【小説】出口はどこですか? 第9話
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「行くわけ、ないだろ」
折原の沙樹を見る目は不気味だったが、迷うこともない。行かない理由はたくさんあっても、行く理由などひとつもない。そんなこと、折原もわかっているだろうが。
「まあ、そうだよね。そりゃそうか」
折原は沙樹から目を逸らし、寂しそうに笑った。こういう顔を見ると、ますますこの人がわからなくなる。沙樹は妙な苛立ちを感じた。
「あれは異世界の扉なんかじゃなく、出口だって言ったのはあんただろ。この先は無だって、あんた言ったよな? そんなの聞いて、俺が行くわけないだろ」
「ふふ、そんなの聞かなくたって、君は行かないよね?」
「まあ、そうだけど」
どっちにしろ、行くわけないのだ。沙樹じゃなくたって、普通の人なら行くわけない。
「折原さん」
「ん?」
先程の言葉を思い出しながら、一番聞かなければならないことを考える。
「誰かをあの先に、行かせようとしてるんですか」
「どうかな。そうだとしたら、君はどうする?」
「俺は――」
どうすればいいんだ? 当然阻止したいけれど、どう阻止することができるだろう。
「ん? 沙樹君はどうするかな。あの先が次のステージに繋がってるって噂が広まったりして、新たに興味を持つ人も、いるかもしれないね?」
「そうだ、なぜあんなことを! ユウヤを巻き込むなよ!」
沙樹は思わずカウンターテーブルに手をついて立ち上がった。
「いや、でもさ。考えてみて、沙樹君」
折原は試すような目で沙樹を見ている。
「君は、僕から出口の先は無だって聞いたから、それを信じてるんだよね?」
負けないように、脳を研ぎ澄ませて折原の言葉を聞く。気を抜いたら、負けてしまう。
「じゃあさ、僕が『出口は次のステージに繋がってる』って言ったら、なんでそれを信じられないのかな。最初に聞いたのが真実だと信じてる? 君には真実を教えて、他の人には嘘をついてるって、沙樹君は思うんだね? まあ、僕を信用してくれるのは嬉しいけど、僕が君に嘘をついたとは考えないのかな」
「えっ……どういう……」
カウンターの上で握った両手の拳がじわっと汗ばむ。
「つまりさ」
追い打ちをかけるために、折原は立ち上がってゆっくり近づいてきた。沙樹は退かないように踏ん張った脚が震えそうで、足の指に力を入れた。
「君は何も知らないってこと。僕の話を信じるしかないんだよ。――出口の先に、行かない限り」
「そんな言葉に惑わされない。それを聞いて、俺が行くと、本気で思ってんのか?」
「思ってないよ」
本当にわからない。沙樹をどうしたいのだ。弄ばれているってことは、わかる。いや、思い出せ。桧山に追い詰められていた折原を。なぜそれが、沙樹にはできないのか。
折原の話……どれが真実かは実際、わからない。沙樹を二階に連れて行ったときも、面白がっていたのは事実だし、ならば沙樹が聞いた話が嘘だった可能性も、もちろんあるのだ。だとしても、さすがに「次のステージ」はないと思う。そもそも意味がわからないし。いや、意味がわからないのは、「無」も同じことか。「出口」に関してもそのはずなのだが、実際に目にしてしまったから、存在は否定できない。どっちみち、あの先に何があるのかは、知る由もないのだ。
しかし――。つい先刻のことを思い出してみる。折原の表情は真剣だった。今までで一番真実味のある話し方だった。なんて言っていたっけ。
『長い間……本当に長い間。僕はあの『無』を見つめ続けて、あの先に行けない自分に苦しんできたんだよ』
その後。
『あれは、僕の出口でもあったんだ』
だめだ、わからない。ここに真実があると思うのに、全然意味がわからない。長い間がどのくらいの時なのかもわからないし……いや、でもたしかに「『無」を見つめ続けて」と言っていた。やはり、あれは「無」なのだ。その先に折原が行きたかったのも、間違いないだろう。「僕の出口でもあった」とはどういうことだ?
「あなたが何をしたいのか、わからないけど……」
考えているうちに、沙樹は少し冷静さを取り戻していた。落ち着いて話せそうだ。改めて、深呼吸をした。
「あの先に行きたいのは本来あなたで、誰かを行かせたいわけではないんだよな」
折原の顔から余裕の笑みが消える。しかし、桧山の前で見せたような焦りの表情ではなく、ただ、真剣な顔をしていた。
「で、『僕の出口でもあった』って言ってたけど」
自分で話しながら、見えてきた気がする。そう、これだ。
「本当は誰の出口だったんだ? あなたがその先に行きたがってる理由は、それなんじゃないのか?」
折原の顔を見なくてもわかる。沙樹はひとつの真実に辿り着いた。たぶん。
念のため折原の顔を見てみると、見たこともない、血の気が引いた顔をしていて、追い詰めたのは沙樹だけれど、少し心配になった。しかし、その顔こそが答えである。
「はは……なるほどね。沙樹君は、ほんと、面白い」
余裕ぶって腕なんか組んだりしているが、顔が引きつっていて、笑っているのか怒っているのかわからない。
「もしそうだとして、それを聞いて君はなにをしてくれるって言うのかな。僕はわかるよ。どんな答えを聞いたとしても、君は出口の先には行かないよね」
「……まあ、たしかに」
なんでそこまで……と考えて、ふと気づいた。
「あ、そうか。あなたが『管理を任されている』から、出口の先に行けないのか」
見えるようで、見えない話。はっきり話してくれればいいものを。無駄にひとりで考察しなければならない。
「出口の管理を他の人に任せて、あなたが行けばいいのに」
すごくいい解決策を思いついたと思ったが、言葉にしてみたら残酷なことを言っていることに気が付いた。
「ふふ、そうだね。そうできたら、いいのにね。でも、それはできないんだよ」
あー、もう。いよいよ耐えられなくなり、はぁぁぁぁ、と沙樹は深くて長い溜息を吐き切った。
「もう、わかんねぇよ。あんたのなぞなぞにつきあってらんねぇわ。ほっといて帰りたいとこだけど、他の人を巻き込んでほしくないんだよ。わかるだろ? だから、そのために解決策を考えようとしてんのに! あんたが変に含ませたり匂わせたりするから、無駄に神経使うし話が進まない! 結局、どうしたいんだよ!」
苛立ちを隠そうともしなかった。全部こいつにぶつけたかった。なんなら、手元にある水の入ったグラスも投げつけたいところだったが、さすがにそれはしない。
「ごめんね」
折原は正面から沙樹を見つめると、落ち着いた声で、そう言った。
「いや……なにが」
謝られるような覚えはたくさんあるが、どれについての謝罪の言葉なのか。
「なんかこう、ぐだぐだしちゃってさ」
「はぁ? そっち? もっとこう、あるだろ? あんな妙なもの、見せてごめんとか、巻き込んでごめんとかさぁ」
他にもいろいろあるけれど。
「いや、正直、沙樹君には悪いけど、出口を見せたのは正解だったと思っているし、巻き込まれてくれたのも、感謝しているよ」
「勝手だな」
やってらんねぇ、と沙樹は再び椅子に座って、足を組んだ。そしてグラスに残っていた水を飲み干し、カウンターに肘をついて考えた。
先程の考察は、かなりいい線をいっていたと思う。あの出口は、折原と関係する誰かの出口だった。で、折原もその先に行くつもりだったのだろう。しかし、出口の管理を任されたから、先に進むことができなくなってしまった。ここまでは、きっと正しい。
ん? だとしたら、出口の先はただの「無」ではないのでは? んー……よくわからない。聞かなければわからないが、素直に答えるとは思えない。それどころか、こちらがイライラするような回りくどい言い回しで、「だったらどうする?」みたいなことを言うのだろう、どうせ。つき合いきれない。
「ごめんね」
「だからなんなんだよ、さっきから」
「いや、話せないことが、多くてね」
「ああ……」
話せない理由でもあるのか。ただ誤魔化しているわけでもないのだろうか。あんなふざけた態度だから、真意がわからない。
えっと。俺はここに、折原に話を聞くために来たんだよな。なんでだっけ。……ああ、そうだ。出口を封印、もしくは破壊するためだ。そのために必要な情報は聞き出せたか? まったく聞き出せていないどころか、封印なんてとてもさせてもらえなさそうだってことは、思い知らされた。間違いなく折原にとって大事な出口なのだ。特別な意味があるのだろう。
「俺は、あんたがあの出口の先に誰も行かせないって、約束してくれればいい。いや、誰にも出口の存在を知らせないでほしい。それだけ、約束してほしいんだ」
「それは難しいかもね」
折原はカウンターの手前の台に手をついて、沙樹を見つめる。正直、折原に見つめられるのはとても苦手だが、沙樹は目を逸らさなかった。
「なんで」
「僕自身にどうにもできないから。だれかの力を借りるしか、ないんだよ」
「だから……出口の先に誰かを行かせるって? 行かせて、なにがしたいんだ。ほんとは、出口の先に、何があるんだ?」
しばらく、折原は沙樹を見つめたまま、黙っていた。沙樹は居心地の悪さにまたイラつく気持ちを抑えて、折原を睨むように見つめ返す。BGMもなく、静まり返った店内に、前の通りを大きなトラックが走り去る音が響いた。
「連れて……連れ戻してほしいんだ。イルハを。僕の……大事な人を」
「その、大事な人が……出口の先にいるんだな。でも、無、なんだろ? それとも次のステージに繋がってるってほんとなのか?」
ますます出口を封印なんてさせてもらえそうもない。だからって、行く気はないし、誰も行かせるわけにはいかない。少なくとも、出口の先に行ったら、この世からは消えると言っていた。存在ごと。それで連れ戻すって、もう、話がごちゃごちゃだなぁ!
「無理だろ、さすがに」
そうは言ったものの。この人、長い間、ひとりでこの出口を守ってきたんだよな。「無」を見つめながら、その先に行くこともできず。で、沙樹に出口を見せ、おそらく、ほんの少し、真実を語った。どうすることもできないとは思うのだが、じゃあ、折原も出口も、この先このままでいるしかないのか? 沙樹にできることは何もないのだろうか。沙樹しか知らないのに。それは――沙樹も納得できない。
「たとえば……たとえばだけど」
沙樹は頭をフル回転させながら、言葉を慎重に選ぶ。
「あんたの代わりに俺が管理するとか、無理なのかな。いや、ほんと例えばの話だし、任されても困るんだけど」
「神から命じられたんだよ。出口の管理を。だから、勝手に君に任せるわけには――」
「神! 神? は?」
もう無理。キャパオーバー。本気で言っているのか怪しむ気力も残っていない。いい加減にしてくれ。
沙樹は隣の席に置いてあったボディバッグを手に取り、財布を取り出した。
「あ、お会計お願いします」
何もなかった。今日はここで、遅くまで飲んでしまっただけだ。早く帰って、明日の準備をしなくては。はぁ、明日月曜か。大きな会議も入っていなかったし、資料はだいたい先週のうちに仕上げておいたから、そんなに忙しくはならないだろう。そういえば先輩が昼飯新しくできたカレー屋に連れて行ってくれるって約束だった。ネパールカレー好きなんだよなぁ。楽しみ。あ、柔軟剤が切れそうだったから、帰りに買うの忘れないようにしないとな。スマホにメモしとくか。
「沙樹君」
「はい」
財布を手に持ったまま、力なく返事をした。
「大丈夫。急にどうにかしようとは、僕も思っていないよ」
「はあ……」
もう、さっきの「神」発言から、話がなにも入ってこなくなった。
「出口の先になにがあるかは、僕も本当にわからないんだ。ただ。イルハ……僕の大事な人が、出口の先にいる。僕はその人を守らなければならないから――」
「えっと……お会計は」
「ああ。うん、今日はお会計、いいよ。僕も居残りで『お手伝い』させちゃったからね」
「あ、そうですか……。えっと。ごちそうさまでした」
「うん、ありがとう」
のろのろと、財布をしまう。なんだっけ。結局、えっと。帰っていいんだっけ? あれ、さっきなんか折原が言っていたような気もするけど、全然聞いてなかったな。大事な人がなんたらかんたら。まあ、きっとそれも、神がどうにかしてくれるでしょう。神だし。
「じゃ、また」
ボディバッグを背負って、折原に軽く頭を下げた。
「気をつけて帰ってね」
折原も弱々しい笑顔で、軽く手を振った。
ふらふらとテーブル席の間を縫って、重いドアをぐっと押し込むと、外の世界に出た。目の前をブォン、と白くて車高の低めな車が通り過ぎた。しばらく立ち尽くす沙樹。頭も体もフリーズしたようだった。星形の月のドアの照明、そして街灯の光。沙樹は大きく息を吸って、吐いた。もう一度、大きく息を吸って。
「なんだよ神って! 舐めてんのか!」
普段ならひとりで叫んだりなんかしないのに、やはり酔っていたのだろうか。叫んでから、怒りが湧いてきた。そんな話誰が信じると思ってんだよ。ふざけやがって。それとも本気で言ってんのか? ならマジでやばい奴だな! せっかくここまで真剣に話を聞いてきたつもりなのに。
もうやめよう。そもそも自分には関係ないんだから。
真尋やユウヤの顔がちらっと浮かんだ。いやいや。信じよう。あんなものの先に進むような、アホではないはず。
たぶん。
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