「虐待」と認定されたあの頃、私が自分の無力さを恥じた話
【前回までのあらすじ】
会社設立から3年。順風満帆で「慢心」していた私を待ち受けていたのは、福祉事業所にとって最も恐ろしい「虐待認定」という現実でした。
全てが崩壊し、暗闇の中に放り出された私が、一体どのようにしてこの事態と向き合い、どうやって組織を再生へと導いたのか。
今回は、その「地獄からの改善」という名の迷路について記します。
虐待認定を受けてからは、改善の日々でした。
この事案によって周囲からの評価も180度変わるだろうと覚悟しました。
「詰んだ」と思ったあの日から
その当時、うちの市ではセンターが児童の相談支援の9割以上を受け持っていました。
こんなことがあれば、市役所直轄の機関から新たな利用者の紹介など、あり得ない。
周囲の心象も、今までの付き合いも、ガラッと変わるだろう――そう腹を括っていました。
私はすぐさま保護者会を開きました。全てを隠さず説明するためです。
会場で待ち受けていたのは、想定していた怒号や冷ややかな視線ではありませんでした。驚くほど和やかな保護者たちの顔。
虐待事例の一つとされたその親御さん本人が、会議の場でこう言い放ってくれたのです。
「もし本当に叩かれていたら、やり返して職員が怪我をしているはず。うちの子の力を一番知っているのは親である私です」
当事者の保護者の方がそう断言してくれたことで、場の空気が決まりました。
続く質疑応答でも、保護者たちから返ってきたのは「信じています」「先生たちのやり方を支持します」という言葉だけ。
不安に押しつぶされそうだった私の前で、保護者たちが盾になってくれていたのです。
何より一番嬉しかったのは、利用者が誰一人として「やめる」という選択肢を選ばなかったことです。
当時、この時期になると近隣にも放デイや児発の事業所は溢れていました。代わりなんていくらでもあったはずなのに、彼らは私を信じてついてきてくれました。
慢心を叩き潰した「自分の無力さ」
しかし、その光景を目の当たりにした時、私の胸を去来したのは安堵ではありませんでした。
「自分の無力さ」と「圧倒的な足りなさ」
「ちゃんとしないとあかん」前回の記事で触れた「3年目の慢心」を痛烈に悔いました。
今までの自分は「やってるふり」をしていただけ、自分は何もできていないじゃないか。保護者の方々に救われているこの現状を、心底情けなく、そして恥ずかしく感じたのです。
正解のない「改善」という迷路
行政からの指示は「すぐに改善策を出しなさい、そして実行しなさい」
しかし、具体的に何が起こったのか、誰の何を改善するのか。
その「改善策」の案や明確な基準を教えてくれることは一切ありませんでした。
自分たちが何を見落とし、どこを修正すべきなのか。迷路の中に一人放り込まれたような手探りの日々が始まりました。
ただ幸いにも、市役所の担当者は「逆恨みだ」と言ってくれました。
ニュースでよく見るような「新規受け入れ停止」や「事業所閉鎖」といったお咎めはなく、継続運営は許可されました。
センターからの紹介も途絶えず、担当者の方々も今までと変わらない接し方をしてくれていました。
不器用な真面目さが「健全」を生んだ
翌年の二度目の監査の時、指導内容は「なし」
税務調査などもそうですが、調査に入ったからには何かしら指摘をするものです。完全に「何もなし」というのは、あまりない結果だと思います。
書類面は完璧となり、実際には課題だらけですが「行政的には」健全な事業所となりました。
後から聞いた話では、当時の私が顔を死なせながらも真摯に向き合い、非を完全に受け入れて実行しようとする姿が見て取れたから、「大丈夫だ」と判断してくれたそうです。
「常に泣きそうだし、精神的に参っていそうだから、本当は言わないといけないことや、言ってあげたいことも言えなかった」 そう言われました。
会社を背負って立つ器にはなかった、その裏返しの言葉でしょう。どうやら、私の不器用さが結果としてプラスに出たようです。
もし、もう一度同じことが起きたら
今、会社代表としてもし同じことがあったら、脳裏に浮かぶのは「とりあえず形だけ体裁だけ整えて、一旦乗り越えよう」という思考です。
紙ベースさえ整っていれば、体裁さえ整えれば、行政の網を潜り抜けて逃げることはできると知っているからです。
方法は思いつかなくもありません。でも、私はしない。
もし「形だけでいい」と思う自分が現れたら、あの頃、必死に守り抜こうとした、そして支えられていたあの時の自分がいなくなってしまう気がするからです。
正直、この業界では何かしら悪さやグレーなことをしているところがそこら中にあります。
ニュースに出るのはほんの一握り。なんなら「運が悪かっただけ」と口にする経営者や管理者が私の周りにすらいます。
私は昔から不正や悪いことは、バレた後の面倒を考えてやりません。
昔なじみの利用者のお母さんには会うたびに「そこまで真面目なの、Tさんだけだ」と半ば呆れられたくらいですから。
次回は、行政から何の指針も示されない中で、私たちが「具体的に何をどう改善したのか」について、当時の試行錯誤をありのままに書きたいと思います。
【過去の記録】
この「虐待認定」という地獄の入り口で、私が何を考え、どう慢心していたのか。その原点については、以下の記事で詳細に振り返っています。
最後に
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これは本来、誰にも見せたくない、経営者としての恥と葛藤の記録です。
ここから私がどのようにしてその泥沼から這い上がり、未熟な経営者から少しずつ形を成していったのか。
その過程を、自身の備忘録として、そして同じ業界の人間に対する一つの警鐘として書き残していきます。
決して綺麗事ではない、私の苦い過去の全貌です。
ここから先に進む内容は、読む人によっては反感を抱くかもしれません。
それでも、これから先の成長過程と、吐き気がするほど辛かったあの日々の記録を、すべてさらけ出します。
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