【小説】出口はどこですか? 第8話
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「えっと……」
折原は困惑しつつも、笑みは絶やさなかった。
「出口の噂話が知りたいと」
「おお。その手の話、よく耳にするが、出口ってのは珍しいからな」
「なるほど」
桧山はナッツを一粒口に放り込み、嚙み砕きながら折原を見上げている。表情からは読み取れないが、噂話をワクワクと楽しみにしている顔には見えない。だからこそ、折原は少し警戒しているのだろう。ユウヤに吹き込んでいたようなノリにはなれないようだ。デマを吹き込まれたユウヤの前で、折原は桧山になんと語るのか。沙樹はこの状況に固唾を呑んだ。
「僕も詳しくは知らないんですけどね。あまりにもいろんな噂が飛び交うものだから。まあ、あくまでも噂話なので」
前置きが言い訳がましい。動揺しているのだろうか。まあ、噂好きな若者相手に話す時と同じわけにはいかないかもしれない。沙樹なら、こんなくだらない噂話、口にするのも恥ずかしくなってしまう。実際、「くだらない噂話」で済まないから、恥ずかしいなどとも言っていられないのだが。
「この世界の出口っていうのが、どこかにあるって話です」
「ふーん、どこにあるんだ?」
「え?」
一瞬、空気が止まった。……と思うのは、沙樹が事情を知っているからだろうか。横目で観察すると、折原の表情は僅かに強張っている。
「そっちっすか! 普通、出口ってなに? ってなんのに。さすが桧山さんだわ」
緊張感のないユウヤの呑気な声が響いて、場の空気が緩んだ。
「だって、気になんだろ。どこかって、噂話にしても適当過ぎるだろうが」
「たしかに」
実に、適当な噂である。適当だからこそ、面白おかしく広められていくのだ。
「得体の知れないものが、どこかにあるらしいって噂が、なんで広まるんだろな?」
桧山の見解に、沙樹は心から同調する。マジそれ。
「ロマンなんすよ」
「ロマンだぁ?」
吹き込まれたユウヤが、馬鹿正直にロマンという言葉を口にした。
「どっかわかんないとこにあるからこそ、探したいなって思うんじゃないすかねぇ?」
「出口を? 探してどうすんだよ、んなわけわかんねぇもんを」
「えっと……次のステージ? だっけ。繋がってるらしいっす。ですよね?」
「ああ、うん」
折原の歯切れが悪い。そりゃ、こうなるだろ。純粋な若者に適当なことを言うからだ。
「なんだよ、次のステージって!」
笑い出す桧山に、折原は少し居心地が悪そうだった。自業自得とはいえ、あれは恥ずかしいだろうな、と沙樹はほんの少し同情してしまう。次のステージというのは噂話ではなくて、折原が作ったデマだと知っているからだ。まあ、しかし、改めて言うが、自業自得である。
「なるほどな、それが『出口』か」
「ええ、まあ。そんな感じらしいです」
桧山は、グラスを傾け、カランという氷の音が小さく響いた。
「出口の先が、次のステージだって?」
桧山の視線の先に、折原がいる。折原はじっと桧山を見返していた。
「噂話ですよ」
「ったりめぇだ。こんなの信じる奴がいるかよ」
「そうですね」
折原がふっと微笑む。ったくよぉ、とか言いながら、桧山は酒を飲んだ。
あの緊迫した空気はいったい何だったのだろう。沙樹の気のせいだったのか。ただ単純に、胡散臭い噂話に興味を持っただけなのか。いや、興味を持っていたようにも見えなかった。折原をバカにしたかっただけ? 桧山が折原に対して悪意を持っていると感じたことはなかったけれど。やはり、気のせいだったのかもしれない。酒のつまみに、噂話を聞いてみたってだけなのかも。沙樹は、妙な違和感を残しながらも、自分にも折原をどうにかすることができるかもしれないと、少し自信を持った。一晩中、不敵な笑みを浮かべた折原が頭から離れずに、とても敵う気がしなかったのだが、先程の少し動揺していた折原を目にして、気を取り直すことができた。
「あー、もうこんな時間か。沙樹もいいのか? 明日早ぇんだろ?」
「あー……まあ、そうですね」
言われてスマホを見ると、そろそろ0時になろうとしている。日曜の閉店時間は深夜1時。さすがに不自然だよなぁ。桧山の話につい夢中になり、居残る言い訳を考えるのを忘れていた。
「沙樹君にはお手伝いを頼んでいるんですよ」
察した折原が助け舟を出した。折原にフォローされるのも皮肉なものである。
「バイトがいんだろ。手伝いなんかユウヤに任せろよ。見ろよ、こいつの顔。さっきからしけたツラで酒飲んで」
「そっすよ。俺やりますよ? なんか知らねぇけど」
「いや、俺が……その、手伝いたくて……勉強させてもらおうかと」
咄嗟に適当なことを言ってしまった。どうも状況判断力が鈍っている。
「勉強って! おまえ、バーでも経営すんのか?」
桧山は笑いながら、残っていた酒を呷ると、沙樹の肩をポンと叩いた。
「まあ、無理すんなよ。おまえは抱え込みがちだからな。たまに心配になるよ」
「大丈夫ですよ。そんな貧弱じゃないんで」
そうは言ったものの、桧山の言葉は胸に刺さった。今日、出会えてよかった。
「ありがとうございます、お会計、こちらで」
「おお」
木製のトレーに乗った伝票を手に取って確認し、桧山はジャケットの内ポケットから財布を取り出した。
「あ、なんか落ちましたよ」
折原が指差す先に、お守りのようなものが落ちていた。ゆっくり拾い上げる桧山。
「お守りですか?」
「ああ。これな」
だいぶ古びた、小さな袋状のお守りのようなもの。手の中のそれを大事そうに眺めていた。
「昔、持たされてから、なんか手放せねぇんだよ」
「そんな大事なもの、落とさないように気をつけなきゃ」
そう言う折原の顔を、桧山は正面から見据えた。
「なあ、俺はこのお守りをずっと大事に持ってんだけどな。時々、考えんだよ。この中身、なんなんだろうなって。覗いてみりゃいいんだけど、怖いんだよな。中身が空っぽだったらって思うと」
「それは……」
折原は、桧山の言葉の意味を考えていた。
「空っぽだったとしても、それはやはりお守りなのでは」
「そうだな」
桧山は古びたお守りをしっかりと胸ポケットにしまうと、財布から札を数枚取り出して、トレーの上に置いた。
「おまえは大丈夫か? 空っぽでも」
「え?」
折原は札の乗ったトレーを手にしたまま、首を傾げた。
「いや、なんでもない」
なんだったんだろう、さっきの……と折原と桧山の様子を思い出しながら、沙樹はまだだらだらと酒を飲んでいた。かなり飲んでいるのに、全然酔わない。酒には強い方だが、ざるという程ではない。こんなに飲んだら、少しくらい気分がふらついてもいいものなのに、おかしなくらい冷静だった。いや、違うな。逆上、困惑、動揺を経て、一周回って今は冷静になっていた。やはり、気を張っているからなのか。酒の勢いも借りたいところなのに。グラスが空いたけれど、もうお代わりはやめて、あとは水でも飲んでいよう。
閉店時間も近づき、店内には沙樹の他に一組残っているだけだった。ユウヤもそろそろ上がる支度を始めていた。店の締め作業は基本折原が行なっていて、日曜など、客が多くない日は、閉店より先にユウヤを上がらせることはよくあるらしい。
「沙樹君、ほんとに大丈夫? 折原さんの手伝いって、俺にできることならやるよ?」
「ああ、大丈夫だよ、ありがと」
沙樹は軽く手をあげて答えた。代わってもらう訳にはいかないからなぁ……。
そうこうするうちに、残っていたもう一組もお会計を済ませ、店内には沙樹だけになった。ユウヤも薄いシャツを羽織り、奥からボディバッグを手に持ってきて、いよいよ折原とサシになってしまう。
「じゃ、沙樹君、俺上がるけど。マジでドライブ誘うからね」
「うん、わかった。おつかれ」
ユウヤは折原に「お先です」と声をかけて、店を出て行った。
洋楽のBGMと、折原が洗い物をする音だけが響く。あれ? 今頃になって酔ってきたかも。心臓がバクバクする。いや、違う。単純に緊張しているだけである。シンクの水の音が止んだ。さっとシンクの周りを拭くと、折原は専用のクロスを器用に扱い、グラスを丁寧に磨いていく。こんな直前になってから、沙樹は慌てて、何から聞こうかなどと考えた。いろいろなもので頭が煮え滾り、具体的なイメージがなにもできていなかった。なにが冷静だ。思考が止まっていただけではないか。
そんな沙樹の考えも纏まらないうちに、折原は磨いたグラスを綺麗に並べると、ゆっくりアームバンドを外して、BGMを切った。振り返り、沙樹と向き合う。
「さて。沙樹君は僕になんの用かな」
白々しい。用件など、出口のこと以外にあるわけない。しかし、何から聞けばいいのか。
「昨日はなにも教えてもらえなかった……。あんなものを見せられただけで、ろくに質問もさせてもらえませんでした。まさか、これで終わりにはならないよな?」
感情が抑えられず、敬語とタメ語が入り混じる。
「これで終わりにはならないって、君は思うんだね? じゃあ、ここから始まるってことで、いいかな」
「始まるって……なにが……」
動揺するな。乗せられてしまう。あんな出口から始まるものが、まともな話になるわけがない。そうか、これで終わりにするという手があったのだ。見なかったことにする。なぜ、そうしようとしなかったんだっけ。――ああ、そうだ。失いたくないから。大事なもの達を失いたくない。やはり、逃げることはできないか。
「あなたは……あの出口で、なにをしようとしているんですか」
「ん……」
折原の笑みが少し翳った。カウンターの中に置いてある、小さな椅子に腰かけて、どこか遠くを見ているようだった。しかし、この質問に答えられないのはおかしな話だ。
「なにがしたいんだろうね、僕は」
「は?」
馬鹿にされているのか、本気で言っているのか。
「長い間……本当に長い間。僕はあの『無』を見つめ続けて、あの先に行けない自分に苦しんできたんだよ」
沙樹は黙って聞いていた。意味は正直わからないが、深刻な話だということはさすがにわかる。
「あれは、僕の出口でもあったんだ」
折原は、そこまで言うと苦笑した。
「いやいや、こんな話をするつもりはないのに」
「大事なことだろ」
「いや、この話は終わり」
「勝手に終わりにすんなよ! 人を巻き込んでおいて」
どこまでも振り回される。中途半端にあんな深刻そうな話を聞かせて。
鋭く睨む沙樹の顔を見つめながら、折原はふっと笑った。
「ああ、僕がなにをしたいのか、だっけ」
言い知れない嫌な感じがして、沙樹の喉がごくりと鳴った。
「そうだね、僕の代わりに誰か行ってほしい。出口の先へ」
蛇口からシンクに、水滴が垂れる音が響いた。じっと沙樹を見据えて瞬きすらせず、折原は微笑む。
「君は、どうだろう。行ってくれるかい?」
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