創作大賞感想#3 「多くの人たちの人生の一部を分けてもらいながら」春野なほさんの言葉に出会って
お昼前、ぼーっとした頭でnoteを開いてしまったのが、運の尽きでした。
最初の数行で、お腹がぐうっと鳴ってしまったんですよね。
春野なほさんの「おいしいナンは焼けないけれど、私も社会の一部になりたい」というエッセイ。冒頭の食事描写が、本当にずるいくらい食欲を刺激してきます。
銀色のお皿からはみ出し、テーブルにくっつきそうなくらい大きなナン
ふああああ。しあわせ……。
文章を読んでいるだけなのに、湯気の匂いまで漂ってきそうな描写。
「これは危ない記事を開いてしまった」と思いながら、結局最後まで一気に読んでしまいました。
でも、このエッセイは「食べ物の話」だけじゃなかった
ナンとカレーをじっくり味わいながら、ふとこんな気づきが訪れます。
「こんなおいしいナン、私には焼けないな」
当たり前のことなんですよね。料理人じゃないんだから、ナンを焼く技術は持っていない。
でも、その「当たり前」から、思考はすうっと深いところに降りていきます。
ナンを焼くお兄さんは、春野さんとはまったく違う人生を歩んできた人です。
その人が積み上げてきた技術のおかげで、今、しあわせなランチの時間がある。
そして辿り着くのが、このエッセイの核となる一文でした。
想像もつかないほど多くの人たちの人生の一部を分けてもらいながら、私の一日は成り立っている。
これ、何度読んでも、すごい言葉だなと思うんです。
「お世話になっている」とか「支えられている」とか、似た意味の表現はたくさんあります。
でも「人生の一部を分けてもらっている」と書かれた瞬間、受け取っているものの重みが、まったく違って感じられるんですよね。
僕たちが日々受け取っているのは、サービスでも技術でもなく、誰かが時間をかけて積み上げてきた、人生そのものなんだという感覚。
この言い回しに、春野さんの感性のあたたかさを感じました。
僕の毎日も、たくさんの人生でできていた
このエッセイを読んでから、自分の毎日が少しだけ違って見えるようになりました。
僕の税理士の仕事は、誰かがビジネスを始めて、相談に来てくれることで成り立っています。
ひとりでは、仕事にすら、たどり着けません。
noteや資産形成もそうですよね。
色々な方の記事を読んでいるからこそ、自分の中になかった発想が次々と生まれてくる。
こうやって考えていくと、本当に多くの方の人生の一部を分けてもらいながら、僕の生活が成り立っているんだなと、しみじみ感じました。
「丸ごと抱きしめる」という締めくくり
そして、この最後の一文を読んだとき、本当にいい言葉に出会えたなと思ったんです。
私の人生が、少しでも社会の一部として役立つのなら、今までの苦労や葛藤も丸ごと抱きしめられる気がする。
「丸ごと抱きしめる」という言葉の選び方が、すごく好きです。
自分の人生を、そのまま全部受け止めるという覚悟が、この一言の中にぎゅっと詰まっている気がしました。
それが、誰かの一部になれているという実感によって叶うとしたら、こんなにあたたかい救いはないなと感じましたね。
結局その夜、カレーを食べに行きました
このエッセイを読んだ日のお昼は、なんとか別のもので済ませたんです。
でも、夜になっても、頭の中はずっとナンのことでいっぱいでした。
結局、我慢できずに、近所のインドカレー屋さんへ駆け込んでしまいました。

熱々のナンを手でちぎりながら、僕は今、何人の人生を分けてもらっているんだろうなと、ふと考えてしまったんですよね。
春野さんの文章は、お腹も心も満たしてくれる、本当にあたたかいエッセイでした。
ぜひ、お腹が空いているときに読んでみてほしいと思います。
春野なほさん、素敵なエッセイをありがとうございました♪
おいしいナンは焼けないけれど、私も社会の一部になりたい|春野なほ|エッセイスト|ライター|兵庫県
今後も創作大賞作品の感想を書いていきます。
コメントでおすすめいただけたら、ぜひ読ませていただきますね。
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