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【小説】出口はどこですか? 第22話

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 ユウヤ……。どこに消えたかなんて愚問だな。あいつの言うことなんて聞くなって、もっと早く教えるべきだった。晴希はるきはみんなの弟なんかじゃない。ユウヤの弟じゃないか。なんで――。
 待て。ユウヤの弟、晴希はあの四角い建物の中で、長いこと眠っていたはずだ。原因不明って言ってたな。星形の月に現れた晴希はいったい誰なのか。目が覚めて、星形の月に現れた? 兄を捜して? なぜ覚えているんだ……神郷こうざとユウヤを。

 駅と星形の月と、自宅のちょうど中間あたり。歩道の真ん中に立ち尽くす沙樹さきは、ゆっくりと歩き出した。行く先なんて決まっている。悲憤が身体に浸透していくのと共に、徐々に歩みが速くなる。速く、速く……早くあいつを! 人影もほとんど見えない日曜の深夜、小綺麗な郊外の通りを沙樹は駆けた。歯を食いしばり、怒りに顔を歪ませ、誰よりも何よりも速く駆けた。生温く重い空気が風になり、耳を掠めて音を立てる。走る姿は斜体になって、少しくらい火を噴いていたかもしれない。頭の中は真っ白? いや、真っ黒だ。深紅が極まり、黒一色の頭の中。心臓は喉の下でぐつぐつと煮えて、もうすぐ口から吐き出される。あと少し、厚手の風に溶け込めば一瞬だ。ぼたぼたと頬を殴るのは、黒い絵の具――いや、雨か。

 なんだ、雨は明日の昼からじゃなかったのかよ。沙樹は肩で息をしながら、すっかり濡れたドアノブをしっかり掴み、思い切り引き寄せた。
「あれ? いらっしゃい――」
 沙樹の姿に驚きと若干の怯えを見せ、立ちすくんだ折原おりはらの懐に飛び込むのも一瞬だった。胸倉を掴んで、棚が並ぶ壁に叩きつける。何かが崩れ落ちて割れる音がする。折原の喉が鳴った。
「神郷ユウヤだ。お前がこの世から消した男。簡単に忘れられると思うなよ!」
 押し殺した声で叫ぶと、食いしばる歯がガチガチと震えていた。もしかしたら歯の隙間から、燃え上がる感情の煙くらいは漏れていたかもしれない。折原の胸倉をギリギリと締め上げる手を、ふいに誰かに掴まれて、沙樹は噛みつくように横を振り向いた。
「まあ、待て、沙樹。営業中だ」
 桧山ひやまの姿を見て、沙樹の視界は急に広がった。体中の液体が下におりていく。なぜか涙が溢れそうになり、唇を噛んだ。折原の喉元から両手を離す。一歩、折原から離れて、息が上がったまま店内を見渡すと、幸い他に客はなく、カウンターに桧山の飲みかけのボトルセットが並ぶだけだった。両膝が震えている。いや、両腕も、指先も、なんなら脳まで震えているのではないか。よかった。怒りに任せ、手を上げたりせずに済んで。
「ほら、鍵をかけてこい」
 なぜ俺が、と咄嗟とっさに動けなかった沙樹の肩を、桧山が叩く。
「五歩でも十歩でも歩いて、冷静になれよ」
 そう言われ、素直に扉の方へ歩き出す。自分で思ったより体が重い。息を整えながら扉まで進み、カチャンと鍵をかけた。雨がアスファルトを叩きつける音が、微かに聞こえる。垂れ流しになっている落ち着いた洋楽のBGMが、不穏な三人を包んでいた。
「ああ……神郷こうざと……そうか、沙樹君は見つけたんだね。消えた彼を」
「お前はどうなんだ? 折原」
 桧山がカウンターの自分の席の脇で、立ったままロックグラスを持ち上げる。沙樹は扉にもたれ、重いこうべを垂れた。自然に話に入っている桧山に、それほど違和感もなく、思えば最初から彼はなにか知っていたと、むしろ納得する。桧山が何者なのか、考える余力はない。そんなことはどうでもよくなっていた。
「僕は……そうだ、僕は彼に……出口の向こうで、君の弟と同じような……可哀想な子どもが彷徨さまよっていると……そう、彼の弟はずっと眠っているようだったから。出口の向こうの子を連れ戻してくれたら、僕が君の弟を助けてあげるって……そう言うと、案外あっさり出口へ進んでくれました」
 沙樹はまだ震えている右手をじっと睨み、暴れる胸の中を抑え込んだ。拳を握ると爪の先が、掌に食い込む。ユウヤが弟を大事に思っているのは、よく知っていた。大事なものは、最大の弱点だ。優しいユウヤは、弟とともに、出口の向こうの子のことも、救おうとしたのだろう。
 桧山が静かにロックグラスを置いて、折原を振り向く。
「出口の向こうの可哀想な子どもってのは、イルハのことか? お前、まだイルハが出口の先に生きていると思ってたんだな」
「え? どういう……」
「イルハなんか、とっくの昔に消えてんだよ。お前が大事に守ってる出口は、空っぽだったんだ」
 今更、やっと沙樹は神話のことを思い出した。ユウヤのことで頭が沸き立ち、イルハのことなんてすっかり忘れていた。その響きに懐かしささえ感じてしまう。
 折原が青ざめた顔で桧山を見つめる。
「イルハが消えた……? 桧山さん、あなた誰なんですか?」

 トントン、と扉を叩く音が聞こえ、折原は振り返ったが、すぐに桧山の方に向き直った。
「桧山さん――」

 ドンドンドン! ドンドンドン!

 激しく扉を叩く音に、さすがに三人とも振り向く。沙樹が桧山の方をうかがうと小さく頷いたので、躊躇いながらも、ゆっくり鍵を開けた。すぐに、扉が何者かに引かれる。強く激しい風雨が勢いよく吹き込み、沙樹は身体をけた。
「なぜ君が?」
 折原の動揺した声が雨の音にかき消される。大きな音を立てて閉まる扉の前に、濡れずに涼しい顔をして立っているのは、あの生意気な――ユウヤの弟、晴希だった。
 折原が、吸い込まれるように一歩前に進み出た。まるで幻影を前にしたかのような表情だ。
「そうか……君は、彼の弟だった。今まで気づかなかったけれど、君が神郷ユウヤの弟、晴希だったのか……」
「呆れたものだ。お前はいつまでも無知なままなのか」
 思いがけない晴希の冷たい声が折原を貫く。
「晴希、お前……」
 沙樹が晴希の肩に触れようとすると、閃光と衝撃で弾かれた。明らかに晴希の様子がおかしい。いや、これが本来の彼の姿なのか?
「まさか君は……いや、まさか……」
 折原の震える声をかき消すように、扉や窓がガタガタと騒ぎ出す。
「神郷ユウヤは私の――僕の兄だ。貴様まさか出口に葬ったなどと言わないだろうな?」
「イルハ……!」


 窓の向こうに大きな音を立てて稲妻が走り、窓ガラスが割れ、破片と共に風雨が吹き込んだ。沙樹は両腕で頭部を庇ったが、店内の電球が弾けて、降ってくる。悲鳴、轟音、唸り声。そこに重ねて、鳥のさえずりや、猫の甘えた鳴き声、オペラを彷彿とさせるコーラスが響き渡る。空間が歪み、立っていられない。しゃがみ込むと何者かの手が沙樹の腕を掴み、乱暴に引き上げられる。船の上? 荒れ狂う海に甲板が軋みながら沙樹の体を跳ね上げる。女神の船首像が砕け散り、キラキラと頭上から降り注いだ。荒波に大きく船体が傾き、沙樹は海の中に投げ出され、上下左右を見失う。ぬるりと体に纏わりつく液体は海水ではなく血液だろうか。必死に藻掻くが、無数の手に引き摺り込まれ、海の底に沈んでいく。暗闇。無音。無重力。息苦しさだけを感じていると、何かが光り弾けて、再び沙樹の体は宙に舞う。咆哮と共にすぐに大きな獣の手にかかり、ぬかるんだ地面にねじ伏せられ、「もう一回、最初から」と耳元で囁くのは晴希の声。最初からって、どこからだよ。なんで俺がこんな目に……と思う間もなく、ギリギリと全身を締め上げられる。うねりの中、騒がしい複数の影が近づいてきて、赤、黒、紫、燃えるような熱に包み込まれた。稲妻、コーラス、鳥の囀り、悲鳴、さざ波、笑い声。亀裂、粉砕、爆発、破裂、大きな時計の針の音。オルゴール、遠吠え、嵐の夜、泣いているのは子どもだろうか。徐々に大きくなる子どもの泣き声。泣き声。いや、笑っている?
「私の悪夢はホン・フェリアからの贈り物だ。夜が明けるまでいて彷徨え」
 真っ白になり、遠のく意識の中、再び耳元で囁く声。
「早く目が、覚めるといいね」

「目を覚ますのはお前だ、イルハ」
 誰かの声が響き、ふと、沙樹の全身が圧力から解き放たれた。心臓が大きく脈打つ。激しく咳込みながら床を這っていたが、なんとか体を起こし、顔を上げた。あれは……桧山か。別の世界に引き摺り込まれて、現実がわからなくなっている。還ってきたんだよな? まるでバッドトリップしたようだったが、床に飛び散った破片や液体が、今の悪夢は現実だったのだと訴えている。どういうこと?
「かわいそうに。沙樹まで巻き込んじまってるじゃねぇか」
 桧山が沙樹の脇にひざまずき、顔を覗き込んできた。大丈夫か? と頬を二回ほど叩かれる。よくわからない。たぶん、大丈夫じゃない気がする。
「ごめん、沙樹。我を忘れてしまっていた。私としたことが」
「私としたことが、じゃねぇよ。なんなの、お前。耳元で囁くなよ!」
「かわいそうに。怒るとこ間違えちまってんじゃねぇか」
「ごめんね……」
 ガタ、と音がして、三人は崩れたカウンターの方を振り向いた。折原がよろよろと、棚に手をついて立ち上がる。沙樹よりも酷い目に遭ったらしく、白いシャツが破れ、髪も乱れていた。
「イルハ……本当に? イルハなのですか……」
「あんな極上の悪夢は疑いようもねぇだろ」
 桧山の言葉を無視して、折原は晴希……いや、イルハの足元に跪いた。
「貴方をずっと、永いこと……お待ちしていました」
「待っていただけではないのだろう」
 イルハの声が冷たく響く。
「なぜ、そのような姿に……まるで人間のようで、私は気づきませんでした」
「人間だからな。神郷ユウヤの弟、晴希として、生を授かったのだ」
「どこの人間があんな悪夢を繰り出すんだ。立派にイルハだよ、お前は」
 目の前にいる、晴希だと思っていた人間が、実は悪夢の神だったなんて。沙樹は床にだらしなく座り、神話の世界の住人たちを、ぼんやりと眺めていた。こうして見ると、生意気な子どもの面影もなく、彼は晴希ではなくて、イルハなのだろう。
「神郷ユウヤの弟は眠り続けていたと聞いていましたが……」
「兄が無に飲み込まれ消滅した瞬間、遠い記憶と共に目覚めた。寝ても覚めても悪夢だな。まさかお前の仕業だったとは」
 イルハは腕を組んだまま、足元の折原を見下ろしている。薄暗い中、イルハの体は炎のような揺らめきを纏っていた。相変わらず、外は風雨で騒がしく、割れた窓から何かの破片と共に吹き込んでくる。
「答えろ。出口は、どこだ」
「そんな! イルハ、ダメだ! 貴方は行ってはいけない!」
「寝惚けているのか? 私が行かなければ誰が兄を救うというのか!」
 イルハなら、ユウヤを救うことができるのか? 神だしな。希望が見えてきた。沙樹はゆっくりと重い身体を起こし、立ち上がる。
「出口の場所なら、俺が」
「ダメだ! 絶対に教えてはならない! 頼む、頼むから……! 沙樹君、どうか……!」
 沙樹の腰に折原が必死にしがみつく。
「え、なんでそんなに――」
 その瞬間、折原の姿が光り出し、沙樹は目をみはった。古い粗末な衣装を身に纏った折原が、複数のなにかに虐げられている。傷つき、ボロボロになった体で、必死に沙樹にしがみつく。
「もうイルハを失いたくないんだ! 沙樹君、どうかイルハを守ってくれ!」
 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で迫る折原に、沙樹は後ずさった。そんな姿を桧山は冷静に眺めている。憐れむような、諦めたような目。
「ひでぇだろ? イルハを出口に逃がした後、こいつは他の神々にボコボコにされてんだ」
「ええ?」
 今見えているのは、その時の折原の姿なのだろうか。なぜそんなことに、と桧山を振り向く。
「まあ、仕方ない。この世の出口なんてのはホン・フェリアへの背信行為だからな。イルハがこいつに管理を命じたのは、言ってみれば罰と救いだったんだ。そのおかげで、こいつは無事だったわけだしな」
 なるほど、と半端に納得をして、沙樹は腰にしがみついていた折原に目を向けたが、過去の幻影も消え去り、折原の手の力は弱まって、意識は桧山に向かっていた。
「桧山さん……あなた、何者なんですか?」
 折原が改めて問うと、イルハは桧山の方をちらっと振り向き、ため息混じりに明かした。
「彼は、通称『気まぐれなチェイサー』……ホン・フェリアの使いの方だ。お前も私も、知らぬところで見張られていたのだな」
「見張りなんて、そんな大層なもんじゃねぇよ」
 案の定、この人も神話の人物だったわけか。まあ、なんとなくそんな気はしていた。
「俺は……なんでここにいるんですかね?」
 沙樹は神話の人物たちに疑問を投げかけた。いや、ここへは自分でカチコミに来たようなものなのだが、そうではなくて。そもそも、最初からこの人たちの力で片付けることができたのでは。
「兄を救うための鍵が必要だったんだ。見つけてくれたでしょ、兄を」
 イルハは、沙樹に対して話す時だけ、若干晴希になるようだ。
「ああ……綻びとか、そういうアレか……」
 それで、ユウヤはイルハが助けに行ってくれるってことで、いいのだろうか。沙樹は、まだ足元にいる折原に目を遣った。この人が出口の場所を教えることはなさそうだ。まあ、イルハや桧山なら、本気で探せばすぐに見つかるだろうとは思うけれど、おそらくそれはしないのだろう。
「ユウヤを、救うことは可能なのか?」
 沙樹の問いに、イルハは微笑んだだけだった。どっちだよ。
「折原さんには悪いけど……ユウヤを救えるなら、俺は出口の場所を教える。でも、イルハは大丈夫なのか? 無事に帰ってこれるのか? そもそも、一回消滅してるんだろ? ていうかユウヤも消滅したんだよな? どうやって――」
「沙樹、大丈夫。僕、神だから」
「一回消滅してるのに?」
 イルハは、それには答えずに桧山の方を振り向いた。
「協力を頼めるだろうか。どうしても、兄を救いたい。その後のことは、任せるから」
「ああ、やっぱそういうことか。できることはやってやるよ」
「待ってください、イルハ。なぜ彼のためにそんな……」
「黙れ。愚かな者ほど、理由を求める」
 折原を容赦なく斬り捨て、イルハは沙樹に向き直った。
「じゃあ沙樹、場所を教えてもらえるだろうか」
「ああ、はい……」
 折原は気の毒だが、それはユウヤが帰ってくるとわかったから言えることで、このままユウヤが消滅していたら、沙樹も決して折原を許すことはできない。それにしても――。
「折原さん、一応聞いておきますけど。あなたが言う可哀想な子どもってこれですか?」
 沙樹はイルハを指さして尋ねた。
「昔は……こんなではなかったんだよ……」
 あんたらの昔って、いつの話だ。





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