【小説】出口はどこですか? 第7話
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そんな話、聞くな!
戦意なんて残っていなかったが、わずかな抵抗を目に宿して、沙樹は折原を睨んだ。ユウヤは突然のことに動揺している。
「どうしたの、沙樹君。いつも興味なさそうに黙ってたのに。ついに我慢できなくなっちゃった? そんなにやだったん? こういう話」
「いや……」
あんなこと、言うべきではなかった。言葉を発するつもりなんてなかったのに。
「大丈夫だよ、沙樹君。都市伝説だって! まさか沙樹君が本気にするとは思えないけど。噂話だから、こんなの。ねえ、折原さん」
「そう、軽い冗談だよ」
唇を噛み締める。あんたにとっては冗談だろうな。だが、シャレにならないんだよ、今は。ユウヤを巻き込むな。
「それとも沙樹君、出口について、なにか知ってたりして」
折原が沙樹を覗き込むように、悪戯っぽい目で反応を見ている。
「は?」
「マジか、そっち? 教えてよ、沙樹君! なんつって」
ユウヤは笑いながら、まだ表情の硬い沙樹をさりげなく一瞥すると、お冷を差し出した。
「ジントニック、おかわり作ろうか?」
「ああ、頼む」
空いたロンググラスが回収され、差し出されたばかりのお冷に口をつけた。明らかに折原に弄ばれている。冷静にならなければ。ひとつひとつ、挙げることはできないが、沙樹の大事なもの達が人質に取られているような状況だ。なにひとつ、失う訳にはいかない。
「あ、いらっしゃい!」
「よ」
頭をぽんと軽く叩かれ、顔を上げると見慣れた渋い男性の顔。イケオジと呼ばれる常連の桧山という男である。おそらく沙樹の父親と同じくらいの年齢だが、精悍な顔立ちに、緩く小洒落た着こなし、一歩間違えればくたびれたおっさんにも見えるのに、ぎりぎりなところでイケオジになっている。余裕のある大人の男で、沙樹の憧れでもあった。
桧山は、沙樹が置いている荷物の隣に腰かけて、キープしてあるジャックダニエルのボトルと氷を注文した。ユウヤは手際よく沙樹のジントニックを作り終え、桧山の前にはすぐにボトルとアイスペール、それと氷の入ったロックグラスとお冷が用意された。
三分の二ほど残っているボトルを傾けながら、桧山は沙樹の様子を見て、揶揄うように声をかけた。
「どうしたよ、沙樹。日曜のこんな時間に珍しいじゃねぇか」
桧山のつまみにミックスナッツを用意したユウヤは、会計に呼ばれてテーブル席の方へ向かっていった。少し離れたシンクで洗い物をしている折原が気になるが、せっかく桧山が現れ、空気も変わったので、沙樹は先程のことを忘れようとした。
「今日は夕方まで寝てたんで」
「おー、夜遊びし過ぎると明日しんどくなるぞ」
「そういう桧山さんだって」
とはいっても、桧山が何をしている人間なのか沙樹は知らない。聞けば答えてくれるのかもしれないが、聞くほどではなかった。比較的遅い時間にいることが多いから、朝が早い仕事ではないのだろう。そうかと思えば、開店早々飲んでいたりもするので、時間が不規則な職場なのか、自由が利く会社なのか。いや、会社とは限らない。フリーランスで何かしているのかもしれない。探偵とかも似合いそう。いや、そうそうそこらに探偵なんていてたまるか。……なんて考えたりするくせに、実際に聞いてみたりすることはない。
「俺はいいの。自由にできるから」
「へー……」
「はい、乾杯」
ロックグラスを軽く掲げたので、沙樹もグラスを軽く当てた。氷の上に浮いている新鮮なライムが少し揺れた。ひと口飲む。横目に桧山を見ると、同じひと口なのに、飲み方が渋い。アルコール度数のせいだけではないと思う。そのひと口に、ジャックダニエル以外の何かが入っているに違いない。きっと、人生のあれこれが。いつか沙樹もあんな飲み方をするようになるのだろうか。それまでには、ジントニックを卒業しなくてはダメかもしれない。……もうしばらくは、これでいいや。
「浮かない顔してんな」
「そうですか?」
「家にも帰らず、なんでそんな顔で酒飲んでんだよ?」
「たしかに」
「なんだよ、たしかにって!」
わはは、と笑う桧山の横で、やはり閉店まで居残るのは厳しいかもと思い始めた。しかし、どうしても折原と話をしなければならない。先程の態度を見ると、ますます放っておくわけにはいかない。
「ほら、眉間に皺寄せちまって。いつもすました顔してる癖にどうしたんだよ」
「すました顔なんてしてました?」
「ああ、クールなシティボーイみてぇな」
「なんですか、それ」
苦笑する沙樹の肩を、桧山は軽く叩いた。
「まあ、なにがあったかなんざ聞かねえけどさ、なんもなかったんかもしれねぇし、なんかとんでもねぇことがあったんかもしれねぇけど」
とんでもないことがありました、と心の中で呟いた。
「でも何かしらできることって、あんだよな。どんな時もだ。どうしようもねぇって、八方塞がりだって時でもな、絶対何かしらできることは、ある。それで解決するかは別だけどな。なんもしねぇよりかは、マシだろ。精神的に」
「まあ、そうですね」
今、自分はなにをしようとしているんだっけ。折原の話を聞くこと。とりあえず、それだ。これは一応、桧山の言うように動くことになるだろうか。動くために話を聞くのだから、きっと間違いではない。
「で、そのためにここで酒を飲むってのも、じゅうぶんアリだ。気合い入れねぇとな? 俺はそのために飲んでんだぜ?」
「桧山さん、そんなに追い詰められてるんですか?」
「追い詰めなきゃいけねぇんだよ」
「はあ、逆に」
刑事みたいだな、と沙樹は思った。でも、たぶんそうではない。刑事がこんなに暇そうには思えないからだ。まあ、なんだかんだ言って、どうせ酒が飲みたいだけなのだ。
「なんかつまめよ。奢ってやるから」
「え」
言われて、自分の手元を見ると、水滴で濡れたテーブルの上に水を含んだコースター、そして、そんな中にまだ辛うじて涼し気に立っているロンググラス。この状態から、まあまあ長いこと居座っているのはバレバレだろう。なんのつまみもない沙樹を気遣ってくれたのだろうが、別に金がなくて我慢しているわけではない。それでも、桧山のこういう気前の良さも、沙樹にはとても恰好よく感じられ、兄貴のように慕いたくなるところである。まあ、そんな素振りは見せないのだけれど。
「ああ、じゃあチョコレートを……」
「チョコ? んなクールな酒飲みながら、チョコかよ。チョコっつーのはなぁ……まあ、いいや」
そう言うと桧山は、折原に声をかけ、沙樹にチョコをと注文した。どうせチョコをつまみにするのはブランデーが合うとか、そんなことを言おうとしたのだろうが、沙樹はチョコが好きなのだ。いいじゃないか、ジントニックにチョコだって。
折原が笑顔で、四角い皿に盛った三種のチョコを差し出した。ビターとミルクと、アーモンド。丸っこいのを一粒齧ると、ローストアーモンドがカリッと音を立てた。
「桧山さん」
咀嚼しながら声をかけた。
「あ?」
「ありがとうございます」
「おお。合わねぇだろ? その酒と」
「いいんですよ」
そう言って沙樹がジントニックを飲むのを、桧山は面白そうに眺めていた。
「沙樹君、桧山さんに会えて少しは機嫌直った?」
ユウヤが磨いたグラスを並べに寄ってきた。透明のグラスが軽くぶつかり合い、キン、と澄んだ音がする。
「まーだこいつ、こんな顔してるよ」
「こんな顔ってなんですか」
「こんなだよ、こんな!」
大袈裟にしかめた顔を向ける桧山に、沙樹は不満そうな声を出した。
「そんな顔してないし。機嫌も悪くしてないし」
「キレてたじゃん、さっき。意味わかんないとこで」
「キレてないよ」
「え? おまえキレたのか? 珍しい」
「だから、キレてないって」
ふう、と溜息をついたが、この状況から溜息で逃げるのは難しい。
「なにが気に食わなかったんだ?」
「都市伝説の話が嫌だったみたいすよ。よくわかんねぇけど」
「都市伝説だぁ? そんなの真に受けたのか、おまえ。ちょっとかわいいな」
「違うってば」
そう言いつつも、否定する以外に言い訳もできず、ふたりから顔を逸らした。今、折原は傍にいないようで、それは救いだった。
「最近流行ってるっぽいんすよ、都市伝説。扉とか出口とか」
「ほお?」
「沙樹君、そういうの信じないから、聞いてるのも嫌だったのかも。ね?」
「別にそういうわけじゃ……」
折原が余計なことを言うからだ。そして、都市伝説ではないと知ってしまっているからだ。
「出口かぁ。誰がそんな話したんだ?」
「え、出口知ってるんすか? 桧山さん」
「知らねぇよ」
「ですよねぇ、びびった。沙樹君の彼女の真尋さんが話してたんすよ」
「ふーん……」
なにかを考えているような顔で、桧山はアイスペールのトングを掴み、グラスに氷を足した。
出口の話……ただの噂話でも、これ以上広まってほしくない。そう思っても、たぶんこれから益々広まっていくのだろうなと想像できる。この手の話は好きな人間が多いのだと最近知った。食いつくな。出口は食いついていい餌じゃない。そう考えれば考える程、やはり、まったく興味のない自分にだけ、秘密を明かした折原の意図が心底理解できない。
「なあ、折原」
ふいに、桧山がカウンターの反対側にいた折原に声をかけた。
「ん? なんですか?」
笑顔で折原が歩み寄ってきた。沙樹は気が気でない。余計なことを言わないといいけれど。
「おまえも、出口の話、知っているのか?」
「ん?」
折原は一瞬、止まった。なんだろう、この感じ。ユウヤはわからないだろうが、沙樹にはわかる、妙な空気だ。
「あー、出口。知ってますよ、噂はね。さっきもその話してたんですよ」
「そうか。俺にも聞かせてくれよ、その噂話」
桧山はそう言うと、ジャックダニエルのボトルを傾け、どぼどぼとグラスに注いだ。
折原は、笑顔のまま、黙って桧山と向き合っていた。意図を探っているようだった。喜んで、あることないこと喋ると思っていた沙樹は、意外な展開にグラスを掴んだ手が止まった。
「ダメっすよ。そんな話するな! って沙樹君キレちゃうから。ね? 折原さん」
「ああ、うん。そうだね」
いや、この展開は見ていたかったが、ダシに使われてしまった気がする。
「沙樹、いいか? その噂話を俺が聞いても」
ぜひ、と言いかけて、慌てて「はい」と答えた。何かを期待してしまう。それが何なのかわからないが、折原はいつものペースを乱されているように見える。
折原の笑みが、微妙に硬くなっているのを沙樹は見逃さなかった。
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