ドラゴンクエストⅡ。「伝説」の最終章に私が見たかったもの
リメイク作品であるHD-2D版ドラゴンクエストⅠ&ⅡのストーリーをⅡの真エンディングまでプレイし、ドラクエとしては久々に感銘を受けました!
皆さんはいかがでしたか?
私は小学生低学年の時にFC版ドラゴンクエストⅠに触れ、その後は7、9と10以外のナンバリングやリメイク版をプレイしています。数あるゲームの中でもドラクエへの思い入れはかなり強い方です。
今日はゲームプレイ後の、情緒的な振り返りというか感想を綴ってみます。
ゲームの内容についての振り返りはコチラの記事を見ていただければと思います。
今回、特にⅡに関してはプレイの途中途中で違和感がありました。ただ、改めて振り返ると、この違和感の正体が今回のドラクエⅡを好きになれた理由でもあるのです。
私に刺さったのは「メインストーリーの隙間に差し込まれる、ちょっとしたキャラクター同士のやり取り」でした。これが今までのドラクエと少し様子が違うのです。
ぼくらは 大切な人たちを守るため 旅に出ます。だけど 彼女は・・・違うじゃないですか
大切なものをすべて失ったわ・・・ 何もかも
でも私・・・ひとりじゃない。ありがとう
私たちの 心にとっても 前向きな旅で ありたいと思うことは 不誠実ではないですよね?

これは3人が旅を始める序盤にかわされるやり取りの抜粋です。これらのやりとりを見た時、ⅢやⅠにはない、精神的な意味での「主人公達の成長」がもうひとつのテーマになっているのだと感じました。
負けることが怖いというよりも 大事な人たちを 裏切る結果に ならないだろうかという 不安が・・・
全部うまくいって ハーゴンを倒した後を 考えても ちょっと さみしい気持ちになるんだよね
あんたこそ よく考えたほうがいいよ。幸せってなんなのか。生きるってどういうことなのか
ただ、ドラクエは「主人公の精神的成長」を表現しにくい作品です。そうです、ドラクエ主人公は「はい」か「いいえ」でしか意志表現をしないように作られているのです。
今回もローレシア王子はその伝統に則り「はい」と「いいえ」のみです。そのかわり、他の3人の仲間を通して個性や成長を感じさせる作りになっています。旧作では仲間に入るときやごく一部のイベント、エンディングくらいでしか話さなかった仲間たちが、旅の途中で悩み、笑い、泣き、怒ります。
いえ、「他の3人の仲間」と記載しましたが、今回のⅡにおいては、パーティ4人をまとめて「主人公」と見るのが正しい気がしています。

今回のリメイク企画の早坂プロデューサーのインタビュー記事の中でこんな発言がありました。
早坂氏:今回のリメイクでは『III』→『I』→『II』を通した、時系列としてのロトの物語というのを新たに描いており、この順番で遊んでいただいてこそビックリしていただけるような展開を用意していることもあり、ぜひHD-2D版は『III』→『I』→『II』の順番で遊んでいただきたいですし、開発者としてもそれをオススメしたいと思っています!
今回のリメイク作品群においては、Ⅲ⇒Ⅰ⇒Ⅱの順番にプレイしてこそ得られるカタルシスが確かにありました。
正直なところ1年前のHD-2DⅢリメイクに関しては「期待は超えてこなかった」と感じています。リリース時のバージョンではバトルのバランスについて色々とツッコミどころがあったのは確かです。ただ、それ以上にシナリオ面での解像度があまり高まらなかった。オルテガの追加ストーリーはあるものの、それに対しての主人公側の描写が弱い。
早坂氏:前作HD-2D版『DQIII』のときは「可能な限り原作から変えず、+αの追加のみにする」というコンセプトだったのですが、本作は「原作から思いっきり変える。ただし根っこは変えない」というコンセプトで取り組んでおり、その”変える”の意識をとても重視していました。
これを読むことで、今回のリメイク群で開発陣が最も見せたかったのは、この「Ⅱ」だったんだな、と納得することができました。
その中で、「精神的な成長」は意図的にⅢやⅠからは省かれていたのかもしれません。Ⅲ、Ⅰをある種「伝説」として扱いながら、Ⅱは温度感を伴った現在進行形の「物語」として、そしてかつて描かれなかったロト三部作の着地点を描くことを意図していたように思うのです。
通常のドラクエでは主人公の描き方から「動機」もしくは「心情描写」が排除されているケースがほとんどです。ドラクエⅢとⅠでは「なぜ魔王/竜王を討つ旅に出るのか?」という「個人」としての動機がどうしても弱く感じてしまう。旅の途中の経験を通した心の動きや変化も見えません。主人公の「顔」が分からないのです。(今回、その辺りをガライの詩がうまく表現していたと思います)
これって現代の文脈においてはとても不自然です。それが物語の「おいしいところ」であるにも関わらず、見せないのですから。
我々はただストーリーをなぞりたいわけではない。何が登場人物の心を動かし、行動を変えるのか? そこに驚きや納得や共感はあるのか? それを見たくてこういう世界に身を委ねます。
初期ドラクエにおいては当時のゲーム機の表現力の限界が理由で、そのような描写(主人公の感情表現)がされていないと思いますが、その後もそういう作風がドラクエのテンプレートとして定着してしまいました。
ところが今回のⅡでは「動機」と「心情描写」を伴った「個」が描かれました。
例えば、ムーンブルク王女には当初「復讐」という旅の明確な理由がありますが、ローレとサマルにはどちらかというとムーンを放っておけない、という流れもあったと思います。その時点ではまだ客観なんです。王子という立場で生きてきたであろう2人が、最初そのような立ち位置であることは自然に感じます。

その後、旅の途中でハーゴンのもたらす不幸や理不尽な様を目の当たりにし、客観が主観に変わっていく中で打倒ハーゴンの意志を固めていく。。。
その過程がそれぞれの立場において、解像度を伴って表現されました。

そして最終盤、パーティがたどり着くハーゴン打倒の目的(大義名分)が「理不尽に奪われない世界にしたい」と語られます。
これは旅の経験から生まれたとても自然な気持ちに根ざしています。そして、とても現代的で、共感性の高いものに感じました。
ぼくたちは 誰も 理不尽に うばわれることなく
幸せに暮らせる世界を 取り戻したいんだ
求めているのは みんなの命や自由が 突然に
理不尽に うばわれないこと。
ただそれだけです
このあたり、今までのドラクエにはあまり見られない流れですよね。
また、大好きなシーンがあります。
ハーゴンとの最終決戦直前にムーンブルクに立ち寄るイベントです。死地に赴く前の覚悟と確認のシーン。王女はそのことを家臣団には伝えず、皆の顔を見に来ただけ、と伝えて去ります。
ちょっと みんなの顔が 見たくなって。
なにか困ったことは ない?
大丈夫?
(中略)
みんな ありがとう。
ムーンブルクは 大丈夫ね。
では 私は もう行きますね。
・・・行ってきます。
ムーンブルク大臣は王女の覚悟を見抜いたうえで、いつも通りに笑顔で接し、背中を見送ります。
そして王女が去った後で、
うぅぅ・・・姫さま・・・。
姫さまは・・・おそらく・・・これより 死地へ 向かわれるのであろう・・・。
(中略)
姫さまは 昔から つらいときほど 周囲を 心配させぬように 笑顔をつくられる。王妃さまが 亡くなられた時も そうでした・・・。
(中略)
そうやって 心配されるのが おイヤだから 私たちにはなにも 言わなかったのでしょう。
姫さまが望むのは きっと 我々が笑顔で 今日を 精一杯 生きること・・・。
わかりますな?
・・・心得ました。
姫さまの勝利を 信じて待ちます。

このゲームの中で一番好きなシーンになりました。
このシーンの素晴らしいところは、王女の「覚悟と確認」の対象が、復讐の象徴である玉座(父王)ではなく、生き残った家臣団にあるところです。この訪問では玉座に立ち寄るシーンは描かれません。王女の心が復讐にとらわれている場合、玉座の前で父王に誓う、というようなシーンとなるはずです。
ところが実際はそうではなく、家臣団の顔を見に寄っただけという描かれた方となっています。つまりこの時点で王女の心は復讐のみで突き動かされておらず、今を、そして未来をみている、ということを表現したかったのでは、と考えています。
それに応える大臣と家臣たちのあたたかさ。このシーンが見られた時点でこのゲームは私の中で名作認定されました。
進行上、必ず発生するイベントではありませんので、見逃している方も多いと思います。こういうイベントをあえて作り、こういうテキストを当ててくるところ、開発者が何を見せたかったのかが伝わってきます。
さらに!
そしてこれに対となるような、シドー討伐後のムーンブルク帰還イベント。ここでのムーンブルク大臣の言葉にまたやられるんです。
私には それよりずっと 姫さまのお心のほうが大事です。
仇討ちを 終えられたことで この先姫さまが 前を向いて 歩んでいけるのか それがもっとも気になるのです。
-中略-
好きな場所で 好きな人と 好きなように あなたの人生を生きてください。
そして帰りたくなったときには いつでも帰ってきてください。
それが我々みなの願いです。

国の行く末と一人の個人の気持ちを同じ価値として扱ってくれているように感じるシーンです。(そしてこの言葉、実はプレイヤー自身にも向けられているのでは?とも思ったりしています)
これはハーゴンを倒し、この先(個の感情を語られることのない)「伝説」の一部となるであろう主人公達に対しても、あなたの個としての気持ちを尊重しています、という表明に見えました。
そして真エンディングでの例の場所への帰還。主人公パーティとプレイヤーである「私たち」が感情的にシンクロし、魂の帰還を感じて幕を閉じる構成とできたのも、Ⅲ⇛Ⅰの「伝説」を下敷きとして、Ⅱを現在進行形の自分たちの物語として進めてこれたからです。
その「自分たちの物語」には感情表現や成長が絶対に必要だったのです。
これらは堀井雄二さんの新シナリオのうえに、実テキストをのっけるライターの尽力があります。新しい世代のドラクエを表現できる新しい世代のライターがついてくれていことが、とても嬉しく頼もしく感じました。
ただ、強いて言えば、同じ方法で描かれるローレシア王子がどうなるのか、見てみたかったな、という気持ちもあります。
これだけの感情表現が可能な物語の中で、パーティの中心となる彼の意志、希望、葛藤が見えにくいというのは違和感がありました。
ストーリーをまわすための台詞、行動ではなく、この人ならこう考え、こう話すのだろうな、という個性の作り込みと表現が細部までできている。今までのドラクエにはない感情移入が可能になっていました。
今回フルボイス化こそしていますが、キャラクターがドットであることから表情がつくりにくいなど、演出面では色々と制限があります。その中でこれだけの表現ができ、心を打つものに仕上がってきたのはシナリオ、ライターの尽力あってこそ、です。
※昨今のゲームにおいてはここまでで挙げたような感情表現の描写は特別なものではないです。。。ただ、「ドラクエ」でそれをやって来たということへの驚き、満足感がありました。
というわけで、今回のHD-2DドラクエⅡ。 いえ、Ⅲ、Ⅰ、Ⅱをまとめて1つのタイトルとして見ることで、私の中ではとても大事なタイトルになりました。正直なところ、最近のスクエニには期待できないと残念に思っていたのですが、大事なタイトルで外さずにいてくれたこと、とても嬉しく思います。
おかげで、この歳になっても「ドラクエが大好き」と声を大にして言い続けることができます! 本当にありがとう!!
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