あなたにとって、読書は目的?それとも手段?
本日の日経新聞に、ベネッセコーポレーションが発表したインターネット調査の結果が書かれていました。
主な内容は、1日の読書時間についてですが、結果的に、1日に全く本を読まない子供はアンケート回答者の半数超にも及ぶ、ということのようです。
それに対して、スマートフォンの使用時間は伸びているようです。


さて、私が好きな文芸評論家に2011年に亡くなられた関西大学名誉教授の谷沢永一さんがおられます。
谷沢さんの評論は舌鋒鋭くて「鬼の谷沢」と呼ばれており、その完膚なきまでにの叱責口調で論評された方の中にはその後、立ち直れず作家を廃業された方もいるとか、いないとか。
ただ、正義感が強くてユーモアもあり、読書愛にも満ちたエッセイも論文も多数書かれていて、尊敬する方のお一人です。

この谷沢さんは現代のモラリストとも称されていて、そんな関係で書かれたものに『人間通』というのが面白い本があります。
このなかで、正確な文章はすぐに引けないので恐縮ですが、以下のような記載がありました。
最近の若者は読書しない、まったくケシカラン、と嘆く年配の男性がおられた。
確かに御説ゴモットモ、では、若者が必ず読むべきだとあなたが考える本を、10冊挙げてくださいと質問すると、途端に何も答えられず、質問者の顔を苦々しく眺めただけだった…。
こんな皮肉に満ちた鋭い指摘です。
私自身は、読書をすることは何か情報を得たり、様々な感動をしたり、読書によって何らかの行動を起こすといったが目的なので、その目的を達成するためことができれば、読書である必要はないと考えてます。
だから、スマートフォンから得られる情報で、同じような効果や結果が得られるなら、別に読書をしなくても良い、と考えてます。
私が読書するのは、書物や電子本という媒体が自分が思考する際に最も適切だと感じるからであって、他に良い手段があれば、読書ではなく他の方法にも頼るかとは感じています。
そして、動画なんかは、学習する材料に適した一つではないかな、なんて感じてもいます。
さて、そんな想いを持ちながら、北鎌倉駅へ向かう途中で、10月の第2日曜日に横田南嶺管長から紹介してもらった柳田邦男さんの本『悲しみは真の人生の始まり 内面の成長こそ』を読んでいました。

すると、以下のような柳田さんのお言葉がありました。
私はケータイを持つことを否定はしません。
しないけれども、それに浸りきると、失うものがあることに気づかなければいけない。
人間は、便利なものに弱いんです。
また、依存していきます。
だからケータイがないと落ち着かない。
特に中学生や高校生の女の子は、24時間ケータイが手放せないという依存症が奥なっています。
男子も多い。
(中略)
便利で楽しい、これのどこが悪いの?
たくさんの友達とメールでコミュニケーションができて、いいじゃないか、という人が多いんです。
しかし、その便利さゆえに、大きな落とし穴がある。
全否定はしません。
現代社会からケータイやパソコンがなくなったら、成り立たない世の中になってしまいますから。
(中略)
ただ、メール、ブログ、ツイッター、いろんな形でコミュニケーションを頻繁にとり、人との結びつきは強くなっているかというと、じつはそうではない。
柳田さんが述べられているように、読書をしないことがケータイに依存してしまっているとしたら、それはもちろん改善が必要かと思います。
ただ、今回のアンケートではそこまでの詳細はわかりませんでした。
日経新聞の記事の中では、学力の問題として書かれているように読める記載がありました。
柳田さんが触れられている指摘は、学力よりももっと根本的で根源的な問題のように感じます。
こうした視点で読書、というだけではなく、スマートフォンとの付き合い方にもしっかりと整理をしていきたいですね。
いいなと思ったら応援しよう!
記事を読んで面白いと思った方は、応援頂けますと嬉しいです。
頂いたチップは、より良い内容をお届けするべく記事作成のための活動費に使われせ頂きます。
こんな記事を書いてもらいたい、というご意見もあれば、承ります!