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アラ還両親、7000万の家を買う

今年還暦を迎える父、来年還暦を迎える母。

節目の年に思い切った買い物をした。

一人娘の私に連絡が来たのは、今年の正月、契約も済ませあとは自分たちが引っ越すだけ、というタイミングだった。

「滋賀県に家買いました。今月末に引っ越します。」

「???」

疑問が多すぎて何から質問すればいいのか分からない。

建売住宅地にモデルハウスとして建てられた新築戸建て物件を購入したようだ。予算はさすがにオーバーだったらしく、足りない分はローンを組んだと言っていたが、何年ローンだろうか(恐ろしくて聞けない)。

両親がいずれ引っ越すかもしれないこと(勝手にサ高住のようなマンションにすると想像していた)や実家を建て直すかもしれないことは聞いていた。

しかし、京都の実家にはまだ高齢の祖父が生活しているので、終の棲家になるかもしれない「家」のことに関してこんなに早く決断を下すとは思ってもみなかった。

両親がアラ還で手に入れた夢のマイホーム、その購入決断に至る背景や、「家」の購入を通じて彼らが手に入れたものを紹介したい。

30年以上暮らした二世帯住宅

両親が結婚する際、祖父が京都市内に二世帯住宅を建てた。ほどなくして私が生まれ、祖父母、両親、私の5人での生活が始まった。

住宅の構造上、玄関やキッチン、トイレは一階・二階それぞれにある。お風呂は一階にしかないので共用だ。両親と祖父はフルタイムで働いていたので、母が仕事の日には祖母が5人分の夕食を用意し、家族全員で食べていた。

私は幼いころから祖母のことが大好きだ。仕事で忙しい母に代わり私を育ててくれた。残念ながら6年前に病気で他界してしまったが、今でも頻繁にやさしい顔でほほ笑む祖母の夢を見る。

両親と祖父母に囲まれて育ち、私にとってはみんなで暮らすことが当たり前だったし、振り返ると本当に幸せな幼少期~思春期を過ごせたと思う。

しかし、嫁いで来た母にとって、あるいは同居に不満を募らせる母が唯一のはけ口とする父にとっては良いことばかりではなかったようだ。

同居のストレス

祖父母と両親は1階と2階で基本的な生活スペースが分かれていたし、母の仕事が休みの日には夕食も別でとるので、ほとんど顔を合わさない日もある。顔さえ合わさなければ、そんなに気を遣うこともないだろう。

そもそも両親と祖父母は不仲ではない。嫁としての立場があるので本当の親子みたいな関係ではないが、食事中には会話もするし、祖父母も母もお酒が好きなので毎晩のように一緒に飲んでいた。

しかし、夫の両親と同居するとなると、やはりストレスはたくさんあったのだろう。当時の私は考えたこともなかったが、嫁いだ今なら分かることがたくさんある。

お風呂に入るタイミングで、風呂場の横にあるトイレに祖父が入っていると、母は少し時間をずらすようにしていた。

祖父母は家に友人を呼んで宴会をするのが大好きだった。昼過ぎから集まるのだが、夜まで長々と続けるので、両親はなかなか下の階にあるお風呂に入れず困っていたこともある。

他にも、下の階から漏れ聞こえるテレビの音がだんだん大きくなったり、2個ついているインターホンを訪問者が間違えて押してしまったりと、一つひとつは小さなことだが、30年という月日の間に母のストレスが蓄積される要因はたくさんあった。

築35年|家屋の状況と認識の違い

風呂場はお世辞にも広いとは言えない。浴槽は深めのつくりだが、体育座りに近い座り方で、大人一人入るのが精一杯だ。

数年前には1階と2階の間のスペースにネズミが住み着き、時折生活スペースにも姿を現していたので、苦労して駆除したようだ。

キッチンも古くなりガスコンロの一部は使えなくなっていた。買い替え時で祖父母はすぐに替えたのだが、母は頑なに替えようとしなかった。

祖父母にとっては自分たちにとっての終の棲家であり、息子家族に住み継いでもらいたい家だ。少々不具合が出てきても修繕やプチリフォームをすること(=今の家にお金をかけること)に躊躇しない

しかし、両親にとっては「建て替える、いずれ引っ越す」という前程があるので、今の家にあまりお金をかけたくないのが本音だ。祖父母が勝手に工務店に依頼してしまった外壁の塗装工事など費用が発生すれば、共用部分なので祖父と父が割り勘で半分ずつ支払っていたが、母はまったく快く思っていなかったようだ。

風呂場などの水周りだけでもリフォームすればよかったと思う。しかし「今の家にお金をかければかけるほど無駄」という意識が勝り、未来にばかり目を向け「今の暮らし」を改善しようとはしなかった

お風呂は狭い、コンロは一つしかまともに機能しない、壊れた電子レンジの代用品は私が一人暮らしをしていた時に使っていた「温め機能しかない」ターンテーブル式のもの。洗濯機も本当はドラム式がいいが、買い替えようとしない。

高卒から正社員として働き続けてきた両親。定年を数年後に控えてもなお「ガマンばかりの生活」を送っていれば、(自分が蒔いた種とはいえ)限界がくるはずだ。

むしろ数年前から限界は越えていたのだろうが、祖母の死もあり祖父が一人になったことで「祖父の食事の面倒を見なければ」という意識が高まり、「もうしばらくはこの家で」と自分に言い聞かせていたのだろう。

祖父の生命力が想像を超えた

祖母が亡くなる数年前、祖父も肺を患いその一部を切除する手術を受けている。ガン細胞を取り除くことはできたが、肺機能そのものが弱り、医師から「あと5年ほどの命」と伝えられていた。祖父が70歳の頃のことだ。

少し歩くと呼吸が苦しく「ぜぇぜぇ」となるし、足腰も弱ってきているので、長時間歩く、作業することはできない。

当然、母も祖父の状況は知っている。その後の祖母の死により、悲しみで塞ぎ込む祖父の様子も間近でみていた。だからこそ「祖父が亡くなるまでは、この家で」と決心したようだ。

ところが、「5年の命」と伝えられてから10年経つが、祖父はとても元気に生きている。すぐに「ぜぇぜぇ」と呼吸が荒くなるのは変わらないし、足元がおぼつかないため買い物に行くのは難しいが、身の回りのこともすべて自分でこなせる。

肺機能の経過を定期的に診てくれる医師も驚きだ。良くなっているわけではないが、悪くもなっていないらしい。ついには「あと10年は元気に生きられる」と言われ「特に通院もしなくてよい」とまで言われたそうだ。

「恐るべし、じーちゃんの生命力」

祖父が元気に長生きしてくれることは本当に嬉しい。嬉しいのだが、母にとっては完全に梯子を外された気分だった。誰が悪いわけではないのだが、一気に目標を見失ってしまったのだ。

60近い両親は10年後70歳になる。その歳で家の建て替えや引っ越しは可能だろうか。そもそもあと10年もこの環境で我慢できるだろうか。

健康状態の不安が後押し

父はこの10年入退院や手術を繰り返してきた。持病は腰のヘルニアくらいのものだったが、ギランバレー症候群や不整脈など次々と体調不良に見舞われたのだ。

病気知らずだった母もコロナの時期に初めて生死を彷徨う思いをした。コロナの後遺症でいくつもの臓器が同時に炎症を起こすという稀な症状を引き起こしたようだ。朝の時点で父から「救急車で運ばれICUに入っている」という連絡が来たのだが、昼頃には「今夜が峠」と再度連絡が入った。あまりにも突然すぎて私は一瞬言葉の意味が理解できなかった。驚くほど進行が速かったのだ。

離島に住む私はすぐに駆け付けることができず、眠れない夜を過ごした。翌朝には「容体が少し安定した」との連絡が入り、危機は脱したようだった。

数日後、コロナ禍ではあったが面会が許され(ICUの個室にいたからだろうか)、久々に母の姿を見ると痩せこけ目はくぼみ、頻繁に染めていた髪も真っ白だったので、別人のようだった。生きていてくれただけでよかったのだ。その後、経過観察と体力回復のため2ヶ月間入院し、無事に退院できた。

この一件から、両親は「いつ何があるか分からない」と身をもって体感し、そのマインドが物事の意志決定にも影響するようになった。

「今の暮らしを充実させたい」と強く願うようになったのだ。

やっと手に入れた夢のマイホーム

祖父の今後のことも含めて総合的に考えた結果、両親は「家の購入」を決断した。

いずれ祖父の一人暮らしが難しくなれば、父だけでも京都の家に帰る覚悟はしている。祖父もいずれは自分が施設に入ると分かっている。

その日が来るまでは、週に一度父が買い物ついでに様子を見に行き、祖父は一人で暮らすということになった。80歳を超えた祖父の一人暮らしの様子については、別の記事で紹介している。

母はマイホームを手に入れ、長年の夢を叶えた。

京都の家も持ち家だしいずれ父のものになるのだが、母の理想の暮らしを体現する住処としては縁遠いものだった。

モデルハウスや物件をいくつも訪れ、注文住宅を建てるか新築・中古の物件を購入するかも含め、数年かけて検討したようだ。

結果、滋賀県の坂本にある新築物件の購入に至っている。建売住宅地の一角にモデルハウスとして建てられたもので、その区画がすべて売れたため、売りに出ていたとのこと。

母曰く、初めて見学に行った際に「ここ!」と思ったらしい。一目ぼれだ。デザイナーの手が入った内装や、広いリビング、アイランドキッチン、シュークローク、ウォークインクローゼット、広めのバルコニー、足を伸ばして入れる浴槽などまさに彼女の理想の家だったのだ。

予算的には想定の2倍だったそうだが、その家を見てしまってからは、どこへ見学に行っても、どんな説明を聞いても母は上の空。

そんな母の姿を見て、父はローンを組む決心をした。

マイホーム・マイライフ

1月末に引っ越し、ようやく母の「理想の家」での暮らしが始まった。

といってもネット環境の整備やテレビのアンテナをつける工事が追いつかず、入居してから3か月間はネットなし、テレビ(地上波)無しの退屈すぎる生活を送ることになる。

それでも母は常に嬉しそうだった。

仕事帰りに最寄り駅に着くと自宅までの足取りが自然と軽くなるそうだ。リビングの大きな窓からは朝日が差し込み、その暖かい光に包まれながらヨガをすることが習慣になっている。

最もテンションが上がっていたのは食洗器だ。キッチン備え付けの食洗器は使い勝手がよく、容量も大きいので洗い物の負担がかなり軽減されたようだ。家事負担の軽減でいえば、新しく導入した「ルンバ」もその働きぶりにご満悦らしい。

母からのリクエストがあったので、引っ越し祝いにアレクサをプレゼントした。ネットは繋がっていないがポケットWifiを借りていたので、早速セットアップしてみた。

「松田聖子の曲をかけて」「竹内まりやの曲をかけて」

お気に入りの曲を流してノリノリで歌う母。「音外してるな」と内心思いながらも口には出さずソファでくつろぐ父。

テレビなんかなくてもとても充実した日々を送っている。

おわりに|新居での暮らしで得たもの

幼少期からどちらかと言えば貧しい生活を送ってきた母。結婚してからも小さな我慢の連続だった。

「夫も子どももいて、定期的に海外旅行にも行き、幸せだが何か物足りない」

そんな感情を抱えた生活は、いつしか「マイホーム」への強い憧れを抱かせていた。

父も「妻には迷惑をかけてきた」という思いがあるようだ。二人の年齢を考えると思いきった決断だが、これまでの自分たちへの「ご褒美」といった感覚なのかもしれない。

新居での生活が始まり、娘の私の目から見て気づいたことがある。母の人相が明らかに変わったのだ。旅先では父がよく母の写真を撮るのだが、どことなく作り笑顔感があった。それが、いまや自然な笑顔になっている。普段見せる表情も、以前よりおっとりと優しくなったように感じる。「幸せ」が滲み出ているのだろう。

未来ではなく「今の暮らし」を全力で楽しむ。それが彼らが家を住み替え手に入れた日常だ。衣食住の基本的な欲求が満たされなければ、その上に海外旅行やブランド品の買い物など、好きなことをいくら積み上げても土台が揺らぐだけ。いつまでたっても心は満たされない。

老後の資金にまったく不安を覚えていないかというと、そうではないと思う。ただ両親にとって「今を大事に」「今を幸せに」生きることができるなら、娘の私からしてもこの上ない喜びだ。






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ポッチャリ夫と島暮らし|家庭と社会のはざまを綴る人 ギブ&テイクの「ギブ」をそっと差し出せるあなた✨その生き方、すごくかっこいいです。きっと、心の余白作りが上手なんでしょうね。その秘訣、ぜひ、教えてください!☺️