見出し画像

【小説】出口はどこですか? 第16話

Prev……前回のお話


折原おりはらさん、今日も忙しそうだね」
 会計中の客が、折原に声をかける。たしかに、日曜の割にだいぶ賑わっている。注文を取り、酒やフードを作り、後片付けをし、会計まで……ひとりでこなすのは大変そうだ。
「はは、そうですね、バイトでもいれば、もう少し楽できるんだけど」
 沙樹さきはロックグラス越しに、愛想笑いをしている折原を眺めた。
「ごちそうさま」
「ありがとうございます、またお待ちしてます」
 客を見送ると、すぐに他の客の注文を取りに行った。これでは話す暇がない。元々、営業時間のうちに話すつもりはなかったが、そんなことよりこの男、こんなにてんてこ舞っていたか? 金曜や土曜なら、今より更に人が入るはず。沙樹は首を傾げた。妙な違和感、落ち着きのなさ。出口の話を聞いてから、この店は落ち着く場所ではなくなっていたから、それはいい。でも……なんなんだ? この胸騒ぎ。いや、気にし過ぎかもしれない。今日はなんだか情緒不安定だ。わけもなく涙が出るとか、病んでんのかな、俺。真尋まひろと別れたから? だっさ。
「よお、沙樹」
 甘めの渋い声に振り向くと、桧山ひやまがポン、と沙樹の頭に手を置いた。
「今日は早いですね」
 体を引いて桧山の手を避けながら、沙樹は素っ気なく返事をした。
「おお、沙樹坊ちゃんは今日も不貞腐れてんのか? なに飲んでんだ、それ」
 桧山は荷物を隣の席に置いて、沙樹の斜め横、カウンターの角に座った。
「バーボン……メーカーズマークです」
「ガキが飲む酒じゃねぇな」
「ガキじゃないです」
「なんだよ……お前、ほんとに元気ねぇのか?」
 桧山は沙樹の顔を覗き込んだ。沙樹は顔を逸らす。なぜバレたのか。いつも通りにしていたつもりだが。やはり今日の自分は、他人から見てもおかしいのだろうか。
「こんばんは、桧山さん。いらっしゃい」
「ああ、ボトルと氷くれ」
「はい、少々お待ちを」
 沙樹がひと口飲むついでに桧山の方をちらっと見ると、桧山は肘をつき、遠慮もなしにじろじろと沙樹を眺めていた。
「ちょっと……なんですか?」
「あ? お前が心配なんだよ。抱え込むなって、言っただろ?」
「そんなこと言ったって……」
「なぁに、もごもご言ってんだよ」
 返事の代わりに、溜息をついた。出口の話なんて、誰にもできない。巻き込みたくないし、そもそも、本気にしてもらえるかもわからない。いや……桧山はもしかしたら、いい相談相手になるかもしれない。なんといっても頼もしいし、たぶん、真剣に聞いてくれるだろう。仮にそうだとしても、星形の月で話せるわけがなかった。
「お待たせしました、桧山さん」
 タグのかかったジャックダニエルのボトルと、氷の入ったロックグラス、それにアイスペールとチェイサーが用意される。
「沙樹君、なにか悩んでいるのかい?」
 折原が沙樹に微笑む。こいつ……本当にタチが悪い。
「ったく。悩んでいるのかい? じゃねぇよ。そんな聞き方じゃ話したくても話せねぇだろ。そもそも現代人ぽくねぇんだよ、お前の話し方は。もっと研究しろ」
「えっ……そうでしたか?」
 妙にショックを受けた顔をしている折原を見て、沙樹は少し気分が晴れた。まあ、桧山が現代人ぽいかと言われれば、それも違う気がするが。
「もう、いいから、折原はあっちいけ。沙樹の相手は俺がしてやる」
 はあ、と間抜けな返事をして、折原は名残惜しそうにカウンターの向こうに消えた。そうは言っても、出口の話ができるわけでもない。沙樹がなにか話すのを期待されても困る。
「なあ、沙樹。無理に話すことはねぇよ。すべてを投げ出したきゃ、投げ出したっていいけどな。でも、自分を投げ出したりは、しないでくれよ?」
「え?」
 そこまで心配させてしまっていたか。自殺でもしそうに見えたか? ここ最近、出口のことで頭を悩ませてはいるが、自分が出口の先に行こうと考えたことはなかった。消えてしまってもいいとか、どうなってもいいとか、たぶん、自分を投げ出すって、そういうことだろ?
「俺はそんな馬鹿じゃないです」
「うん、そうだな」
「でも……」
 沙樹は、だいぶ氷の小さくなった、ロックグラスの中身を覗きながら、呟くように続けた。
「もし、周りの誰かが、自分を投げ出した時は、俺、どうすればいいんだろう。もし、それに気づいてやれなかったりしたら……」
「投げ出しそうな奴がいるのか?」
 桧山が目を細めて、尋ねる。店内の雑音が遠ざかった気がした。
「いや、わからないけど……たとえば、気づかないうちに誰か消えたり――」
 なにを言っているのか。こんなことを言ってもわかるはずないのに。沙樹は口をつぐんだ。
 桧山の視線を感じながら、沙樹は水をひと口、飲み下した。
「お前は、気づきたいって話か? 知らねぇうちに起きているかもしれねぇことに」
「まあ、はい」
 ふーん、と言いながら、やっと桧山は沙樹から視線を外し、遠くを眺めるように考えている。こんな話、半端に聞いても、言えることなどないはずだ。それなのに、それ以上を話させようともせず、真剣に考えてくれている。やっぱ、この人、かっけぇな。
ほころび、ってわかるか?」
「綻び?」
 周囲の音が完全に消え、沙樹には桧山しか映らなかった。まるで、この世から切り離された不思議な空間に閉じ込められたような感覚。
「ああ。物事には道理があって、そこに無理や矛盾が生じると、当然綻びが出てくるんだ。どんな綻びかわかんねぇ。説明できない現象や、感情、そんなもんかもしれねぇし、それはお前が気づくしかない。わかるか? お前は綻びを探すんだ」
「綻び……」
 わかるような、わからないような……いや、さっぱりわからない。それでも、なぜか桧山の言葉には説得力があった。綻び。覚えておこう。
「まあ、なんにせよ、大事なのは、情報を集めるってことだな。情報がなきゃ、世の中の機微に気づくなんて無理だろ」
「情報……」
 といっても、ネットで検索したって出てこない。折原しか情報源がないのは絶望的である。
「知りたいことはたくさんあるけど、核心がつけないというか……はぐらかされて逃げられるっていうか……」
「なるほどな。なにかを追ってんのか。お前にはいないのか? 嘘や誤魔化しのない、信頼できる情報提供者とか」
「そんなの、いないです」
 言ってから、沙樹の頭になにかが光った。一瞬だった。今、なにかが見えた気がしたのだが。

 ふと、店内の騒めきが戻ってきた。周囲が明るくなった気がする。夢から醒めたような錯覚。慌てて桧山を振り向くと、ジャックダニエルのボトルを傾け、ロックグラスにどぼどぼと注いでいる。
「あ? どうした?」
 桧山が沙樹の視線に気づき、ボトルのキャップを閉め、ごとん、とボトルを置いた。
「いや……ありがとうございます」
「なんか見えたのか?」
「たぶん、なんか見えました」
「そうか。よかったな」

 日曜の夜に閉店間際まで残っているのなんて、沙樹くらいだった。自分は折原に用があったはず。だからこの店に来たのだ。しかし、記憶がぼやけて、具体的な用件が思い出せない。出口について、聞きたいことは山ほどあるが……本当に自分は、そのためにここへ来たのか?
「沙樹君、おまたせ」
 考え事をしている間に、閉店作業が終わっていたらしい。スマホで時間を確認すると、まだ閉店時間まで30分以上あったが、客がけて早めに閉店したのだろう。
 折原はアームバンドを外し、袖を丁寧に伸ばす。沙樹の喉がごくりと鳴った。
「君の用件はなんだい……なんだろうか」
 桧山に言われたことを気にしているようだ。今更言い直さなくてもいいのに。余計なことで、思考の邪魔をしないでほしい。
 さっき、気づいたことがある。知らないうちに誰かが消えてしまったら、と桧山に言いかけて、妙な違和感に気づいたのだ。
「折原さん、あなたの大事な人……名前忘れたけど、出口の先にいるんですよね?」
「ああ……そうだけど……」
「なんで、あなたはその人を覚えてるんですか? 出口の先に行ったら、存在が消えると言った。なのに、あなたはその人が消えたことも、その人が大事な人だという記憶も、あるんですよね? おかしくないですか?」
 これだ。これが綻びってやつか? 少し違う気もするが。ここに気づけたのは、局面打開に繋がるのでは?
「君は……興味がないんじゃなかったかな……」
 折原はなにかを思い出すように、斜め上を見上げていた。
「そんなことは別に不思議じゃない。イルハが、神だからだよ」
 向き合いたくはないが、これを真実として受け止めなければ、手詰まりになってしまう。
「神って……あなたに出口の管理を命じた人? それがその……イルハ……さん?」
「そういうこと。その通りだよ。今、出口の先にいる、神イルハが、僕に出口の管理を命じた。出口に飛び込む、その直前にね。僕は逆らえない。本当は、イルハを見届けてから、すぐに僕も続くつもりだったんだ」
 不思議なことに、今度は意外とすんなり話が入ってくる。物語の中の出来事だと思えば、納得できるストーリーな気がした。
 とはいえ……現実と余りにも世界が乖離していて、なんとか受け入れることができても、情報を整理することができない。今、自分が折原になにを聞くべきかが、全くわからないのだ。イルハの情報、必要だったか? 状況が複雑すぎる。頭の中で無数の糸が絡みに絡んで、取り返しのつかない状態になってしまった気がする。結局……自分はどうすればいいのだろう。やはり、神の話なんか、聞くべきではなかったかもしれない。
「かわいそうなイルハ……」
 折原が呟いた。
「かわいそう? かわいそうなのは、あなたじゃなくて?」
「僕が? なぜ?」
「だって、大事な人に置いて行かれたんだろ? 離れられない身にされて」
「それはきっと……僕への罰なんだ」
「あーもう、無理だ。それ以上言わないでください。ほんと無理。限界」
 沙樹は手と言葉で折原を制した。折原も、それ以上言うつもりはなかったようだ。今日はもう、帰ろう。明日も朝から仕事だというのに、こんな時間まで……。やれることは、やったのだ。結局、今日星形の月に来た、明確な目的は思い出せなかったが、成果は十分だろう。

 こんな無様な形ではあるが、これから、どうするべきか、なんとなく、わかってきた。
 どうしよう……このままでは、どんどん深みにまっていく。取り返しのつかないことになるかもしれない。けれど、恐らく深みに嵌まらないと、出口の抜け道が見えないのだ。桧山の言う通り、今必要なのは情報で、それが足りなければ、今の沙樹は身動きも取れない。今日聞いただけでも、頭が追い付かず、逃げるように帰ってきた。整理できなくても、仕方ない。内容が内容なのだ。今は情報を集められるだけ集めて、そこからなにかを導き出せばいい。できることは、他に見当たらない。
 情報源は折原だけ? いや、情報を持っている人物は、折原のほかにもいるのだ。嘘や誤魔化しのない、信頼できる情報提供者に、なり得る人物。その存在に気づいたけれど、どうしても、関わらせたくない。
 彼女だけは――。




Next……第17話はこちら



いいなと思ったら応援しよう!