木版画の楽しみ方
版木の上へ紙を置き、ずれないように片手でそっと押さえる。
その上から、ばれんを小さく動かしていく。紙をゆっくり持ち上げると、彫ったばかりの線が黒い形となって現れます。
板を見ているあいだは、完成した絵が少し想像しにくいものです。彫り残した部分へ絵の具が付き、彫って取り除いた部分は紙の色として残る。さらに、刷り上がった絵は版木の図柄と左右が反対になります。
「彫刻刀をうまく扱えるだろうか」
「線を間違えて彫ったら、もう直せないのかな」
「絵を描くのが得意でなくても、作品になるのだろうか」
木版画は、下絵をそのまま紙へ写すのではなく、残す場所と彫る場所を選び、板を一枚の版へ変えていく表現です。彫っている時間、絵の具をのせる時間、紙へ刷る時間が分かれているからこそ、最後に絵が現れる瞬間には独特のうれしさがあります。
今回は、自宅で月2回ほど木版画に取り組む場合を中心に、費用、作業場所、最初の図案と道具の選び方、安全な彫り方、続けるほど広がる楽しみを紹介します。
木版画の基本情報
一回の標準実施時間 約110分
短く楽しむ場合 約35分
準備と片付けを含む総所要時間 約130分
想定頻度 月2回程度
主な場所 自宅の机、個人の制作スペース
一人での実施 取り組みやすい
複数人での実施 同じ版を色違いで刷る、作品を交換する楽しみ方ができる
施設への依存 小さいが、彫刻刀の扱いに不安があれば教室も利用しやすい
天候の影響 ほとんど受けない
一回110分ほどの日は、下絵、転写、彫り、試し刷りのうち、二つほどの工程を進める形が現実的です。小さな版であれば一日で仕上げることもできますが、彫り急がず、試し刷りを見て次回に整える方法もあります。
35分だけの日は、図案を考える、線を版木へ写す、背景を少し彫る、前回の版を一枚刷るというように、工程を一つへ絞ります。毎回完成させなくても、板の中に少しずつ絵が現れていく時間を楽しめます。
木版画にかかる費用
手持ち品や譲り受けた道具で試す場合 0円〜数千円程度
標準的な初期費用 約10,000円
道具や版材を広くそろえる場合 最大約60,000円
一回の費用 0円〜約2,500円
標準的な一回の費用 約400円
年間費用 約13,000円
標準的な初期費用には、小さな版木、彫刻刀、滑り止め、下絵用の紙、絵の具、刷毛やローラー、ばれん、版画用紙などを含めています。彫刻刀や絵の具が自宅に残っている場合は、刃の状態や製品の劣化を確認し、不足分だけ購入できます。
一回約400円は、版木、紙、絵の具などの使用分を年間でならした目安です。一本の彫刻刀や一つのばれんは繰り返し使えるため、実際には版木や紙を購入する回と、ほとんど費用がかからない回があります。
年間約13,000円は、月2回、年間24回ほど小さな作品を作る想定です。大きな版木、多色刷り用の複数版、上質な和紙、専門的な彫刻刀、額装などへ広げると費用は増えます。
最初から本格的な道具を一式そろえるより、小さな版木一枚と基本の彫刻刀、黒一色の絵の具から始める方が、道具を使わずに残してしまう心配を減らせます。
3つのおすすめ
1.彫った場所ではなく、残した場所が絵になる
木版画では、黒くしたい線を彫るのではなく、その線を残すように周囲を取り除きます。
葉の輪郭を残したいなら、その外側を彫る。
夜空へ白い星を出したいなら、星の形を彫る。
黒い屋根を作りたいなら、屋根の面を残す。
鉛筆で描くときとは、白と黒の考え方が少し反対になります。
最初は、どこを彫ればよいのか迷うかもしれません。下絵の彫る場所へ印を付けたり、黒く残す部分を鉛筆で塗ったりしてから始めると整理しやすくなります。
一つの線をきれいに作ることだけでなく、何を残し、何を紙の白へ戻すかを考える。その選択が、そのまま作品の表情になります。
2.試し刷りをするたび、板の見え方が変わる
彫っている途中の版木には、木目と溝が見えています。
絵の具をのせて紙へ刷ると、それまで目立たなかった細い線が現れたり、彫ったつもりの場所に色が残ったりします。そこで初めて、もう少し広く彫る場所や、残しておきたいかすれが見えてきます。
一度目の試し刷りを見る。
版木へ戻り、少しだけ彫り足す。
二度目を刷り、最初の紙と並べる。
木版画は、版を完成させてから一度だけ印刷するのではなく、彫ることと刷ることを行き来しながら形を整えられます。
最初の試し刷りには、予定していなかった線やむらも残ります。すべてを失敗として消すのではなく、木目や手の跡として生かせる部分を探すと、機械で均一に印刷したものとは違う一枚になります。
3.同じ版から、少しずつ違う作品が生まれる
一つの版木を作ると、同じ図柄を何枚も刷れます。
けれど、すべてがまったく同じ仕上がりになるとは限りません。絵の具の量、紙の湿り具合、ばれんで押す力によって、色の濃さやかすれ方が変わります。
黒一色で刷る。
青や茶色へ変える。
色付きの紙を使う。
一部だけ別の色をのせる。
刷り上がった紙へ、筆や色鉛筆で少し色を足す。
同じ版を使いながら、季節や贈る相手に合わせて表情を変えられます。
多色刷りへ進むと、色ごとに版を分けたり、同じ版を彫り進めながら順番に色を重ねたりする方法もあります。紙を同じ位置へ置くための「見当」を工夫し、色が重なった瞬間を確かめる楽しみも生まれます。
最初の作業場所では、版木を固定できるか確認する
木版画は、大きな制作室がなくても始められます。ただし、彫刻刀を使うため、食事や仕事の片手間ではなく、作業に集中できる机を用意します。
机の広さ 版木、彫刻刀、下絵を置き、腕を動かせるか
明るさ 刃先と彫った溝を見分けられるか
版木の固定 滑り止めの上へ安定して置けるか
周囲の整理 飲料、スマートフォン、電源コードなどが刃の近くにないか
刷る場所 絵の具、紙、ばれんを彫刻刀とは別に置けるか
片付け場所 刃物をすぐにケースへ戻し、子どもやペットの手が届かない場所へ保管できるか
彫る場所と刷る場所を、机の左右や別のトレーで分けておくと、絵の具が彫刻刀の柄や下絵へ付くのを防ぎやすくなります。
版木の下には滑り止めを敷きます。彫っている途中で板が動くと、刃先の向きが急に変わるため、広さ以上に安定した作業面が大切です。彫刻刀メーカーも、板のずれを防ぐために滑り止めを使うよう案内しています。
最初の図案は、細かさより白黒の分かりやすさで選ぶ
一枚目には、はがきより少し小さい版木と、形の単純な図案が向いています。
葉、山、魚、家、カップ、果物など、外側の輪郭が分かりやすく、細い線が少ないものを選びます。広く残す黒い部分と、大きく彫る白い部分がある図案なら、丸刀や三角刀の違いも試せます。
文字を入れると、刷ったときに左右が反転します。最初から複雑な名前や文章を彫るより、一文字の印や簡単な記号から試す方が安心です。
写真や他人の作品をそのまま図案へ使う場合は、個人練習の範囲と、公開・販売できる範囲を分けて考えます。作品として発表するなら、自分で描いた図案や、利用条件を確認できる資料から作ります。
初めての一日は、小さな一色刷りから
初回の目標は、多色の作品を完成させることではありません。小さな版木へ一つの形を彫り、黒や紺など一色で試し刷りをします。
1.図案を白黒へ整理する
題材を単純な輪郭で描き、色を残す場所を黒、彫る場所を白として考えます。細かな模様は減らし、離れて見ても形が分かる図案にします。
2.版木へ図案を写す
トレーシングペーパーや転写紙を使い、線が消えない程度に写します。文字や向きのある図柄は、刷り上がりが反転することを確認します。
3.広い場所から浅く彫る
最初から細い輪郭へ刃を入れず、図案から離れた背景を浅く彫ります。刃先の進む方向へ手を置かず、力で押し切ろうとしません。
4.線の周囲を少しずつ整える
三角刀で細い溝を作り、丸刀で広い場所を彫るなど、道具を使い分けます。一度に深く取らず、浅く彫って残す線を確かめます。
5.版木のくずを払う
彫りくずを手で強くこすらず、やわらかいブラシなどで払います。刃物は一度ケースへ戻し、机を刷りの状態へ切り替えます。
6.絵の具を薄くのせる
刷毛やローラーを使い、彫り残した面へ均一になるよう絵の具をのせます。多すぎると彫った溝へ入りやすいため、試し刷りでは少量から始めます。
7.紙を置き、ばれんで刷る
紙を版木の上へ置き、ずらさないようにしながら、ばれんで全体へ圧をかけます。ばれんは、版木の絵の具を紙へ転写するための木版画の刷り道具です。
紙を端からゆっくり持ち上げ、最初の一枚を確認します。余計な色が出た場所だけを少し彫り直し、二枚目との違いを見比べます。
最初に必要なもの
最低限必要なもの
小さな版木、彫刻刀、滑り止め、下絵用の紙、鉛筆、版画用の絵の具、刷毛またはローラー、ばれん、試し刷り用の紙を用意します。初回は、必要な道具がまとめられた入門セットを使う方法もあります。
あると便利なもの
トレーシングペーパー、転写紙、マスキングテープ、彫りくずを払うブラシ、絵の具皿、乾燥中の紙を置く新聞紙などがあると便利です。小さな救急用品も、取り出せる場所へ置いておきます。
続けるなら用意したいもの
彫り方に合う単品の彫刻刀、色ごとの刷毛、版画用紙、作品を平らに保管するファイルを加えます。多色刷りを始めるなら、紙の位置をそろえる見当の道具や、複数の版木も検討します。
後回しにできるもの
高価な専門彫刻刀一式、大きな版木、本格的な本ばれん、多数色の絵の具、版画プレスは、続けたい表現が見えてからで構いません。家庭で小さな木版画を刷るなら、手で使うばれんから十分に始められます。
安全に楽しむために
彫刻刀を使うときは、刃先の進む方向へ手や身体を置きません。版木を手で無理に押さえ込まず、滑り止めの上へ置き、板の向きを回しながら彫ります。
彫刻刀メーカーも、力を入れすぎないこと、刃を動かす先へ手を置かないこと、自分の身体へ向けて彫らないことを基本的な注意点として挙げています。刃が進まないときは強く押すのではなく、刃の状態、角度、木目の向きを見直します。
使わない彫刻刀は、机へむき出しで置かず、刃先を安全な向きにしてケースへ戻します。刃が欠けている、柄が緩んでいる、さびがあるなどの異常があれば、そのまま使用しません。
絵の具や洗浄用品は製品表示に従って使い、口や食品へ触れさせないようにします。油性のインクや洗浄剤を使う場合は換気し、火気を避けます。水性の画材でも、制作後には手を洗います。
長時間同じ姿勢で彫り続けると、首、肩、手首へ負担がかかります。三十分ほどで一度手を止め、版木から目を離して姿勢を変えます。痛みやしびれが続く場合は作業を中止し、症状が続くときは医療機関などへ相談してください。
続けるほど変わる五つの楽しみ方
1.一枚を彫って刷る
最初は単純な図案を一色で刷り、下絵が紙へ移るまでの工程を一通り経験します。彫った板と刷った紙の違いを見るだけでも、版画の仕組みが分かります。
2.同じ線をもう一度作る
線の太さ、彫る深さ、絵の具の量を少しずつ整えます。二枚、三枚と刷るうちに、前回に近い仕上がりを再現できるようになります。
3.かすれや木目を自分で選ぶ
すべてを均一に刷るのではなく、木目を残す、絵の具を薄くする、紙の色を変えるなど、自分が残したい表情を選びます。偶然だった跡が、作品の持ち味へ変わっていきます。
4.多色刷りや連作へ広げる
色ごとに版を作る、同じ版を彫り進める、見当を使って色を重ねるなど、工程を増やします。同じ図案を季節の配色で刷り、数枚の作品としてまとめることもできます。
5.刷った紙を暮らしの中へ残す
ポストカード、しおり、冊子の表紙、季節の便りなどへ仕立てます。展示や販売を選ぶこともできますが、毎年同じ版を取り出し、一枚ずつ刷ることも木版画らしい続け方です。
五つの楽しみ方は、上達の順位ではありません。一色刷りへ戻る、以前の版を刷り直す、しばらく図案だけを描くなど、好きな工程を往復しながら続けられます。
あわせて楽しみたい関連する趣味
消しゴムはんこ
消しゴムはんこも、残した部分へインクを付け、紙へ反転した図柄を押す趣味です。木よりやわらかな専用ゴム版を使うため、小さな図案で彫ることと刷ることを試してみたい人に向いています。
ペン画
ペン画では、線の太さ、間隔、密度を使って、白黒の画面を組み立てます。木版画の下絵を考えるときにも、どの線を残せば形が伝わるかを整理する練習になります。
手製本
手製本は、紙を折り、綴じ、表紙を選んで一冊の形へ仕立てる趣味です。刷った木版画を表紙や扉へ使えば、一枚の作品を、手に取って開ける小さな作品集へ広げられます。
紙を持ち上げたとき、彫った時間が絵になる
版木を彫っているあいだは、取り除いた木くずばかりが増えていきます。
線が少し太くなったり、角が思った形にならなかったりして、完成が遠く感じることもあります。それでも絵の具をのせ、紙を置き、ばれんを動かすと、彫って残した場所が一つの絵としてつながります。
最初の一歩は、小さな版木へ葉や果物を一つ描き、黒く残す場所と白く彫る場所を分けることです。
背景を浅く彫り、一度だけ紙へ刷ってみる。
紙を端からゆっくり持ち上げたとき、板の上では見えにくかった線がはっきり現れます。その一瞬に出会うと、試し刷りの紙も、次の一枚へつながる大切な作品に見えてきます。
休日のよりみち帖では、気軽に試せるものから、少しずつ時間をかけて深めていくものまで、さまざまな趣味やレジャーを紹介しています。「次の休日は何をしよう」と迷ったとき、新しい楽しみを見つける小さなきっかけになれたらうれしいです。これからも、思わず試してみたくなる趣味を一つずつ丁寧に紹介していきますので、ぜひフォローして、次の記事も覗いてみてください。
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