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【愛でも喰らえ】#21 「すぐれて恋ひ すぐれて君を うとまんと」



 夜からまた雨が降り出した。


 いつもなら居間にいる飼い主がニ階の寝室に籠ったきり出てこない。
 乙女さんは階段を駆け上る。

 お散歩中も、いつもなら「今日は夕陽が見えないねえ」とか、「まだ歩ける?」とか声をかけるのに、今日の飼い主はぎこちなく微笑むだけで無言のままだった。

 帰宅してチャップリンとご飯を食べていると、飼い主はニ階に上がってゆき、そのまま音沙汰がなかった。

 布団をかぶったまま寝ているようだった。


「うう……ズズッ……」


 鼻を啜る音がする。
 乙女さんは布団のそばに寄ってゆき、ちょこん、と片足をのせた。

 気づいた詩乃は布団から手を出してよしよし、と乙女さんの足に握手した。飼い主の異変に勘づいたのか、チャップリンもニ階に上がって、戸口のところでじっと伺っている。


 その時、ヴーと携帯が鳴った。


 暫く無視していたが、諦めて起き上がる。酷い顔だ。髪も落武者になっている。これではトサカを笑えない。
 泣きじゃくった中年の顔はなかなかホラーだ。メイクのアイシャドウは崩れてゾンビのクマのように目の下に貼りつき、口はへの字で茶色い。涙の跡や布団のシーツの跡が両頬に不気味についている。さすがアラフォー。この年になると「失敗」や「挫折」はなかなか響く。いや、響くどころかメンタルが病む。


「恩田さんから聞いたと思うけど、大丈夫ですか?」


 紺野からのSMSだった。


 能面の顔で返信を打つ。


「大丈夫です。お心遣い有難うございます。また後日こちらから連絡しますね」


 送ったあとで深いため息をついた。全く大丈夫ではない。
 この返信は詩乃なりの「今は放っておいて」のメッセージである。
 こういう場面を何千とみてきて、自ら指示した紺野なら、おそらく分かるであろう。


 詩乃はデビューして以来、初めて打ち切りをくらった。

 なかなかの衝撃を受けるとはきいていたが、自分を全否定したくなるほどの破壊度だった。


 乙女さんを抱きながら、冥色色の窓を見やる。
 まるで自分の心そのものだ。梅雨後半の女雨がシトシトと音を立てている。低気圧と泣きすぎで頭が痛い。お腹が減ったが、とても包丁を持つ気力などない。


 その時頭の中にジュワっと香ばしい香りが浮かんだ。


 もぞもぞと落武者ヘアのまま起き出し、携帯のデリバリーサービスでここぞという時のお弁当を注文した。


 北千住の下町食堂、勝めし。


 じゃんじゃん焼きやタンメン、ロースカツカレー、肉野菜炒めといったスタミナご飯が美味しい処だ。


 特に、旨塩唐揚げ弁当がお気に入りである。


 唐揚げは出来立て熱々が美味しいことを大事にしているのか、デリバリーも三十分予定がいつも十六分くらいで届けてくれるのも嬉しい。

 クレンジングと洗顔をして、乙女さんとチャップリンのお皿を片付けていると、ピンポンチャイムが鳴り「こんにちはー」と配達員さんの声が響いた。

 ビニール袋を持つと温かい。それだけで癒される。

 詩乃は冷蔵庫からビールを取り出してお弁当を開けた。

 たっぷり盛られた白米と、揚げたての大きな唐揚げが六つも入っている。
キャベツの千切りの上にあるレモンをじゅっと唐揚げにかけて、「いただきます」とさっそく頬張った。

 ジュワッ

 口の中で溢れる肉汁と、塩味で幸福感で一杯になる。

 ビールを飲んで、また唐揚げ。ジュワッ。


「かー、旨い!!」


 唐揚げをハフハフを口いっぱいに頬張りご飯をモリモリ食べていると、身体中からエネルギーがみなぎってくる。気持ちを上げるにはやはり肉だ。

 我ながら単純だと思うが、人はどれだけ落ち込んでいても、たとえ大切な誰かが死んで悲嘆にくれている時でも、お腹は減る。喉も乾く。
 心が現実を受け入れるまで遅いか早いかの違いだけなのかもしれない。

 だったら早く現実に戻りたいし、もし自分が死んだ時、残された乙女さんとチャップリンが意気消沈して食べないでいたら、冥土から「頼むから元気に食べてえええ!その方が嬉しいから!」と訴えるであろう。

 勢いよく見事に完食した。

 缶ビールの残りの一口を飲み、満足した。


「はあ〜、ご馳走様!」


 食後、ネットを見ようとした時思い出した。

 確かトサカがSNSでかき氷のこと呟くっていってたな……

 なんとはなしに「小藪宗介ー忍々ー」をみると、


「うへっ」


 充血した目を丸く見開く。

 写真には、詩乃の首から下が写っていた。
 白いノースリーブの腕とテーブルの苺のかき氷二つが絶妙に撮られている。

仕事の合間に天神さんに参拝。
臥牛を撫でていた北川詩乃先生を発見!
喫茶店で苺のクリームかき氷を食べました!旨っ
北川先生に色々と話を聞いて貰いました。
いい刺激を受け、執筆に気合が入ります。忍々!

7月2日 18:08

北川詩乃先生の連載『万寿婆あの夜廻日記』は
「movement」7月号にてスタートしています。夜露四苦!

7月2日 18:11


 広告して下さるのはとっても有難い。
 だが問題は匂わせ的な写真である。てっきり自分のかき氷をアップするのかと思いきや、これでは仲がいい風に思われるではないか。赤いかき氷二つは嫌だ。やめてくれ。誤解をうむ。

 しかし、詩乃は読み専用のアカウントしかないし、特定されるかもしれないため、スキも押したくない。つまり、コイツと繋がりたくはない。


 広告してくれた感謝を持ちつつも、ため息をついて画面を閉じるしかなかった。


「もうどうでもいいや……」


 四回で連載が終了とわかれば、アイツは「やっぱりね」などと冷笑するに違いない。見下されるのは悔しいが、今はネガティブなことは考えたくなかった。


 すると、携帯が鳴った。


 紺野からだった。


 ばつが悪い心持ちがして惑ったが、声を聞きたい方が勝った。
 こんな自分が嫌だ。


「……もしもし」


「紺野です。……大丈夫?」


「……ええ。有難うございます。わざわざお電話くださって」


 感情の線引きが難しい。
 打ち切りを最終的に決めたのはにっくき編集長なのに、紺野の声が聞きたい自分がいる。


 暫く無言が続く。


「詩乃さん」


「はい」


「あなたはとても自立した方なので、今回の件は公正に判断させて頂きました」


 公正に、と聞き胸がチリっと痛む。


「はい。有難うございます」


「ここからは編集としての立場と、男として、両方の立場から伝えます」


 詩乃は身構えた。



「あなたはきっと最高の作家になります」


 
「多くの人が背中を追いかける作家に。その才能があります」



「あなたを強く押した福田喜子先生と同じ気持ちです。今はその地点に向けて登り始めたばかりです。私はあなたが高みへと昇ってゆけるよう応援していますから」


「だから、迷ったときは遠慮なく相談してください」



 紺野の真正直な、不器用とも感じとれる言葉に、詩乃は唇を噛み締めた。


 ちがう……ちがう、全然自立していない。未熟だし、下手だし、今回だって打ち切りぐらいでボロボロになっている。

 それでも、紺野の真っ白で少年のような純朴な応援は涙が出るほど嬉しかった。この人に甘えてはいけない、と思っている。ともすれば藻屑となって流される方がずっと楽であろう黒い大きな波を作家は一人で乗りまわさねばならないし、自分でやってみたいのである。だから応援の気持ちだけで十分なのだ。

 大きな粒が詩乃の瞳からぼとぼとと溢れおちてきた。


「……はい……今後も一層頑張ります」


 PCのすぐそばに置いてある福田喜子先生の遮光器土偶キーホルダーを手に取る。


 ー秘すれば花なりー


 先生、ごめんなさい。先生への感謝の気持ちで書いた作品を私の技術不足で十分に昇華することができませんでした。
 これでは先生の墓前にも立てまい。


 紺野と暫く電話で話した。GWから会っていない。


「あのー……」

 彼は言いにくそうに切り出した。


「小藪くんと、会ったんだね」


「はっ」


「仲良く苺のかき氷を…………」


「いやいやいや、ヘンな誤解しないで下さい。天神様で偶然に会って、かき氷奢ってくれただけですからっ。ずっと食べてみたかったんです。オシャレなかき氷」


「ああ、そうなんですか。てっきりいい雰囲気なのかと…………」


「ないないない、トサカ……じゃなくて小藪さんからは敵対視されてます。ライバルなんです、あいつと」


「へえ……『あいつ』……」


「もしかして、ちょっと妬いてくれました?」


「うん?」


「うん?」

 
 
 ついつい詩乃も繰り返してしまった。


「いや、意外な組み合わせだなあ、と思って……」


「組み合わせ、とか言わないで下さい。寒気がします。あ、小藪さんの作品掲載されるそうですね」


「うん、子供の頃からずっと構想を持っていたと言っていたし、気骨はあるし、担当とも売り出してみようかと話しています」


 トサカめ!!奴のニヒルな笑みがすぐに浮かび、詩乃は一層打倒小藪の念を抱いた。


 その夜は、落ち込んだ日用にとっておいたアユーラの入浴剤で湯船につかった。
 リビングやキッチンをみると、梅雨時の怠惰で荒れ放題だ。洗濯物も溜まっているし、流し場は食べたカップ麺が転がっている。明日は掃除しなければ。

 しばらく無気力になっていたが、今日のことで「こうしてはいられない」戦闘的なエネルギーが沸々と湧いてきた。

 おみくじの進言どおり、まずは生活を立て直そう。

 寝ようとすると、チャップリンが両足の間に入り込んできた。
 乙女さんも尻尾をふりながら布団に入った。動物の生身のあたたかさが落ち込んでいる時には沁みてくる。

 二匹と一人、雨音を聞きながら夢へとおちた。




(次回)


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