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気持ち良いほどのお金持ち

 はじめましての人も、前から知ってる方も、ごきげんよう。
 岡埜おかの 由木古ゆきこです。

 とらーとらーまごーまごー

2026年3月14日
丙午睦月二十六日
(文字数:約1800文字)


  「大原美術館所蔵
   名画への旅
     ー 虎次郎の夢」
  中之島 香雪美術館にて
  2026年3月29日まで


「買って良し 金送る」

 ……一度で良いから言ってみたいなぁ!

 岡山県は倉敷の紡績会社社長、とその息子社長、二代に渡ってその才能を評価され篤く信頼された洋画家、児島こじま 虎次郎とらじろう

 まずは父親社長がヨーロッパへ絵画留学させてくれて、アカデミーに入って教授や学生たちと交流が出来ていくうちに、虎次郎は画家としてはもちろん画商としても、結構な目利きになっちゃって、

 絵の解説や周りの評判はもちろんだけど、画家本人たちに話を聞いたり、普段の生活振りを垣間見たりして、人柄や大事にしている思想、日頃興味を持っている事柄まで、画家一人一人に対し詳細に書き記している。

「……で、この絵、買っちゃっても良いですか?」
 という手紙に対して息子社長、大原おおはら 孫三郎まござぶろうが返した電報が、これなんだ。

「カッテヨシ カネオクル」

 なんだこの心意気に打たれた男の心意気に打たれる話は。

(ちなみに「とらとらまごまご」は、この二人をモチーフにアーティストの井上涼さんが作った動画。)


日本の牡丹の苗あげますから

 ほとんどの画家が当時は学生たちなわけだ。
 ピサロもスーラもゴーガン(虎次郎表記)も、将来どんだけ有名になるかなんて、当時は分かりゃしていないわけだ。
 値を付けて買ってくれるだけで嬉しかったりするわけだ。

 中には「ぜひ買うべき!」と言い切られて買った絵もあるけれど、そいつがエル・グレゴの『受胎告知』だってんだから正解だ!

 そんな中でもさすがにモネは重鎮で、
「私の絵は売り物じゃないんだよ。はっはっは」
 とか言われかけていたらしいが、

「日本の牡丹の苗差し上げますから!」
「は……」
 というわけで私は数多くある『睡蓮』の中の一つを、今ここで見ることが出来ている。

 自慢の庭を案内する自分の写真までモネは撮らせてくれている。


普段は倉敷の大原美術館所蔵

 そんなこんなで明治から大正期に三回、通算8年間はヨーロッパに(あとエジプトにも)暮らして、集めに集めたコレクションがまずは100点。
 帰国後の展覧会も大成功の大盛況。孫三郎はコレクションを収蔵するために大原美術館を設立。

 その後もコレクションは増え続け、虎次郎の死後もピカソとかムンクとか収蔵された。

 その大原美術館は今現在、今年の4月24日まで改修工事中で休館、という事で、今回大阪の香雪美術館に貸し出してくれたわけです。

 虎次郎個人の目利きによって選び出した作品群なので、ジャンルや人物などはバラバラだ。
 とは言えつまり全体で1910年代のヨーロッパ(とエジプト)が丸ごとだ。面白すぎる。

 

それ以前に香雪がお金持ち

 会場の順路が奇妙な流れになっていて、要所要所に学芸員さんを配置して誘導しなくては、実際に多くの人が迷っている。

 なぜそんな展示順序にした?
 と不思議に思いながら進んでいくと、そもそものこの香雪美術館の元になった、朝日新聞の創業者、村山龍平りょうへい氏の功績を讃えるコーナーへと誘導された。

 讃えるどころではない。生前暮らしていた邸宅のジオラマが置かれていたり、邸宅の居間と書斎と、茶室『玄庵げんなん』なんかは丸ごと再現されていたりする。
 香雪こうせつは村山氏の号であった。

 香雪美術館の本館は神戸市の御影みかげにあるんだが、言わば大阪の分館であってもこの設備投資力。

 虎次郎の目利きと孫三郎の財力で、すでにすげーすげーと語彙力を失いかけているところに、
 村山氏の数奇者すきしゃ尽くしをこれでもか! と見せつけられて、
 ド庶民のワタクシにはもう裕福優雅が飽和状態。妬みや羨みなどはこれっぽっちも残りませんのことよ。

 いやぁうなるほどのお金があったら人は文化にしか使わないんだな。
(・∀・) (・ω・)
 帰宅しての感想第一声がそれだったもので、配偶者からは素で「なんのはなし?」と訊かれた。


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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