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円覚寺の日曜説教へ行きましたー横田南嶺管長「死を見つめて生きる」

今日10月12日は10月の第二日曜日。
北鎌倉にある円覚寺で日曜説教が行われる日でした。

最近は朝も気温は低くなっていますね。
8時半頃に北鎌倉駅に着く頃には涼しく、丁度良い気温になっていました。
北鎌倉駅を降りてビックリ、いつも以上に開門を待つ訪問者が多くいらしたのでした。

今日は第二日曜日なので、横田南嶺管長が話される日。
前回9月の第二日曜日は、横須賀線の大幅遅延があり、参加できなかった方も多いのかな、とも思いましたし、そんな背景から横田管長のお顔を拝めなかったので功徳を積みたい方が集まったのかな、とも感じました。
もっとも、私の前に並んでいた方々は、「陽気が良くなったから」と仰ってましたね。
もちろんそれもあるかと思います。

円覚寺の入り口付近

さて、今日は「死を見つめて生きる」というテーマでした。

私のように普段、会社人として生活していると、死を考えて生きていることはありません。
職場は生きることが前提で成り立っていますし、会社もいわゆるゴーイング・コンサーンという考えが前提となっていますので、死ぬことは問題にさえなっていない。
会社人にとっては、死ぬことの前に退職のような選択があるのであり、死とは遠く離れて生きています。

ただ、仏教は死を考えてきた教えです。
今回の日曜説教は、そうした死のことを考える機会となりました。

今回、横田管長からご紹介頂いたのは
・淮南子(えなんじ)=中国の古典
・沢庵宗彭禅師
・朝比奈宗源老師
・植木憲道老師
の言葉でした。
で、総じて現在生きているこの世の中は仮の棲家であり、死ねば元のところへ帰るという発想の方が多いように感じました。

例えば沢庵禅師は、

たらちねに よばれて仮の客に来て 心残さず 帰るふるさと
(意訳:
両親のご縁に招かれて、この世の仮住まいに生まれてきた我が身、
死ぬ際には何も心に残さずに、ふるさとである元の世界へ帰るだけのことだ)

また、朝比奈宗源老師は、

私たちは仏心という広い心の海に浮かぶ泡の如き存在である。
生まれたからといって、仏心の大海は増えず、死んだからといって、仏心の大海は減らず。
私どもは皆仏心の一滴である。
一滴の水を離れて大会はなく、幻の如きはかない命がそのまま永劫不滅の仏心の大生命である。
人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引き取る。
生まれる前も仏心、生きている間も仏心、死んでからも仏心、仏心とは一秒時も離れていない。

そして、横田管長は、そのように現在の生は仮の姿であって、死ぬ際には本来の所へ戻るだけなのだ、と考えることで、生きることが少し軽やかになる、ということを仰っていました。
私も考え方としては、こういう思考は嫌いではありません。

また話の後半では、『「死後生(しごせい)」を生きる』という本のご紹介がありました。
この本の著者は、様々な賞を受賞された経歴のあるノンフィクション作家 柳田邦男さん(88歳)です。

柳田邦男『「死後生(しごせい)」を生きる』

横田管長が触れられたのは、柳田さんが当時26歳だった次男の洋二郎さんを亡くされたことでした。
洋二郎さんは、大学へ通う頃には心の病にかかってしまっていました。
やがて、自ら命を絶とうとして脳死状態になり、蘇生の努力の甲斐なくやがて亡くなってしまいます。

そんな洋二郎さんは、ノンフィクション作家で父親である柳田邦男さんに対して、よく突っかかってきたのだそうです。
「親父は作家だろう?人の心をどこまでわかってんだ」
「そんなんでよく本を書けるな」
とか。
心の敏感な洋二郎さんは、柳田さんが書かれる文章に対して、ウソくささや白々しさを感じていたのかもしれません。
また、「人の心」を描く作家でありながら、著作が売れていながらも、洋二郎さんご自身のことは何もわかっていないではないか、という父親への強い苛立ちもあったのかもしれません。

それから約20年。
そのような洋二郎さんの言葉は、彼が脳死状態に陥った時も、そして現在でも、エンドレスで柳田さんを襲ってくるのだそうです。
ところが、そうした言葉は今や柳田さんへの批判的な言葉として響くのではなく、ある意味で今の柳田さんを支えてくれているのだそうです。
柳田さん自身、取材をしながら、相手の心の中まで入り込むなど非常に難しい、どこまで自分の問題として引き寄せて考えられたのか、ということは永遠の課題であって、だからいつも洋二郎さんのあの言葉に戻って、自分はどうあるべきかを考えなければならない、というのです。
洋二郎さんは、柳田さんの中でいつも生き生きしていて、声が聞こえるくらいのリアリティーを持って、心の中で一緒に生きてくれている、肉体は滅びたけれど、「精神性のいのち」とも言うべき魂は生きている、とも柳田さんは書かれます。

「死後生」とは、そうしたことを受けて、柳田さんが作ったキーワードです。
強いて意味を書くなら、「死後生」とは、ある人が死によって肉体は亡くなっても、その人の生きた証である生き方や行為や言葉、周囲に寄せた愛や想いは、家族や親密な関係にあった人々の心の中で消えることなく生き続けていることと言えます。
この「死後生」は、ご当人や関係が深い方々にとっては、観念的なものではなく、リアリティに満ちたものでもあります。
そうした意味では、人は死が終わりなのではなく、死後も遺された人生を膨らませる形で成長を続ける、そうした状況を柳田さんは「新ライフサイクル論」という説と共に書かれています。

新ライフサイクル論(『「死後生(しごせい)」を生きる』より)

この話を聞いた後、私は午後に茨城県にあるつくば駅へ行く用事があったのですが、少し時間があったため東京駅へ立ち寄って、周辺を散歩していました。
すると、井上勝さんという方の像が東京駅の方向を向いて立っているのを初めて見たのでした。
井上勝さんというのは、案内が書かれた碑によれば、幕末にイギリスへ密航して西洋の近代技術を学び、明治維新直後に帰国、その後は明治期の鉄道専門官僚となり、日本の近代鉄道システムを作り上げた人なのだそうです。
日本最初の新橋-横浜間を肇、初期の主要路線の敷設を主導する役割を担った功績から「鉄道の父」とも呼ばれているようです。
ただ、恥ずかしながら私はこれまで、井上勝さんのことを存じ上げておりませんでした。

東京駅を眺める井上勝さんの像

この井上さんは現在は立派な立像となって東京駅を今でも見守っているわけですが、横田管長のお話を聞いた後のことだったので、私自身の心の中で井上さんは「死後生」を生きているわけではないんだな、と感じたのでした。
いかに立派な像があるからといって、それぞれの人の心の中で「死後生」を生きていないのであれば、それは「精神性のいのち」を生きていない、ということなのではないか。
像を遺すことが生を遺すことではない、ということ。
それよりも、私自身にとっては、父が私に語った言葉や慰めてくれた言葉、そういったものの方がよっぽどリアリティを持って私の心の中で生きています。

井上勝さんの像
井上勝さんの碑

横田管長も、ご自身の師である安立大進老師のことを話されていました。
今ではどうなのかわかりませんが、禅の修行では、師匠が弟子を褒めることはほとんどないようです。
横田管長も、足立老師からは叱られたり、否定されたり、皮肉を言われたり、そんな思い出が多かったようです。
そんな思いがあったために、足立老師が亡くなった際、これからはこっぴどく叱られることもなくなるんだ、という解放されたような思いもあったようです。
ただ、それから数十年が経った今、横田管長は、足立老師に叱咤される言葉が思い出され、それを有難く思われるようになられたのだそうです。
このように、横田管長の心の中で、足立老師が「死後生」を生きてくれているということなのでしょう。
そうしたことも踏まえると、現在の生だけではなく、死後生も生きることは、精神性のいのちも踏まえて、普段の生活をどのようにしていくか、が大事であると考えられます。

そして、そうした生き方を体現された方として、97歳で亡くなられた植木憲道老師の言葉を紹介して頂きました。

「非と論じ是と説く、97年近くお別れする、
ありがとう、ありがとう、皆様によろしく」
(意訳:
是も非も、良いことも悪いこともさまざま論じてきた、
良いことも辛いことも嫌なことも様々なことがあった、
それが97歳の今となって、まもなくお別れすることになりました。
言い残すことといえば、ありがとう、ありがとう、皆様によろしく、です)

「死に直面して、
1つ、もっと親切でありたい
1つ、もっと正直でありたい
1つ、もっと真面目でありたい
1つ、もっと寛容でありたい」

死を生きるとは今を生きることと同じ、死を見つめることはどう生きるかに直結する、とお話しされ、横田管長は説教を締め括られたのでした。
優れた禅僧の言葉から考えさせて頂き、また、柳田邦男さんの良書も教えて頂いて、非常に深い学びのあるお話でした。

今日も学を積む修行僧たち

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