「死ねないから生きている」はただの言い訳か
それもまた、自らに貼ったレッテルのひとつに過ぎないのではないかと思い始めた。ラベリングとでも言うのだろうか。つまるところ、「適応障害」「HSP」「メンヘラ」と同じように、単なる言い訳の道具として使っているのではないかと。
最近はやや生の方に秤が傾いている感覚はあるものの、「死ねないから生きている」という感覚自体は、嘘ではないとは思っている。それはやはり僕の中に確かに存在しているし、以前記したような出来事が起こって唐突に命を絶たれても、さしたる後悔は生まれないように思われる。もちろん、実際にその瞬間が訪れればやはり生に縋りやり残したことや後悔が走馬灯のように頭の中を駆け巡るのかもしれないけれど。
とはいえ、ことここ最近に至って、プライベートな日記で、あるいはnoteで、「死ねないから生きている」と口にするそれは、半年前や一年前に口にしていたそれとは様相が変わってきたように感じる。つまりは、本当に切羽詰まったところで口にしていた言葉が、先に述べたように単なる言い訳の道具に成り下がったということである。
適応障害、フリーランス、独身、借家住まい。一般的な観念からすれば不安定な生き方をしている自らの将来への不安から目を背けるため、より短期的に「今月で契約を打ち切られるかもしれない」という恐怖を「そういうリスクを取っても自分に合った生き方をしよう」と思い込むため、キャリアプランニングやライフプランニングといった言葉に対して斜に構えてしまう天邪鬼な自分を許容するため、自分の人生にも他人の人生にも深入りしないという選択を正当化するため、目先の欲求を満たすことを優先してしまう計画性の無い自分を「今日一日を生きる」というオブラートに包むための言い訳として。
「死ねないから生きている」
口にすればするほど、軽薄で、稚拙で、言い訳の色彩が濃くなっていく。
それでも、少なくとも今の僕はまだ、この感覚を捨てきれない。
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