【愛でも喰らえ】#13 「ひとすぢに あやなく君が 指おちて」
男という不確かで純粋なるもの
女という強かで残酷なるもの
ニ年前の十月。
都内のホテルで第五十二回逸見新人賞授賞式が開催された。
大手出版社の一つ、逸見社が文芸、絵本、ビジネス、漫画の各分野で新しい才能を発掘する年に一度の大きな公募で、八編集部にわかれて各大賞を選ぶ。
文芸部門の「movement」では幅広いジャンルを扱いエンターテイメント性の高い小説を求めている。その大賞に北川詩乃(愛媛県)の「御宿マタギ料理帖」が選ばれた。
職場の動物病院でお昼にのりたまご飯を食べていた時に、槇野から受賞の知らせを聞いた。
詩乃にとって「詐欺かな?」と最初疑ったくらいに自分には遠い世界だった。
東京には研修で年に幾度か訪れるが、正直どこがいいのか、なぜ若えモンは東京さいくだ?と問いたい程苦手な場所であった。
人が異様に多い。
ターミナル駅が魔界。
ビルばかりで窒息しそう。
満員電車。
目に煩く、耳にも煩い看板だらけ。
とにかく五感を病むものばかりだ。
どこへ行っても人波に揉まれ、コンクリートに圧迫された気持ちになる。空も狭い。お散歩している犬も、雑踏の中で窮屈そうだ。
テレビで都内中継が流れると、レポーターの後ろを群衆が歩いている姿が映る。詩乃はずっと「群衆のエキストラを使っているんだ」と思っていた。しかし実際東京に行くと、その群衆が「ホンモノ」であることに仰天した。かくいう自分も群衆のうちの一人だった。
都内研修に行くたびに、どっぷり疲れた先生や同僚と
「どこがええんやろ」
「酔うやろ、こんなところ」
と散々けなしていた。
広い空と海と山が揃い、魚介と蜜柑やポン酢を代表とする調味料も新鮮で美味しく、交通の便も分かりやすく、買い物も便利で、「坊ちゃん」の文学風景を表したレトロさ溢れる市内の居心地の良さを皆で挙げて、東京土産だけはしっかりと買って愛する地元に帰ってゆくのだった。
授賞式は大規模で、会場は赤坂のなにやらハイグレードなホテルである。
詩乃は正直気が進まなかった。自分のような一般人が煌びやかな会場で登壇してスピーチをし、注目を浴びるということが恐ろしく滑稽でつまらぬことに思えた。
自意識過剰ではない。己の胸に手を当て正直に「場違い」だと確信している。その日が近づくにつれ憂鬱になり、いっそボイコットをしようとさえ考えていた。
「ダメダメ!今からドーンとこういう場にあたっていきましょう!大賞が欠席は白けますって!」
当日になり、ますます場違い感を募らせた詩乃は、ホテルのロビーで槇野に相談した。
「フツーでいいんですよ、フツーで。イェア!大賞とったどー!って叫んでもいいんですって!」
「……じゃあ、槇野さん代わりに行って下さい。私は明日朝一番でチンチラのオペの補助があるんですぐ帰らないと……」
「チンチラちゃんは、今は脇に置いておきましょうっ。僕はすっごく嬉しいんですよ。自分が第一選考で「面白い!」って選んだ作品がこうやって大賞に輝くなんて。すごく誇りに思います。だからこそ表彰台に立つ北川さんをみたいんです」
「槇野さん……」
「ね!北川さん!」
「……やっぱりチンチラが…………」
「だあッ!!もうこうなったら、会場にいる人全員チンチラって思いましょうッ」
「全員チンチラ……?」
「ほら、チンチラがたくさんもふもふとパーティーをしている様子を想像して下さい。なんだか可愛く思えてきませんか?シルバニアファミリーみたいで」
もふもふ……
パーティー…………
「確かに……チンチラってそもそも集団で生活していますね……」
「ね!で、会場で動物に似た人をみたら『あの人、モモンガみたいだな』とか、『この人はカピパラ』とか、脳内変換して接すればリラックスできませんか?うーん、変換対象はほんわか系がいいかも」
「ははは、では槇野さんはオオホンセイインコですね」
「オオホン……?なんですかそりゃ」
その時ソファの後ろから、
「お疲れ様です。槇野君」
幾人かの編集者が受賞作家を連れて合流してきた。
詩乃がおずおずと振り返ると、すぐに右端から二番目の背の高い男性と目があった。
その途端詩乃の思考が空白になった。
男性も詩乃の瞳を見た。
中央にいた小太りの男が話しかけた。恩田だ。
「北川先生ですか?」
「あ……はい……」
恩田をみて、詩乃は「猫さんだ」と思った。よく開運やおめでたい時に登場する目を瞑った丸々とした幸せそうな福猫。
すると、背の高い男が詩乃の前に立ち名刺を差し出した。男は鉄黒色のスーツに血石色のネクタイを身につけていた。
「はじめまして。北川先生。この度は大賞受賞おめでとうございます。編集長の紺野といいます」
「あ、ありがとうございます……っ」
詩乃は深々と御礼をして名刺を頂いた。
「『御宿マタギ料理帖』、どの場面も素晴らしい描写力でした。ここまでリアルに動物と対峙できる小説はないと思い、みんなで大賞に押させて頂きました。とても期待しています」
「もったいないお言葉です。今後も精進できる様頑張ります」
詩乃はあらかじめ用意しておいたお返事パターンの一つを答えて頭を下げた。
……あれ…………
「編集長、そろそろ始まります?」
尋ねる槇野に男は落ち着いた口調で答えた。
「うん、会場に上がりましょうか」
あれ…………
動物変換がこの男には見つからない。
詩乃は編集長と呼ばれる男の風貌をみて、さまざまな動物に当てはめてみるのだが、どれも異なっていた。
そして、エレベーターに乗る時、会場の椅子に着席する時、司会者の話や受賞者のスピーチを聞いている時、拍手をしている時。
ふっと無意識に目を見やると、幾度もその男と目が合った。
あれ…………
担当の槇野のおかげで会場全員チンチラ変換した詩乃は、緊張でぐるぐる目が回りつつも笑顔で受賞の言葉を暗記したままに述べることができた。
しかし、その男は、男のままだった。
その男だけは現実であった。
「一体なんやろ…………」
帰りの愛媛行きの飛行機の中でも、翌朝目が覚めた時も、車を運転している時も、病院で診察台で粗相をしてしまったワンさんのうんちを処分している時も、ふっとその男の空気を思い出した。エレベーターに乗る後ろ姿。挨拶をした時の表情。スピーチをみる眼差し。
後日、槇野とFaceTimeでデビュー作の出版スケジュールを話し合った。幾度か推敲する必要があり、五ヶ月後に正式に出版となる。
「えーと、北川さん、うちの出版社に来れます?」
「え?」
「うーん、愛媛からはキツイか。実は編集長が同伴して打ち合わせを希望しているんです」
「……………………」
「編集長のテコ入れ、と我々は陰で呼んでいるんですが、有望だと思った人には編集長も加わって打ち合わせしているんですよね」
槇野は小声でこっそり話す。
「ここだけの話、編集長が加わった時は高い確率で売れます。動くドル箱吸い取り器とか呼ばれてます。神通力でも持ってんですかねえ」
槇野の声が遠のき、頭がぼんやりしてきた。
「けど交通代もかかっちゃいますし、FaceTimeで大丈夫ですよ!」
「いえ、そちらに直にお伺いします。ええっと、東京観光もしてみたいですし」
我ながら拙い嘘をついた。あれだけ苦手だった東京なのに。
あの人に……また会える。
あの人の体感を、また感じることができる。
詩乃の心に桃色の木蓮がふっくらと柔らかくふくらんだ。
「あ、そうですか?じゃあ打ち合わせの後に美味しいもの食べましょう!そうだ、ネットでみましたよ、オオホンセインコ!イケメンじゃないすか〜」
槇野さんのフレンドリーな喋りっぷりはインコを彷彿させる。しかしその軽やかな声も、どんどんと遠のいていった。
挨拶をして、終了ボタンを押す。
パソコンの前でしばらく静止する。
詩乃は自分が辿っている本能を、段々と理解できた。
もしかして……
もしかして私……
この年でまさか。
どう巡っても、認めざるを得ない。
恋という感情を物語ではなく、現実で膨らませていることに。
(次回)
(マガジン)
