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死を検索していた夜と、コンビニのスープ。あの頃の私と、今の私が対峙する記録

【前回までのあらすじ】

「会社ごっこ」から脱却し、真の「会社経営」を目指す中で、私は「赤字の解消」という冷酷な現実に直面していました。
第三者委員会という「かつての敵」を最大のパートナーに変え、組織の背骨を通す闘い。しかし、経営者の意図と現場のズレは大きく、去りゆく職員たちの言葉に私は孤独を深めていきました。

泥沼の改善の日々。当時の私が抱えていた、誰にも言えなかった「もう一つの地獄」について記します。

12キロの減量と、コンビニのスープ


時系列は少し前後するが、虐待認定からの激動の半年間で、私の身体には劇的な変化が起きていた。

もともと170cm、60kgと決して太っていなかった体重が、一気に12kgも落ちたのだ。

食べなければいけないことは、頭では嫌というほど分かっている。
独身の生活、栄養を摂ろうと外食に足を向けることもあったが、どうしても喉を通らない。

店で残してしまえば周囲に迷惑をかけると思い、やがて足はコンビニやスーパーへと向かうようになった。

だが、買って帰ってもやはり食べられない。机の上に並んだ手つかずの食品を、結局はゴミ箱へ捨てる。そんな虚しい繰り返しだった。

そんなある日、ふとした拍子に、コンビニで買ったスープが一口だけ喉を通った。「美味しい」と、心の底から思った。
今まで食べてきたどんなコース料理や高級品よりも、その一口のスープが何よりも美味しく感じられた。

大げさではなく、あの瞬間、私は「生き返った」と感じたのだ。張り詰めていた緊張がほんの少しだけ緩み、気分がわずかに戻ったのを覚えている。

今でこそ、周囲とダイエットの話題になれば「一番効くダイエット方法はストレスだよ」などと自虐混じりに話すこともある。

ストレスでドカ食いしてしまう人もいるし、「そんな痩せ方は望んでいない」と言われるのがオチだから、他人の共感なんて最初から期待していない。

だが、あの時の私にとっては、笑い事ではない文字通りの死線だった。

押し寄せる不安と、「診断」を拒んだ理由


スープが飲めたからといって、状況が好転したわけではない。目の前には、解決していない問題が山積みのままだった。

夜は一向に眠れず、ただ泥酔して意識を飛ばすために酒に逃げた。

昼間は昼間で、理由のない不安で胸が苦しくなり、息が詰まる

休みなんてものはなかった。休んでる場合ではなかった。

止まれば不安に押しつぶされるから、常に動き続けていた。
しかし、その動きのすべてが空回りしている感覚しかなかった。

私のために必死に尽力してくれている職員がいたことは、十分に理解している。
今でも深く感謝している。だが、彼らがこちらを見る視線は、私とは相変わらずどこか違っていた。

孤独だった。

何をやっても裏目に出て、うまくいっていないという強烈な苛立ちと絶望の中にいた。

あの時期の私は、精神的に完全に病んでいたと断言できる。
もしあの時、心療内科や精神科に足を運んでいれば、間違いなく何らかの病名が下されていただろう。

それでも、私は病院に行かなかった。行くわけにはいかなかった。

すべては「今後の会社のため」である。
もし精神疾患の診断書や履歴が残ってしまえば、今後の融資の審査や、法人としての保険の加入において、圧倒的に不利になる可能性があった。

経営者として、それだけは避けたかった。だから、病んでいる自分を自覚しながらも、ただ耐えて我慢するしかなかった。

深夜の検索と、最悪の「出口」


病んでいるものは、我慢したところで病んでいる。

夜、独身の部屋で一人、酒を煽りながら画面を眺める日々が続いた。

夜な夜な、自分が一番苦しくなく逝ける方法は何か、静かに、そして執拗に自殺方法を検索し続けた。

実際にそれを実行する勇気などない。それでも、「こうすれば終わらせられる」という具体的な方法を見つけておくことが、夜を越えるための唯一の儀式だった。

そんな日々の中、ようやく自分なりの「出口」を見つけた。

「いざとなったら、これがある。いつでもここから逃げられる」

その最悪の出口を確保したことで、皮肉にも私の心には奇妙な余裕が生まれた。物理的に人生を終わらせる手段を確保したことが、崖っぷちで私を支えていた。

死ぬためではなく、生きるための「逃げ道」の確保だった。

そしてその余裕が、少しだけ食欲を取り戻し、あの日あのスープを「美味しい」と感じさせてくれたのだ。

あれから10年が経った。

今でも、私は自分の心が完全に治ったとは思っていない。おそらく、この傷は一生治らないものなのだろう。

今でも年に一度は、何の前触れも理由もないのに、突然激しい不安に駆られる一週間が訪れる。

言葉が出なくなり、食欲が完全に消え失せる。

あの暗闇の感覚が、10年経っても私を引きずり戻そうとする。

逆恨みの職員、そしてあの頃の私


あの事案が起こったこと自体については、今では深く反省している。

あの危機があったからこそ、組織の改善に一歩を踏み出すことができた。
経営者として、本当に大きな勉強になったと思っている。

しかし、私がどうしても許せないのは、事案そのものよりも、あの混乱に紛れて取られた一部の人間たちの行動だ。

直接口にされたわけではない。
だが、当時の彼らの立ち振る舞いや、周囲に漏らしていた言動の端々からは、私への個人的な憎悪や「会社を困らせてやりたい」という意図が透けて見えた。

いわゆる、組織の正義を語りながらの逆恨みだ。

彼らの狙いは、この事案を「武器」として利用し、会社を破壊し、私という経営者を追い込むことにあったのだろう。

そこまでは考えていなかったのかもしれない単純に「やってやった」だけだったんだと思う。

ただ、実際、当時の私は追い詰められ、精神を病み、人生をかけて積み上げてきたものを奪われそうになった。

今、私が健全に、そしてある程度楽しみながら会社を運営できている。

その事実そのものが、あの頃の彼らに対する、私なりの一矢であり、何よりの仕返しだと今は思っている。

10年という歳月が過ぎた。 かつてコンビニのスープに生き返るのを感じ、夜な夜な最悪の出口を探していたあの男は、今も私の中にいる。

すべてを糧にして、今もこうして経営を続けている。あの暗闇の中で、意地だけで立ち続けていた、あの頃の私である。

【すべての始まり】

私が慢心し、すべてを破壊するきっかけとなった「3年目の慢心」。 なぜ虐待という事態を引き起こしてしまったのか、私の経営者としての未熟さと過ちの全貌については、こちらの最初の記事に綴っています。


最後に

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

これは、経営者として、そして一人の人間として、過去の自分と向き合うための大切な記録でした。

当時の私がこの暗闇を抜けて今の自分になれたのは、何より「会社を守り抜く」という執念があったからです。

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皆さまの応援を力に変えて、また続きを書いていきます。


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