【愛でも喰らえ】#8 「花にそむき ダビデの歌を 誦せむには」
GWが始まった。
昭和の日はあいにく曇りと雨だが。
初めて神保町に来た時は、地下から地上へ上がる階段が狭くキツくて東京らしい物理的窮屈さに嫌になったことがある。
けれど今日上がる階段は心なし軽く、ヒールでスキップをしているみたいだ。胸がワクワクする。
そうだ、帰りに古書街と老舗の文具店に行こう。
今日は新刊「SODA」の合同ミーティングである。
この雑誌は読書量も趣味も広い恩田が編集長となる。
洒落っ気がない詩乃でも、作家が一同に会する今日は変なものは着ていけない。
白いカットソーにベージュのジャケットとパンツ、パールのネックレス、モスグリーンのアーモンドトゥのパンプスに、つけ爪はピンクベージュにした。バッグは軽めのキャメル色のトートで、どれも高額ではないが「気を配った格好」にはなった。
相変わらず髪はどのようにアレンジすれば良いのかわからないので、ひっつめでバレッタをとめただけだ。
出版社の指定された会議室のドアをそっと開けると、早くも席は八割埋まっていた。四十人はいそうだ。
緊張しながらプリントを貰い、後ろの方の席にしずしずと座る。
あらゆる人がいる。
眼鏡でラフなシャツとジーンズで来ている中年男性は文庫本を読んでいる。友人同士なのか、隣り合わせでお喋りをしている詩乃と同年代の女性たちや、前の方にはパンクバンドからそのまま抜き出たかのような、真っ赤なトサカをセットしたモヒカンまでいる。
ここにいる方達、みんな作家さんなんだ……
そう思うと、会場の静かな熱気に気圧される。
「こんにちは〜、編集長の恩田です〜」
ぺこぺこしながら恩田さんが挨拶を始めた。
恩田さんは肌ツヤが風呂上がりのように良い。詩乃より年上であるのに、間違いなく詩乃の方が肌がくすんでいる。
活字が大好きで、それを仕事にできて栄養をとっているようなイメージだ。背は低く太めで物腰柔らかく中性的である。元々は漫画が好きで、ラノベにうつり、文学にハマった経緯を聞いたことがある。流行ものは一通りチェックし、センサーも広い。
恩田さんなら子供のカードゲームについて悩むお父さん同士の中でも、カルチャーセンターで編み物教室にいるおばちゃんらの中に混じっても、コミケ会場で新刊を漁っている入場者に混じっても、グルメレポで都内のオシャレな喫茶店でアフタヌーンティーをいただいていてもスッと馴染む。
しかも毎朝息子、娘と七キロランニングもしているという。学生時代はラグビー部のキャプテンだった。編集部きっての早起き人間で、校了以外は朝イチで入社し、早めに帰宅するマイホームパパだ。夜の打ち合わせでは電話口の向こうで「パーパぁ〜」と子供の声がする時がある。
恩田さんはその体型に反してどこまでもクールでスマートな人間だ。
紺野さんは「SODA」の編集チームにはいないようで、ホッとした。
あの桜の夜。
一通り涙を出し切ると、落ち着いた。
ただ、そのまま家に一緒に戻ることには戸惑った。
慰めてもらいたい、という気持ちはとても持てなかった。
不器用な詩乃の想いを察した紺野はそのまま駅に向かった。明るい駅に入ると、紺野のカーディガンは乙女さんの毛がびっしりとついているのが分かり、大慌てで隣の百均でコロコロを買って取った。
それから二日間は自分の幼さに落ち込んだ。
あれはまさに認められなくて地団駄を踏んでいる子供をあやす親の構図ではないか。
今でも寝る前に思い出しては布団の上でうわあああああ、と居た堪れずにゴロゴロしてしまう。
やはり紺野さんの前では作家としての話はやめよう、絶対やめようと決める。
恩田は新刊の趣旨を一通り喋ったあと、
「今日はお集まり頂き有難うございました。外は雨でございますが、ここでは皆が童心に戻って活字にまつわる楽しかったことや、『SODA』でやりたいことを気軽に喋って下さい。では、まずは皆さまの自己紹介からお願いしましょうか。お名前と一言だけ、よろしくお願いいたします」
前席から順に挨拶に入る。
リズムよく次々に流れてゆき、詩乃はあの方があの作品の……と脳内ですり合わせをするので精一杯だった。メディアで知っている顔や有名作家さんもいて、時々場内から、「ええッ」と驚きの声があがる。
次々に挨拶される人たちの中で、
「やしろ梓です。よろしくお願いします」
という落ち着いた声を発する女性を見た。
色白でサラサラの黒髪のショート。眼鏡をかけた雰囲気は知的であるが柔らかい印象を受けた。クルーネックの薄手のセーターとカーディガン、下はクラシカルなバーバリーのパンツを合わせていた。
この方が…………
前の席に座っている女性らがひっそりと囁いた。
「あの人、東大出身らしいよ……」
もしそうなら、やはり文学は頭がいい人がなるものなのかなあ、とほんのり思う。高校卒業後すぐに獣看護学校に通った詩乃は、技術はあってもアカデミックな知識は皆無である。
そうこうしているうちに、すぐに自分の紹介の番になり、
「北川詩乃です。よろしくお願いします」
と早々とお辞儀をした。
ミーティングは想像以上に熱のこもったものになり、
「作家同士の交換日記」
「怪談、百物語リレー」
「私の活字ジャンクジャーナル」
「愛する作家へラブレター」
「空、耳……?」
などといった、遊び心満載の案が次々に出てその度に笑いが出た。
詩乃も突然名指しされ、苦し紛れに「偏愛する生き物」「動物の思い出」という案を出して、「あー、いいねー」と頷く人が多くホッとした。
時間はあっという間に過ぎ、笑いながら恩田は終了の挨拶をした。
「予想以上に充実した時間となりました。是非、雑誌の企画に反映したいと思います!また、フリーマーケットで『SODA ZIN』の発行も考えております。お手元のアンケート用紙に執筆OKか否かチェックをして忘れ物のないようお帰りください。本日はありがとうございました!」
ガヤガヤと雑談するもの、そのまま帰ってゆくものの中、詩乃はやはり自分から声をかけにいくことが出来ずバッグを肩にかけてドアに向かおうとした。
その時、
「あの」
と呼びかけられた。
振り向くとトサカ……ではなく、赤いモヒカンを垂らした太り気味の大男が立っていた。
シャツにはチェゲバラを模したデザインに、黒革のジャンパー、チェーンのネックレス、ピアスと凶器になりそうな重そうな紐ブーツを身につけている。
パンクファッションは細い体躯の印象があったが、目の前にいる男は百キロはありそうだ。
昔の世紀末格闘漫画に出てきそうな敵役のイメージをプンプン匂わせ、顔立ちも一重にたらこ唇、団子鼻で日焼け気味の肌はねっとり汗染みている。
詩乃はその迫力にたじろいだ。
ええっと、この人、誰だっけ、前列で声が聞こえなかったりした人もいたのだ。オドオドしていると、
「北川さん、ですよね」
「あ……はい」
「デビュー作から読んでます」
「え……あ、ありが……」
「でも、つまらないっすよね」
「へっ」
「あんたの作品、毒がない。綺麗ごとばかり」
「………………………」
目をぱちくりする。
「あ、僕、小藪宗介といいます」
小藪……!
そうか、こいつが忍者の……と思っていると、
「今回は負けたけど、次はアンタ、倒すんで」
「……………………」
何も言えない詩乃を見て、小藪はニヤっと笑った。
「よろしくです」
そのままトサカ男はチャリーン、チャリーン、とチェーン音を弾かせつつ、去っていった。
「……な、なんやのん…………」
詩乃はやっと言われたことを理解出来た。
さっきの「よろしく」が「四六死苦」に聞こえたわ。
なんやのん、あれは。
あのトサカはっ
なんだか思い切りバカにされたような気になり怒りが込み上げてきた。すぐに言い返せなかったことが悔しい。
詩乃がわなわな震えていると、後ろから声が再びかかった。
「あの、気になさらない方がいいですよ。小藪君のあのイキリは『好き』の裏返しですから」
「ええッ?……あ…………」
振り返った詩乃は固まった。
やしろ梓が戸口でにこやかに立っていた。
(次回)
(マガジン)
