【小説】出口はどこですか? 第17話
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深夜に帰宅。明日は朝から仕事なのに、どうしても眠れない。頭の中には、折原のことでも、もちろん桧山のことでもなく、真尋のことしかなかった。別れた未練などではない。
どうしても、彼女を巻き込むしか、ないのだろうか?
今まで、自分はなんのために逃げもせず、出口に食らいついてきたのか。真尋を関わらせたくなかったからだ。最初に真尋から出口の話を聞いた時から、不気味なものを感じていた。それが、折原に現実を見せつけられてから、恐怖に変わった。なぜって、真尋が追っているからだ。真尋が見つけてしまわないよう、自分の力でどうにかしたかった。なのに、今自分は――その彼女に、協力を求めようとしている。いいのか? これで。なんのために……。
そもそも、彼女はどこまで知っているのだろう。不本意ながらも協力を求めようとしているのは、出口の存在を知っていたからである。いや、厳密には違う。出口の存在ではなく、出口という存在、が正しい。折原は彼女に話していないと言っていた。おそらくそれは真実だ。だから店でも――あれ? あの時、誰が聞いていたんだっけ。真尋から初めて出口の話を聞いたのは、イタリアンの店の外。その後、星形の月に行って、改めてその話を聞いた時……聞いていたのは自分だけじゃなかったはず。むしろ、真尋はその人に向けて話していたような……誰だっけ。カウンターの向こうに話してた真尋の姿は思い出せるのだが、それって折原ということになるが。
おかしい。なんだ、この違和感。記憶違いか? もしかして、夢だった? いや、そんなはずない。何度も何度も、思い返していた。真尋が出口の話をしていたということが、自分の恐怖だったからだ。なのになぜ、思い出せないのだ。
やはり……本人に聞くしかないのか。なぜ、出口を知っていたのか。そして、あの時、誰に話していたのか。可能な限り、関わらせないために、少しの嘘はやむを得ない。真尋を関わらせたくないのに、真尋に協力を求めるのは心底不本意だ。でも、たぶんだけど、真尋を守るためにも、知らなくてはいけないことがあるのだ。無闇に遠ざけようとしても、それだけでは限界がある。おそらく今、出口から一番近い場所にいる自分と別れたら、少しは真尋を遠ざけることができるかもという思いもあった。でも、真尋は自分とは離れた場所で、出口という存在を知っていたのだ。真尋を、信じよう。賢い女性だ。この世から消えるとわかっていながら、出口の先になんて、行かないはず……。この世から消えると、知らなかったら……? もし、折原に、騙されたら――。
そう、ならないように、俺が守るんだ。
そう決心して月曜の朝を迎えたのだが……いざ、連絡をしようと思うと躊躇した。
いや、別れたばっかじゃん! なんなら自分から別れを告げたのに、その二日後に「聞きたいことがあるんだけど」ってどういう神経だよ。しかも、その「聞きたいこと」がふたりには関係なさそうな、出口の話。さすがの真尋も怒るかもしれない。いや、怒る姿は想像できない。むしろ、怒るならそれはそれで見てみたい気もしてしまう。……じゃなくて!
昼休みに訪れたファストフードの二階、窓際の席で、沙樹はひとり、スマホの画面を睨み、ずっと同じことをぐるぐると考えていた。腹は決まっているのだ。ただ、どのツラ下げてって話で……。真尋のためだなんて、思い上がりだよな。じゃあ、なんのためって、引くに引けなくなった自分のためかもしれない。いや、たぶんそうなんだ。だから今更、取り繕っても意味がない。嫌われる覚悟で連絡しよう。
【いきなりごめん。聞きたいことがあるんだけど】
文字を打つなり、すぐ送信。余計なことを考えたら、また無駄な躊躇いが生じる。午前中は、仕事にまったく集中できなかった。そして、返信が気になって、午後も集中できなくなるのだろう。もしかしたら、ずっと返信は来ないかもしれない。そうなったら、どうしよう? 電話する? それも無視されたら?
ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ……。信じられない。真尋から着信だと? 今送ったばっかなのに? どう思ったんだろう。怒りの電話だったら……いや、考えてもしかたない。
「も、もしもし……」
「あー、沙樹君! ごめんね、今外だから文字打つより電話の方が早いかなって思ってさ。大丈夫だった?」
「ああ、うん、まあ」
明るい、いつも通りの真尋の声に、心臓が暴れまくっている。彼女はなぜ普通でいられるのだろう。別れたばっかなのに。なんとも思っていないのかな。
「で、聞きたいことだっけ? なんだろう?」
「えっと……話すとちょっと、長くなるかもしれないんだけど」
昼休みのファストフードで話したくはないし、できれば電話ではなく、会って話したいが、さすがにそれは――。
「急ぎの用かな? 木曜の夜なら、私時間あるけど、それじゃ遅い?」
「遅くない。大丈夫」
「よかった。じゃあ、お茶でもしよう」
マジか。こういう時の、真尋のリード、本当にありがたい。時間と場所を手際よく決めて、真尋は電話を切った。リードされるばっかで、もうダサいとか、そんなことも思わない。彼女の隣を歩く関係ではないのだ。
木曜夜、仕事を早々に切り上げ、沙樹は約束の店に向かった。純喫茶「羽毛布団」。場所をネットで検索しようとしても、布団店や洗濯の方法などが出てきてしまい、戸惑ったが、見つけてみれば、ダーツでよく行くネットカフェの裏だった。そんな変な名前の店、見覚えがないが、行ってみればわかるだろう。
あった、純喫茶「羽毛布団」。見た目は地味で古臭く、前を通っても存在に気づかなかった。ほんと、どこでこういう店を見つけるのだろう。木製のドアを引こうとして、急に手汗が滲んだ。どんな顔をして会えば――。
「お、沙樹君」
後ろから声を掛けられ、驚きのあまり勢いよく振り向くと、真尋が笑顔で小さく手を振っていた。
「ここのウィンナーコーヒーが美味しいんだよ。こんなに美味しい生クリーム、なかなかないからぜひ沙樹君に試してみてほしい」
「へぇ……」
ビニールに包まれた、古びて黄ばんでいるメニューを眺めながら、「じゃあ、それで」と答えた。他に客はほとんどいない。クラシックが小さく流れる静かな店内。気づけば、先程までの緊張が嘘のように、気が楽になっている。普段と変わらない、真尋のおかげだ。
「あと、プリン! 固めで卵の風味がしっかりしててね、そこにビターなカラメルの……どうかした?」
「いや、ごめん。元気だなと思って……」
つい、笑ってしまい、誤魔化すためにおしぼりで手汗を拭いた。
「ああ……そうか。私も少し浮かれてたみたいだね」
「浮かれた?」
「いや、沙樹君からもう連絡来ないかもって思ってたからさ。会えて嬉しいよ」
「そっか……」
ストレートに気持ちを伝えてくれる真尋に、なんて返せばいいかわからなかった。
ふたりでウィンナーコーヒーを注文した。真尋によると、プリンは二杯目のブラックコーヒーと一緒に頼むのがいいらしい。
「それで、聞きたいことってなにかな?」
真尋相手に、回りくどいことはしない方がいい。
「前に……出口の話、してたよね?」
「え!」
あまりにも唐突で、驚くのも無理はない。こんなに目を丸くしている真尋は、初めて見た。
「そのことについて、聞きたいんだ」
「いいけど……話せるほど、私も知らないよ?」
「うん、大丈夫。真尋はどこで知ったの? 出口」
おまたせしました、と不器用なホイップクリームが盛られたウィンナーコーヒーが運ばれてきた。とりあえず、こいつは後回し。
「んーっと……前に神話の話、したの覚えてるかな。フェリー神話。その資料を漁ってたら、関連資料として見つけたんだよ」
やっぱり神話絡みか。そんな気がしていた。
「なんて書いてあったの? その資料には」
「要約すると、出口ってものがある、ってことだけ」
「え?」
「海外の資料で、保管が雑だったから、実際にどの部分の関連資料なのかもわからないんだよね」
「そう、なのか……」
詳細不明にしても、噂話とは次元が違う。まさか資料が残っているとは。
「出口のこと、知ってる人はたくさんいるの?」
「もちろん、知ってる人はいると思うけど、まだ研究は進んでないんじゃないかな。データも散らばったままだし……。でも、私も詳しくはわからないんだ。ちゃんと調べてもいないしね」
「え? 真尋、あんなに興味持っていたのに、調べてないのは意外だな」
「いろんな想像が膨らんで、期待してしまったのかもしれない。だから、しばらくそのままにしておきたかったんだ。知ってみたら、がっかりすることも、あるじゃない?」
「そうだね」
「沙樹君、興味あるの? それこそ、意外だな」
「あー……いや……まあ、そうだね」
「んー、なんか事情がありそうだね。研究者の血が騒ぐけど、聞かないでおくよ」
正直、出口の話をすることは覚悟していた。話さないまま進められるわけがない。なのに彼女は無理に話させようとしない。
「それで、私は出口のことを調べればいいのかな? そういう話だよね? たぶん」
誰でもない、自分の手で、彼女を巻き込んでしまう。でも遠ざけるんじゃなくって、傍で守りたいんだ。
「俺は、出口の情報が欲しい。でも、真尋を巻き込みたくないんだ。どの口が言うんだよって感じだけど、真尋は俺の……。いや、どうか、約束してほしいんだ。もしも、万が一、例えばの話だけど……出口を見つけたとしても――」
もう、出口があるって言っているようなものじゃないか。
「……沙樹君はなにか、知ってるんだね?」
真尋は真剣な目で、沙樹の俯いた顔を覗き込む。3秒くらい、そうしていた気がする。
「いいよ、大丈夫。話せないことなんだね。わかった、約束するよ。もし、出口を見つけても、私は深入りしない、それでいいかな」
研究者にこんな約束をさせるのはあまりにも酷だと思う。
「出口は、あるんだ。信じられないかもしれないけど。それは、とても禍々しくて、その先は無だと聞いた。出口の先は、無なんだって。その先に行けば、この世からは存在ごと、消えてしまうらしい。最初からいなかったものになってしまう。俺が知ってるのは、まあ、そのくらい……。それで、俺は……真尋に行ってほしくないんだ」
関わらせたくないのなら、本当のことを話すのもひとつの方法だ。誤魔化しのきかない真尋には、可能な限り、正直でいたかった。
「なるほど、そういうこと。……そうかぁ、出口は……あるのかぁ……」
興奮した顔で、小さく呟いていた。研究者にとっては、すごいことだよな。知りたいに決まっている。どんなことだって。なんなら、直接現地に行って、研究したいはずだ。
「沙樹君はどうしたいの? 私から出口の情報を得て、なにをしようとしてるのかな」
「終わりにしたいんだ。うまく言えないけど。このままでいいわけなくて」
真尋は、正面から真っ直ぐに沙樹の目を見つめた。見透かされて、困ることももうない。
「うん、そっか。じゃあさ。終わりにすることができたらさ、その時に、すべてを話してくれないかな。それまでは、私はなにも聞かないようにする。君が終わりにできるように、協力するから」
俺が愛した人は、惚れ直すほど、かっこいい。
「でも君は大丈夫? 私も沙樹君と約束するからさ、沙樹君にも約束してほしい。危険なことは、絶対しないでね。私にとっても沙樹君は――」
そこで言葉を切った。今となっては、微妙な関係のふたり。
「大事な人、だからさ」
「お待たせしました、羽毛コーヒーと、プリンです」
羽毛コーヒーはともかくとして、プリンは昔懐かしのって雰囲気のレトロ感漂うプリンだった。食べなくてもわかる、こいつは絶対美味い。
固めのプリンを小さなスプーンで掬い、口に運ぶ。
「なあ、あの、神話の話だけど……」
「うん!」
沙樹から神話のネタを振られて、真尋は心底嬉しそうである。
「イルハ……って神、出てくる?」
「ん? イルハ……」
スプーンを片手に、首を傾げて考えている。
「いや、イルハは聞いたことないね。それは、何の神なのか、わかる?」
「神にも種類があるのか?」
「うん、たいてい、それぞれの神は司るものがあるんだよ。まあ、すべての神が明らかになっているわけではないから、まだまだ知られていない神も、いるはず。イルハって名前は聞いたことないなぁ」
「そうかぁ」
もしかしたら、フェリー神話の神ではないのかもしれない。いや、でも出口がフェリー神話と関連しているのだとしたら、やはりイルハも関係しているのだろうか。
「美味しいでしょ、プリン」
「うん、むちゃくちゃうめぇ」
正直、むちゃくちゃうめぇって程ではなかったが、なんかそう言いたかった。そんな気分だった。
最後に、聞いておきたいこと。
「真尋。なんであの時、俺に出口の話をしたの?」
真尋はブラックの羽毛コーヒーを飲みながら、不思議そうな顔をしていた。
「なんでって……特別な意味はなかったけど……なんか変だった?」
「ううん、なにもおかしくない」
ほれみろ、あほ折原。あいつ、適当に鎌かけやがって。でも、そんなことより。
「あの時、イタリアンの店の前で、俺、聞いたんだよな、出口の話。その後さ、星形の月に行ったじゃん? あそこでも、話したよな? 出口の話」
「うん……? そうだよね、話したかな、うん」
「あの時さ。誰に話してた?」
「誰にって……」
沈黙。沙樹は固唾を呑んで、答えを待った。あの時、カウンターの向こうにいたのは、誰なんだ?
「なんでかな。カウンターの向こうに、話してたよね、私。でも折原さんではなかったと思う」
やっぱり。誰か、いたのか? あの時。でも、なぜ思い出せないのだ。
「なんか……異世界の扉の話とか、聞いたんだよね、たしか」
「そうだっけ?」
そういえば、すっかり忘れていたが、まだ出口の話を知る前、そんな噂があった気がする。星形の月に、異世界の扉があるとか……ただの噂だと思って気にしていなかったが、それって、誰が流した噂だったんだ? 出口とは言っていないから、微妙にズレてはいるけれど、火のない所に煙は立たない。異世界の扉の噂……出口のこと、沙樹以外にも知っている人間がいる? もしも、だけど。あくまでも、仮説だけど……もう既に、沙樹が知るより前に、出口の先に進んだ人がいるんじゃないのか……? それで、あの時、カウンターの中にいた誰か。もしもその人も、消えてしまったのだとしたら。
真尋の顔を見ると、真尋も同じことを考えているようだった。
「出口の先に行ったら、帰ってこれないのかな」
「存在は消えると言っていた。実際、たぶん、誰かが消えている。帰ってこれるとは、思えないけど……」
ふたりは沈黙した。出口のことを知らなかったら、気のせい、で終わっていたかもしれない。でも、気のせいではないだろう。思い出せない、誰かが、きっと存在していた。こういう時は、どうするんだっけ。綻び。そうだ、綻び。綻びを探したら、どうにか状況は変わるのか?
「終わりにするの、すごく大変そうだね」
「うん、正直、あまり自信ない」
「大丈夫だよ、沙樹君。私のことは、巻き込んで大丈夫。出口の先に、行ったりしないし、話したくないことは、話さなくていい。ただ精一杯、協力するよ」
「なんで、そんなことを――」
「初めて、頼ってくれたからかな」
こんな頼もしい彼女と、対等にいようとしていた自分は随分、身の程知らずだった。わかっていたけれど、思っていたよりずっと、いい女なんだ。そしてたぶん、俺たちは、この距離が、ちょうどいい。
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