が重くなった。力が抜けたのかもしれない。なんだかんだ、あの後輩に振り回されていたのだと、ひとり小さく苦笑しながら、コーヒーに手を伸ばした。
「真尋さん」
「うん?」
滉大の呼びかけに答える真尋。やっと平和な空気が流れている気がする。こんな感じにふたりを紹介したかった。
「こいつ寂しがりなんです」
「は? 何言ってんの、お前」
思わずコーヒーを吹きそうになりながら、慌てて滉大を振り向く。
「お前はそういうの、隠すから」
「別に寂しがりじゃないし」
「はは。そっか、私は気づいてなかったよ。滉大君、ありがとう」
さっきまでとは別の居心地の悪さ。恥ずかしいこと言うなよ。まあ、自分を思ってくれているのは、ありがたいけれど。
席に戻ってきた彩音は、リップグロスで唇がぷるぷるしていて、まったく誰のためにそんなお洒落を……って思いかけてから、たしかこれ言ったら女子に怒られるやつだ、と前に誰かが言っていたのを思い出した。男のためにお洒落してるんじゃないですー、自分のためにしてるんですーって怒られるらしい。しかし、嬉しそうに真尋にすり寄っている目の前の彩音は、どう見ても真尋のためにお洒落をしているとしか思えなかった。これはマジで彼氏の余裕を見せている場合じゃないかもしれないな。
「じゃ、またあとでね、沙樹君」
「ん、また」
「滉大君も今日はありがとう。またね」
滉大もぺこりと頭を下げて、ふたりはやっと解放された。どこに行くか決まっていなかったけれど、とりあえず真尋たちと反対の方向へ歩いた。
「滉大、ほんとごめん」
「え? なにが?」
「いや、なにがって……気まずい食事会に参加させちゃったから」
「別に気まずくはなかったよ。飯美味かったし」
「そっか……」
こういう奴だよな。鈍いのとは違うし、これは一体なんなのだろう。大らかっていうのだろうか。まあ、とにかくありがたい。
「でも……そうだな、あの後輩はウザかった」
「ああ……」
彩音に関しては、沙樹よりも敏感に反応していた。馬が合わないっていうより、犬猿の仲に近い。思い出して、沙樹は少し笑った。
「なに?」
「いや……お前珍しくキレてたから」
「お前がキレないから俺がキレといたの」
「ああ、ありがとう」
調子に乗り過ぎなんだよ、あいつ……と、滉大はぶつぶつ文句を言っている。こんな滉大、なかなか見ることはできないから、やっぱり笑ってしまう。
何も考えずなんとなく歩いてきたけれど、ふと見上げるとよく行くチェーンのネットカフェがあった。
「ダーツでもする?」
「いいっすね」
程よく騒がしいフロアは薄暗く、まるで不健康な遊びをしているようである。シュバッと滉大がダーツを投げると、チュドーンと電子音が鳴り響いた。ほんの少しだけ、沙樹より滉大の方が上手い。三本投げ終えて、ハットトリックのアワードの後に滉大が戻ってきたが、沙樹は背の高い椅子にもたれ、足を組み、ダーツを手の中でくるくる回しながら、ぼーっと考え事をしていた。
「ちゃんと見てろよ、俺のハットトリック」
「え? ごめん。マジか」
沙樹は音もなく気のない拍手をした。
「真尋さんのこと考えてた?」
滉大はテーブルの横に立って、コーラを飲みながら、様子を窺っている。
「ああ、違うと思うけど。なに考えてたか自分でもわかんない」
今の自分の思考を探ったが、もやもやと輪郭がぼやけていて、具体的なものが見つからなかった。でも、たしかに真尋のことだったような気もする。
「あいつが言ってたことなんて、気にするなよ」
真尋が恋愛感情を知らないってことか。
「でもな、否定はできないんだよな」
滉大はダーツの先端を弄るように眺めながら、黙っていた。
「まあ、俺も人のこと言えないかもしれない」
「どういうこと?」
「俺も、真尋のどこが好きか、よくわかんねぇなって」
そんなこと、考えたことなかったからなぁ、と苦笑した。
「そんなもんじゃない?」
「そうかな」
「即答できるのも気持ち悪いと思うけど」
「そういうもん?」
そーそー、と言いながら、滉大は沙樹の隣に座る。沙樹は、真尋の横で満足そうにしていた彩音を思い出していた。
「でも、なんか……かわいかったよな、あの後輩」
「真尋さんの方がかわいい」
「いや、そういうんじゃなくて」
「わかってるよ。安心しろ、あの後輩よりお前の方がかわいいから」
「ふざけんな」
二時間程ダーツをしてから、ぶらぶらと買い物をした。沙樹は欲しかったスニーカー、滉大は夏物の服を、それぞれ適当に見て回り、ほぼ同時に会計を済ませ、自然な流れで集合した。スマホを取り出し、時間を見ると真尋との約束の時間まで、まだだいぶある。
「どうする?」
「んー、やることねぇな。先週も会ったし」
「え? あれ先週?」
信じられない。あれからまだ一週間しか経っていないのか。この一週間にどれだけの事件が起きただろう。全部思い出すのは無理なのでは。思い出したくないこともひとつやふたつではない。いや、ふたつか? もっとあった気がするけれど……とりあえず思い出せないものは、思い出さないでおこう。
出口のこと……滉大に話したら、なんて言うだろう。信じてくれるだろうか。こいつなら、きっと信じてくれるだろうな。しかし、無駄に巻き込んでいいものか。ひとりでどうにかできる自信もないけれど。
結局、その後ふたりはファミレスで過ごしたが、散々迷った末、滉大に出口の話はできずにいた。暇を持て余すように、テーブルに肘をついたまま窓の外を眺めている滉大に目を遣ってから、沙樹も同じように肘をついて窓の外を眺めた。貴重な休日の時間を、こんな形で付き合わせてしまって申し訳ない。でもまあ、こいつもどうせ暇だったはず。
「なあ」
「んー?」
「俺がこの世から消えたら、お前気づく?」
「気づく? どういうこと?」
滉大が上体を起こして、沙樹の方を見た。沙樹は肘をついたまま、滉大の目を見て、躊躇いがちに続けた。
「あーだから……俺がこの世から、存在ごと消えたとして。例えばね、急にこの世から消されたとするじゃん? 俺の存在がなかったことにされたとして、お前は気づく? 俺が消えたことに」
「いや、気づかねぇだろ」
「だよなぁ」
「そんなにこの世は甘くねぇよ。だからしっかり生きろ。消されないように」
「はい」
スマホで時間を確認する。そろそろ出てもいいかもな。背中の向こうで「いらっしゃいませー」という女性の声が響いた。
「滉大、お前も消えんなよ」
「消えたら気づいてくれ」
「無理」
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