「異質」は面白いー企業の成長を加速させる「多様性ポジティブマインドセット」を組織に根付かせる人事戦略ー川上真史氏の見方を活かす
川上真史ビジネス・ブレークスルー大学教授の「企業と心理学 トピックス #50 多様性の受容」というテーマを取り上げます。
ここでは、現代の企業組織において不可欠な要素である「多様性の受容」について、心理学的な観点からそのメカニズムを解き明かし、個人や組織がどのように多様性を受け入れ、活かしていくべきかを論じています。特に、個人の「マインドセット」がどのように形成され、多様性の受容にどう影響を与えるのかを、具体例を交えながら分かりやすく解説しています。企業人事としてどう活かすべきか、考察してみます。
多様性受容の鍵は「コンピテンシーのホメオスタシス」
今回のテーマの中心的な概念として、「異質環境におけるコンピテンシーのホメオスタシス」が挙げられています。ホメオスタシスとは、外部環境が変化しても内部環境を一定に保とうとする生物の機能(恒常性)を指します。これをビジネスの文脈に当てはめ、慣れない環境や自分とは異なる価値観に触れた(=異質環境)としても、動揺せず、自身の能力(コンピテンシー)を発揮し続けられる状態を「コンピテンシーのホメオスタシスが保たれている」と定義しています。
例えば、これまで日本人だけのチームで日本語で会議をしていたのが、急に外国籍のメンバーが加わり、会議が英語で行われるようになったとします。この「異質環境」の変化に対し、戸惑いながらも通訳を介してでも積極的に議論に参加し続けられる人は、ホメオスタシスが保たれています。一方で、「自分は英語が苦手だから」と発言を一切やめてしまう人は、ホメオスタシスが崩れ、コンピテンシーの発揮が停止してしまっている状態です。
多様性が重視される現代において、新しい価値観、異なる業務プロセス、多様なバックグラウンドを持つ人々と協働する機会はますます増えていきます。そのような環境変化のたびにパフォーマンスが低下していては、個人としても組織としても成長は望めません。したがって、この「コンピテンシーのホメオスタシス」をいかにして保つかが、多様性を受容し、シナジーを生み出すための根源的な鍵となるのです。

ホメオスタシスを支える「ポジティブマインドセット」の正体
では、どうすれば異質な環境でもコンピテンシーを発揮し続けられるのでしょうか。川上氏は、その答えが「多様性に対するポジティブなマインドセット」にあるとします。自分とは異なる考え方や、未経験の事象に対して、「面白い」「新しい発見があるかもしれない」といった肯定的な心構えが形成されていることが、ホメオスタシスの維持に直結するのです。
この「マインドセット」という言葉を曖昧な精神論で終わらせず、その形成メカニズムを心理学のプロセスに沿って具体的に解説しています。マインドセットは、以下のステップを経て形成されると述べられています。
新規・異質の体験: これまで経験したことのない事象に遭遇します。
「情動」の発生: 心が揺れ動き、ドキドキしたり、落ち着かなくなったりします。この時点では、その心の動きに「嬉しい」や「悲しい」といった明確な方向性はありません。ただ揺れ動いているだけの状態です。
「誘因」の影響: その体験に付随して、外部から何らかの働きかけ(誘因)があります。
「感情」への変化: この「誘因」によって、「情動」が特定の方向性を持った「感情」へと変化します。
マインドセットの形成: この「体験→情動→誘因→感情」というプロセスが繰り返されることで、特定の事象に対して特定の感情が自動的に湧き上がる「マインドセット」が定着します。
つまり、マインドセットとは、ある出来事に対してポジティブまたはネガティブな感情が引き起こされるように「セット」された心の状態なのです。

「誘因」がマインドセットを決定づける
川上氏が特に強調しているのは、「誘因」の重要性です。同じ体験をしても、どのような誘因があったかによって、形成されるマインドセットは正反対のものになり得ます。
川上氏は、グローバルミーティングで下手な英語ながらも質問に答えた、という体験を例に挙げています。この時、ドキドキするという「情動」が生まれます。ここで、もし「つたない英語でも、相手が真剣に耳を傾け、笑顔で『理解できた、ありがとう』と言ってくれた」というポジティブな〝誘因〟があれば、「また挑戦したい」という心地よい「感情」が生まれ、英語での発言に対するポジティブマインドセットが形成されます。
しかし、もし誘因が「隣にいた英語の得意な上司が、不機嫌そうな顔で自分の説明を遮り、完璧な英語で説明し直した」というネガティブなものであったらどうでしょうか。同じ体験は、「恥ずかしい」「もう二度と話したくない」というネガティブな「感情」に結びつき、英語での発言に対する強固なネガティブマインドセットが刻み込まれてしまうのです。
このメカニズムは、多様性の受容においても全く同じです。例えば、「自分ができることを、部下ができない」という異質性(能力の違い)に直面した時。「なぜこんなこともできないんだ」という怒りの感情が湧く人は、過去の体験から、能力差に対してネガティブなマインドセットが形成されていると考えられます。
一方で、「面白いな。なぜ自分は簡単にできるのに、この人はできないのだろう。どうすればできるようになるか探求してみたい」とポジティブな感情を抱ける人もいます。この違いは、まさに過去の「誘因」の積み重ねによって作られているのです。
川上氏は、特に日本社会は同質性を重んじる傾向が強く、無意識のうちに異質なものを排除しようとするネガティブな誘因が働きやすい環境にあると警鐘を鳴らします。
そして、一度形成されたネガティブマインドセットを覆すのは容易ではないものの、意識的にポジティブな誘因を与え続けることで、変革は可能であると説きます。特に、部下や後輩を指導する立場にある上司や先輩の言動は、相手のマインドセットを形成する極めて重要な「誘因」となるため、その責任は大きいと締めくくられています。

企業人事の視点から本書をどう活かすか
今回提示された「多様性受容のメカニズム」は、企業の人事戦略を構築し、実行していく上で非常に多くの示唆を与えてくれます。単に「ダイバーシティ&インクルージョンは重要だ」とスローガンを掲げるだけでなく、社員一人ひとりの心の内側で何が起きているのかを理解し、具体的な施策に落とし込むための羅針盤となり得るでしょう。
人事戦略の根幹に「ポジティブな誘因の設計」を据える
今回のテーマを深掘りする中で、人事部門が担うべき最も重要な役割は、「社員が多様性に対しポジティブなマインドセットを形成できるような『誘因』を、組織のあらゆる場面で意図的に設計し、実装すること」であると確信しました。人事は、社員の体験にポジティブな意味づけを与える「環境設計者(アーキテクト)」でなければなりません。この視点から、採用、育成、評価、組織開発といった人事の各機能を再構築することが可能です。
例えば、ある社員が前例のないプロジェクトに挑戦して失敗したとします。これは「新規・異質の体験」であり、本人は不安や焦りといった「情動」を抱えているはずです。この時、人事制度や上司の言動がどのような「誘因」となるでしょうか。評価が下がり、次のチャンスが与えられなくなるというネガティブな誘因が働けば、その社員、そしてそれを見ている周りの社員は「挑戦=リスク」というネガティブマインドセットを強固にしてしまいます。
しかし、人事として「チャレンジ評価制度」のような仕組みを導入し、失敗してもその挑戦の価値を正当に評価するプロセスがあればどうでしょうか。上司が1on1で「今回の挑戦から得られた学びは大きい。次の成功につなげよう」と声をかける文化が根付いていればどうでしょうか。これらは強力な「ポジティブな誘因」となり、「挑戦=成長の機会」というポジティブマインドセットを組織全体に醸成していくはずです。人事は、このようなポジティブな誘因が自動的に生まれるエコシステムを構築する責任を負っているのです。
採用活動:「異質性」を歓迎するメッセージと選考プロセスの実現
多様性受容の第一歩は、多様な人材を組織に迎え入れる採用活動から始まります。今回の観点から見れば、単に多様な属性の人材を集めるだけでは不十分です。重要なのは、候補者が選考過程で「この会社は自分と違う部分を面白がってくれる」というポジティブな誘因を体験できるかどうかです。
まず、面接官のトレーニングが不可欠です。面接官自身が、自分と似た経歴や価値観を持つ候補者を無意識に高く評価してしまう「類似性バイアス」や、異質な意見に対してネガティブな反応を示してしまうマインドセットを持っている可能性があります。今回示されたマインドセット形成のメカニズムを面接官に学んでもらい、自身の言動が候補者にとってどのような「誘因」になるかを自覚させることが重要です。候補者のユニークな経験や考え方に対し、「それは面白い視点ですね」「もう少し詳しく聞かせてください」といった肯定的な反応を示すトレーニングは、選考の質を高めると同時に、企業の魅力を伝える強力な武器となります。
また、採用広報においても、成功事例だけでなく、失敗から学んだ経験や、異なる意見がぶつかり合って新しい価値が生まれたストーリーなどを積極的に発信していくべきです。これにより、「この会社では安心して挑戦できそうだ」「自分の意見も尊重してもらえそうだ」という期待感を醸成し、多様性を恐れない優秀な人材を惹きつけることにつながります。
人材育成:管理職を「ポジティブな誘因の提供者」へと変革する
今回示されるように、部下のマインドセット形成に最も大きな影響を与えるのは、直属の上司です。したがって、管理職育成は人事にとって最重要課題となります。管理職研修のプログラムに、本書のフレームワークを全面的に導入すべきです.
具体的には、管理職に対し、部下が新しい業務や困難な課題に取り組む際に抱く「情動」(不安、戸惑い、興奮など)を正確に察知し、それをポジティブな「感情」(やりがい、達成感、自己効力感など)へと導くためのコミュニケーションスキルを徹底的に訓練します。
特に1on1ミーティングは、絶好の「誘因」提供の場です。部下のつたない報告や未熟な意見に対し、すぐに結論を出したり、訂正したりするのではなく、まずはその努力や視点を承認し、「よく考えているね」「その視点はなかったよ」といったポジティブなフィードバックを与える。この積み重ねが、部下の挑戦意欲と「コンピテンシーのホメオスタシス」を育むのです。
管理職自身が、かつてネガティブな誘因によって多様性(特に自分と異なる能力や価値観)に対してネガティブマインドセットを持っているケースも少なくありません。研修では、管理職自身のマインドセットを内省させ、その固定観念がどのようにチームのパフォーマンスを阻害しているかを気づかせるワークショップも有効でしょう。
組織風土改革:「心理的安全性」はポジティブな誘因の土壌である
社員が異質な環境でもパフォーマンスを維持できる「コンピテンシーのホメオスタシス」が保たれた組織とは、言い換えれば「心理的安全性」が高い組織です。どんな意見を述べても、どんな挑戦をしても、罰せられたり、屈辱的な思いをさせられたりしないという安心感こそが、社員を安定した精神状態に保ちます。
この心理的安全性を高める、つまり組織の隅々にまでポジティブな誘因を行き渡らせるための仕掛けを構築する必要があります。例えば、人事評価制度において、個人の成果だけでなく、他者への貢献やチーム内での多様な意見の引き出しといった協調的な行動を評価項目に加えること。あるいは、部門や役職の垣根を越えた対話の場(クロスファンクショナルチーム、社内SNS、ワークショップなど)を積極的に設けること。
これらの施策は、社員同士が互いの「異質性」に触れる機会を増やします。その出会いが、人事の設計した仕組みによってポジティブな誘因と結びつくことで、「自分と違う人と働くのは面白い」という感覚が組織全体に伝播していきます。これが、真のダイバーシティ&インクルージョンが根付いた組織風土の正体です。
今回はその風土改革を精神論ではなく、具体的な心理プロセスからアプローチするための強力な理論的支柱を与えてくれる内容でした。

