スプレーアートの楽しみ方
はじめに
缶を軽く振ると、中から小さな球が転がる音がする。
紙から少し離れたところでノズルを押すと、細かな色の霧が広がり、白かった画面へやわらかな影が残ります。丸い型を置いた上から色を重ね、そっと外すと、その下に光を受けた惑星のような形が現れます。
スプレーアートというと、大きな壁へ大胆に描かれた作品を思い浮かべるかもしれません。
「自宅でも安全にできるのだろうか」
「絵が得意でなくても、作品らしく仕上がるのかな」
「色が周囲へ飛び散り、片付けが大変にならないだろうか」
スプレーアートは、スプレー塗料の細かな霧を使い、色面、ぼかし、型抜き、重なりを作る表現です。筆で輪郭をなぞる絵とは違い、塗料と画面の距離、ノズルを動かす速さ、型を置く順番によって、色の境目が大きく変わります。
ただし、スプレー缶には可燃性の噴射剤や有機溶剤を含む製品があります。自宅で楽しむ場合も、閉め切った室内を制作場所にするのではなく、自分が使用できる屋外空間や、塗装設備の整った作業場を選ぶことが大切です。
今回は、自宅で道具を保管し、月2回ほど小さな作品を作る場合を中心に、費用、制作場所、塗料の選び方、初めての一枚、安全な扱い方、続けるうちに広がる楽しみ方を紹介します。
スプレーアートの基本情報
一回の標準実施時間 約110分
短く楽しむ場合 約35分
準備と片付けを含む総所要時間 約130分
想定頻度 月2回程度
主な場所 自宅の屋外作業場所、塗装ブースのある工房、利用が認められた制作スペース
一人での実施 可能だが、初回は安全な扱い方を学べる体験教室も選びやすい
施設への依存 道具だけなら小さいが、安全に噴射できる場所が必要
天候の影響 屋外では風、雨、気温、湿度の影響を受ける
110分ほどの日は、題材と配色を考え、作業場所を養生し、試し吹き、本制作、乾燥、片付けまで進められます。実際に噴射している時間はそれほど長くなく、薄く色を置いて乾き具合を見ながら、次の工程を考える時間が多くなります。
35分だけの日は、小さな画面へ二色のグラデーションを作る、丸い型を一つ使う、ノズルと距離による違いを試すといった練習に絞ります。短時間でも、準備と片付けを省かないことが前提です。
スプレーアートにかかる費用
手持ち品を活用する初期費用 0円〜数千円程度
標準的な初期費用 約10,000円
塗装環境まで整える場合 最大約60,000円
一回の費用 0円〜約2,500円
標準的な一回の費用 約400円
年間費用 約13,000円
標準的な初期費用には、少数色のスプレー塗料、画用ボードや厚紙、マスキング用品、下敷きとなる養生シート、手袋、保護眼鏡、製品に適した呼吸用保護具などを含めています。机や保管箱を持っている場合は、必要な材料だけを購入できます。
一回約400円は、塗料の使用分、制作面、マスキングテープ、保護紙などを年間でならした目安です。実際には、一度購入した缶を複数の作品へ使うため、制作するたびに同額を支払うわけではありません。
年間約13,000円は、月2回、年間24回ほど小さな作品を作り、よく使う色や紙を補充する想定です。大きなパネル、多数の色、専用ブース、有料工房、額装まで含めると費用は増えます。
節約のために安全用品を省くことは勧められません。適切な作業場所や保護具を用意できない場合は、自宅へ設備をそろえるより、材料と安全設備を利用できる体験教室や工房から始める方法があります。
3つのおすすめ
1.色の霧が重なる途中に、思いがけない奥行きが生まれる
スプレー塗料は、ノズルから細かな粒となって広がります。
画面へ近づければ色が集まりやすく、離せば広い範囲へ薄く乗ります。手を止めずに横へ動かすと帯のような色面になり、短く噴射すれば柔らかな影を置けます。
黒い背景へ青を薄く重ねる。
その上へ白を少しだけ散らす。
画面の端から紫を加える。
最初からすべてを塗りつぶさなくても、霧の密度が違うだけで、手前と奥のような見え方が生まれます。
筆で色を置く場合とは違い、一粒ずつの塗料を正確に動かすことはできません。完全には制御できない広がりを受け取りながら、次の色をどこへ重ねるか決めることが、スプレーアートの最初の魅力です。
2.型を外す瞬間まで、完成した形が見えない
紙や薄い板を丸く切り、画面の上へ置く。
周囲へ色を吹き付け、その型を外すと、覆われていた場所だけが別の明るさで残ります。直線的な型を使えば建物や文字の輪郭になり、葉やレースを使えば細かな模様が現れます。
型が少し浮いていれば、縁に色が入り込み、ぼんやりとした輪郭になります。画面へしっかり沿わせれば、境目のはっきりした形が残ります。
同じ丸い型でも、背景の色、置く位置、重ねる順番によって、月、惑星、光の輪、水面の泡など、見え方が変わります。
吹き付けている途中には隠れていた部分が、型を持ち上げた瞬間に姿を見せる。その小さな驚きが、一枚を作り進める楽しさになります。
3.失敗に見えた色を、次の景色へ変えられる
スプレーを近づけすぎると、塗料が一か所へ集まることがあります。境目をきれいに作るつもりが、霧が型の下へ入り込むこともあります。
その部分をすぐに隠そうとせず、影、雲、地面、遠くの光として使うと、予定していなかった景色へ変わることがあります。
濃くなった場所へ、さらに暗い色を重ねる。
にじんだ境目を、霞のように広げる。
小さな飛沫を、星や水しぶきとして残す。
スプレーアートでは、最初に決めた下絵を正確に再現することだけが完成ではありません。偶然できた跡を見ながら構成を変えられるところに、画面と相談しながら作る面白さがあります。
最初の制作場所では、広さより空気の流れを確認する
スプレー塗料を使う場所は、机を置けるだけでは十分ではありません。塗料の粒子や蒸気が人、住宅、洗濯物、車、植物などへ流れないことを確認し、自分が使用する権限を持つ場所に限って制作します。
閉め切った室内、玄関、浴室、共用廊下、集合住宅のベランダなどは、においや飛散が周囲へ広がりやすく、安易な制作場所には向きません。室内で行う場合は、使用製品に対応した局所排気や塗装ブースなど、適切な設備が必要です。
風通し 塗料が自分や近隣へ戻らず、安全な方向へ排気できるか
火気 ストーブ、給湯器、コンロ、たばこ、火花の出る器具が近くにないか
周囲 人、ペット、車、窓、洗濯物、植物へ塗料がかからないか
養生 床、壁、机を十分な広さで覆えるか
保管 缶を直射日光、高温、多湿から離して置けるか
処分 使用済みの缶を地域のルールに従って出せるか
風が強い日は、塗料の軌道を予測しにくくなります。雨の日や湿度が高い日も乾燥や仕上がりが変わるため、無理に予定どおり進めず、下絵や型作りの日へ変更します。
最初の塗料は、色数より用途と表示で選ぶ
スプレー塗料は、素材や仕上がりによって種類が異なります。紙、木材、金属、プラスチックなど、何へ使える製品なのかを確認し、表示された用途以外には使用しません。
最初は、黒、白、好きな色一つか二つほどに絞ります。多くの色を一度にそろえるより、少数色で濃淡と重なりを試す方が、それぞれの噴射の広がりを覚えやすくなります。
水性と表示された製品でも、すべてが室内で安全に使えるという意味ではありません。噴射剤や成分、必要な換気、保護具は製品ごとに異なるため、容器の注意表示とSDSを確認します。
初めて使う缶は、作品へ直接向ける前に、不要な紙へ試し吹きをします。噴射口の向き、霧の幅、色、乾き方、下地との相性を確かめてから本制作へ進みます。
初めての一日は、二色の円を一つ作る
初回の目標は、大きな風景を完成させることではありません。小さなボードへ背景を作り、丸い型を使って一つの形を浮かび上がらせます。
1.製品表示と作業場所を確認する
使用できる素材、換気、火気、乾燥時間、必要な保護具を確認します。風向きと周囲を見て、安全に作業できない場合は、その日の噴射を中止します。
2.広めに養生する
作品の大きさだけでなく、その周囲まで保護紙やシートで覆います。缶、型、作品、使用済みの紙を置く場所を分けておきます。
3.不要な紙へ試し吹きする
缶を製品表示どおりに準備し、噴射口の向きを確認します。短く吹き、色の出方と広がる範囲を見ます。
4.背景を薄く作る
一度に濃く仕上げず、ノズルを動かしながら薄く色を置きます。必要に応じて乾燥を待ち、二色目を少し重ねます。
5.丸い型を置く
完全に乾いたことを確認してから、紙皿や切り抜いた厚紙などを置きます。型が動かないようにしながら、周囲へ別の色を薄く加えます。
6.型を外して一度止める
すぐに描き足さず、型を外して全体を見ます。境目のにじみや色の濃淡も含め、一番気に入った場所を一つ探します。
7.乾燥と片付けを終える
作品は製品表示の時間を守って乾燥させます。缶の噴射口を指定された方法で手入れし、使用済みの養生紙と保護具を適切に片付けます。
最初に必要なもの
最低限必要なもの
用途に合うスプレー塗料、厚紙やボード、広い養生シート、マスキングテープ、型として使う厚紙を用意します。加えて、製品表示やSDSで指定された保護眼鏡、手袋、呼吸用保護具が必要です。
あると便利なもの
作品を固定する台、使い捨てできる保護紙、型を持ち上げるための道具、缶を色別にまとめる箱があると便利です。汚れてもよい長袖の作業着も、皮膚や普段着への付着を減らします。
続けるなら用意したいもの
太さや噴射幅の異なる交換ノズル、繰り返し使える型、厚手のパネル、作品保管用の紙や箱を検討します。自宅で継続するなら、使用する塗料に適合した塗装ブースや排気設備について、専門店やメーカーへ確認します。
後回しにできるもの
多数色の塗料、大型パネル、高価な撮影機材、複雑なステンシルカッター、展示用の額は、描きたい作品が見えてからで構いません。最初は、二、三色と一つの型で、薄く重ねる感覚を覚えます。
安全に楽しむために
エアゾール製品の多くは高圧ガスを使い、可燃性を持ちます。使用中と乾燥中は製品表示に従って十分に換気し、たばこ、コンロ、暖房器具、給湯器、火花や高温になるものから離します。缶は直射日光、多湿、高温になる場所や夏の車内へ置きません。
塗料のミストや蒸気を吸い込まず、皮膚や目へ付けないことも大切です。一般的な防じんマスクで、すべての溶剤蒸気へ対応できるわけではありません。ラベルとSDSを読み、扱う塗料と作業内容に適した呼吸用保護具、保護眼鏡、手袋を正しく使用します。頭痛、めまい、吐き気、目や喉の刺激を感じた場合は作業を中止し、新鮮な空気の場所へ移動して、製品表示の応急措置に従います。
公共物、他人の建物、壁、看板などへ、許可なく塗装してはいけません。作品は、自分が使用できる紙、ボード、パネルなどの上で制作し、屋外では塗料が周囲へ飛ばない場所を選びます。
使用済みのスプレー缶は、中身を使い切り、製品のガス抜き方法と居住地域の分別ルールを確認して処分します。中身やガスを出す必要がある場合は、火気のない風通しのよい屋外で製品表示に従い、缶へ不用意に穴を開けません。空にできない缶は、販売元やメーカーへ相談します。
続けるほど変わる五つの楽しみ方
1.一色を薄く置く
最初は不要な紙へ短く噴射し、距離と色の広がりを見ます。濃い作品を作る前に、薄い色面を安全に作れることを目標にします。
2.二色の境目を整える
一色目を乾かし、別の色を薄く重ねます。手を動かす速さと距離を変えながら、はっきりした境目と柔らかなぼかしを作り分けます。
3.型と余白を選んで使う
丸、直線、文字、植物の形などを使い、塗る場所と残す場所を決めます。何も吹き付けない部分も、作品を形作る要素になります。
4.偶然の跡とテーマを結びつける
飛沫を星空へ、にじみを雲へ、重なった色を光や霧へ変えます。技法を見せるだけでなく、風景、抽象模様、文字など、自分が描きたい題材へつなげます。
5.作品群として色を育てる
同じ型を違う配色で描く、小さな作品を季節ごとに残す、アクリル画やペン画と組み合わせるなど、作品同士にまとまりを作ります。販売や展示を目指さず、自宅で色の記録を静かに増やしていくことも一つの深まり方です。
五つの楽しみ方は、上達の順位ではありません。試し吹きへ戻る、二色だけを長く使う、設備の整った工房で制作するなど、安全と生活に合う場所を選びながら続けます。
あわせて楽しみたい関連する趣味
アクリル画
アクリル画は、筆やスポンジを使い、色を混ぜたり重ねたりして画面を作る趣味です。スプレーで作った背景へ細部を描き足したい人や、室内で落ち着いて色の組み合わせを考えたい日に向いています。
ペン画
ペン画は、線や点の密度によって、形や影、細かな模様を描く表現です。スプレーの柔らかな色面へ、建物、植物、文字などの輪郭を加えると、霧のような背景と鋭い線の違いを楽しめます。
プラモデル
プラモデルでは、組み立てた立体へ色を塗り、つやや素材感を整える楽しみ方があります。平面のスプレーアートで覚えた養生、薄い重ね塗り、乾燥を待つ感覚は、模型塗装を学ぶときにもつながります。
型を外したあとに残る、小さな景色
最初の一枚では、色が思った場所より広く飛んだり、境目が少しにじんだりするかもしれません。
けれど、型をそっと持ち上げると、覆われていた紙の色が現れ、その周囲には細かな霧の跡が残ります。整いすぎていない境目が、遠くの光や薄い雲のように見えることもあります。
最初の一歩は、安全に使用できる場所と製品表示を確認し、小さな紙へ一色だけ試し吹きをすることです。
霧の広がる範囲を見る。
少し離して、もう一度だけ吹く。
その二つの跡を見比べるところから、作品は始まります。
思いどおりに色を置くことと、偶然広がった色を受け取ること。その両方が一枚の中で重なったとき、白い紙の上に、自分だけの小さな景色が浮かび上がります。
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