馬場孤蝶訳「林檎の種」と『週刊朝日』の探偵小説 湯浅篤志
※次に掲げた文章は、2023年8月に発行された、馬場孤蝶 訳『林檎の種』(ヒラヤマ探偵文庫28)の巻末に掲載された「解説 「林檎の種」と『週刊朝日』の探偵小説」の転載となります。転載に際して、適宜加筆修正を施しました。ご了承ください。
※前回の記事(「馬場孤蝶と探偵小説」2025年6月19日付)では、馬場孤蝶と探偵小説の関係を見てきましたが、今回、馬場孤蝶が翻訳した「林檎の種」を通して、孤蝶が大正10(1921)年当時、どのような探偵小説を読んでいたかを考えてみました。ご参考になれば、さいわいです。

馬場孤蝶訳の「林檎の種」は、『週刊朝日』大正11(1922)年3月5日号(1巻2号)から5月4日号(1巻11号)まで掲載された翻訳探偵小説である。表題には「探偵小説」という角書きがあった。
『週刊朝日』の本文には、クレジットとして「馬場孤蝶訳/古家新画」とだけあった。原作名及び原作者名は記されていなかったが、調査の結果、エドウィン・ベアード(Edwin Baird 1886-1954)の「Z」("Detective Story Magazine" Aug 27 1921)であることがわかった。
エドウィン・ベアードは、大正12(1923)年に創刊された怪奇、幻想、SF小説を届けた『ウィアード・テールズ』の初代編集長として知られている。しかし、この「Z」を書いた当時は、まだパルプ雑誌のライターだったようである。
馬場孤蝶が「林檎の種」というように題名を創作したのは、物語を読めばおわかりの通り、「林檎の種」が事件の犯人を暴くポイントになっているからであろう。「Z」という原作名をそのまま使うか、あるいは訳して使うこともできないと思い、違う邦訳名を考えたと思われる。
連載の始まった『週刊朝日』は、実はその前号から『旬刊朝日』として創刊されたばかりの雑誌であった。「旬刊」とは、十日に一度発売される雑誌のことであり、創刊号(1巻1号)は、大正11年2月25日号である。「林檎の種」の初回は、1巻2号の掲載であった。連載の三回目である3月25日号(1巻4号)までが『旬刊朝日』であって、四回目の4月2日号(1巻5号)から『週刊朝日』に雑誌名が変わっている。
このとき旬刊よりも週刊発売にしたのは、同じく4月2日に大阪毎日新聞社から創刊された『サンデー毎日』に売り上げ面で対抗するための方策であろう。旬刊だと発行回数が減るからである。『週刊朝日』は朝日新聞社が、日刊の新聞では掲載できない大判の写真や鮮明な写真を多数揃えて掲載することで、大衆向けの〈見せる〉情報週刊誌として創刊されたのだ。
その二号目に探偵小説の「林檎の種」が掲載されたのは、探偵小説なら大衆にウケることと期待されたからであろう。
当時は、活字メディアにおいて、探偵小説が静かなブームであり、何かと話題になっていた(森下雨村「探偵物の流行に就て」『読売新聞』大正11年1月30日付、『森下雨村探偵小説選』論創社所収)。『旬刊朝日』編集部が馬場孤蝶に翻訳を依頼したのは、孤蝶なら面白い探偵小説を紹介してくれると思ったからかもしれない。
孤蝶はこの頃、すでに海外の探偵小説の紹介者として知られていた。慶応義塾大学で欧州文学を教え、モーパッサンやトルストイの作品翻訳で名をなしていた孤蝶であった。孤蝶と探偵小説の関係は、「馬場孤蝶と探偵小説」(馬場孤蝶『悪の華』ヒラヤマ探偵文庫13所収))を参照していただければ、と思う。
このような孤蝶に、早稲田大学出講時での教え子、森下雨村が博文館で『新青年』を大正9(1920)年に創刊したとき、海外の探偵小説のことを尋ねている。それがきっかけとなり、孤蝶は探偵小説にのめり込んでしまっていたのである。
孤蝶は「私の最近読んだ―冒険小説三百種」(『読売新聞』大正11年8月14日付)の中で、こう言っている。
二、三年前から探偵小説を読む癖がついてしまつて人に借りたり何かして、いろいろ読んでみたには相違ない。その数は二百四五十種にはなつて居るかも知れぬと思はれる
海外の探偵小説を、原文でこれだけ読んでいたのだ。たぶんこの数の中に「林檎の種」も入っていたのだろう。創刊したばかりの『週刊朝日』の編集部も、そういう孤蝶の姿を知っていたからこそ、面白い探偵小説の翻訳を依頼したと考えられる。
また「林檎の種」とほぼ同時期に、孤蝶は「極北の秘密」("The Secret of the Frozen North" THE SEXTON BLAKE LIBRARY 163 ヒラヤマ探偵文庫2025年冬予定→2026年5月4日発行予定)というセクストン・ブレイク・シリーズの作品を翻訳していた。大日本雄弁会の発行する『現代』大正10年10月号から大正11年6月号にかけてである。孤蝶はセクストン・ブレイク・ライブラリーを148巻から読んでいると記事にあったので、その中から、連載雑誌『現代』の読者の趣向に合わせて作品を選んでいたといえるだろう。
一方、『週刊朝日』のほうに「林檎の種」が選ばれたのは、編集部からターゲットとする読者のあり方を聞いていて、読者に喜ばれる作品を考えていた可能性がある。ちなみに「林檎の種」連載終了後の次回作が、新居格(にいいたる)の「鼠小僧次郎吉」であった。「義賊」である鼠小僧次郎吉を扱うことは、読者に親しまれている題材を扱うところに編集部の方針があったといえるかもしれない。
『週刊朝日』の編集部は「林檎の種」の挿絵にも力を入れていた。大正10(1921)年に、大阪朝日新聞社学芸部に入社したばかりの古家新(ふるやあらた)を挿画画家に起用していた。古家は洋画家であったが、この当時は雑誌に掲載される挿絵やスケッチなども手がけていた。『週刊朝日』表紙にある表題文字「週刊朝日」を作ったのも、古家だった。新進気鋭の画家の起用と馬場孤蝶の翻訳する探偵小説で雑誌の売り上げを伸ばそうとする考えだったといえるだろう。→古家の挿画については、こちら。
ところで「林檎の種」の連載二回目以降の本文冒頭には、前号までの梗概が400字程度で掲載されていた(三回目は除く)。これは週刊誌の発売期間に合わせて、読者にあらすじを振り返って確認してもらうためであり、また途中からの読む読者に対してのサービスだ。殺人事件の概要がわからなければ、犯人に対する興味も薄れてしまう。すなわち、週刊誌という新しい形態の雑誌を売るため、編集部は読者への至れり尽くせりの内容にしていたのだ。
「林檎の種」は、銀行の頭取らをねらった連続殺人事件の話である。犯人は、殺人直後に犯行の電話を新聞社にかけていた。事件現場には、「Z」と書かれた赤い紙切れと林檎の種が残されていた。また、恐るべき犯人は殺人予告の手紙を新聞社や関係者に送り、厳重の警戒の中でも殺人を実行していた。
しかし、新聞記者のシャムウエーは、用意周到な計画によって、犯人をおびき出すことに成功したのだ。背景に、銀行に恨みを持つ者の存在があると読んでいたのである。ご都合主義的な展開といえるかもしれないが、こういう軽い感じでつながっていく物語の方が、創刊されたばかりの週刊誌の読者には心地がよかったと考えていたのかもしれない。そういう意味で、馬場孤蝶はパルプ雑誌に雑誌に掲載された「林檎の種」を選んだ。
肩の凝らない、小気味の良い事件解決の物語を味わっていただけば、と思う。
最後になったが、馬場孤蝶のセクストン・ブレイクに関する文献に関して、藤元直樹さんからご教示いただいた。記して感謝申し上げたい。
【参考文献】
・『幻想と怪奇 7』(ウィアード・テールズ 恐怖と冒険の王国)、新紀元社、2021年発行
・LILEKS.COM
・Internet Archive
・東京文化財研究所 「古家新 日本美術年鑑所載物故者記事」
閲覧日2025-6-22
※Web上で、馬場孤蝶訳『林檎の種』を読まれての感想がありました。
ありがとうございます。気がついた記事を以下に貼っておきます。
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