【書籍】直感任せのマネジメントを卒業する:エビデンスに基づく組織課題解決のアプローチー伊達洋駆氏の書籍から
伊達洋駆著『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎、2022年)を拝読しました。
本書は、組織や人事の現場で頻繁に直面する44の課題に対し、経営学の一領域である「組織行動論」の知見に基づいた解決策を提示しています。特筆すべき点は、学術的なエビデンスに基づいた「効き目」のある施策を紹介するだけでなく、その施策がもたらしうる「副作用」についても丁寧に解説している点です。
著者は、組織の課題解決において「万能薬」は存在せず、ある文脈で効果的な施策も、条件が変わればネガティブな反応を引き起こすリスクがあることを強調しています。ここでは、採用、マネジメント、組織文化、働き方など、主要なテーマごとの知見と、見落としがちな副作用について見た上で、人事としてどのようにしていくべきなのかを考察します。
採用と定着:リアリティと適合性の科学
採用活動において、多くの企業は「自社を魅力的に見せたい」と考えます。しかし、研究知見は「リアリティショック」のリスクを指摘しています。入社前の期待値を上げすぎると、入社後の実態とのギャップに衝撃を受け、早期離職につながる可能性があるのです。ここで有効なのが「RJP(Realistic Job Preview:現実的な職務の事前開示)」です。ネガティブな情報も含めてありのままを伝えることで、入社後の定着率は高まります。
また、オンライン面接が常態化する中、対面よりも「惹きつけ」が難しくなっているという課題があります。非言語情報が減少し、感情や熱意が伝わりにくいからです。これに対し、面接を「構造化(質問項目や評価基準を事前に定める)」することが、オンライン環境下では候補者の納得感を高めるという知見は示唆に富んでいます。
さらに、「組織社会化」の観点からは、新人の適応には会社からの働きかけ(組織社会化戦術)と、新人自身の自発的な行動(プロアクティブ行動)の両輪が必要であることが示されています。ただし、会社側が過度に型にはめようとする(剥奪的社会化)と、新人の創造性が失われるという副作用も忘れてはなりません。
マネジメントとリーダーシップ:関係性の質と支援のあり方
上司と部下の関係性を考える上で、「LMX(Leader-Member Exchange)」という概念が重要です。これは上司と部下の関係性の質を表すもので、LMXが高いほど部下のパフォーマンスや満足度は向上します。しかし、チーム内でLMXにばらつきがある(特定の人だけと仲が良い)と、相対的にLMXが低いメンバーの疎外感を生むという「相対的LMX」の問題も指摘されています。
部下育成の手段としてのコーチングやフィードバックも、万能ではありません。例えば、フィードバック受容性が低い部下に対しては、能力開発を促す介入がかえって会社への愛着を低下させるリスクがあります。また、上司が支援しすぎることが、部下の「非倫理的行動(上司のために不正を隠蔽するなど)」につながる可能性も示唆されています。
リーダーシップにおいては、「変革型リーダーシップ(ビジョンを掲げ、鼓舞する)」と「交換型リーダーシップ(信賞必罰で管理する)」の使い分けが重要です。現代では変革型が求められがちですが、定型業務の遂行には交換型が機能する場合もあります。また、強力なリーダーシップは、時にフォロワーを疲弊させたり、盲目的な従順を生んだりする危険性も孕んでいます。
組織文化と制度:公正感と「強すぎる」文化の弊害
評価制度への不満は尽きませんが、分配結果(給与額など)の公正さよりも、「手続き的公正(プロセスへの納得感)」を高める方が現実的かつ効果的であるという知見は、制度運用において極めて重要です。結果は変えられなくとも、プロセスへの関与や情報開示によって納得感は醸成できるからです。
近年注目される「心理的安全性」についても、副作用が存在します。心理的安全性が高い環境は学習や発言を促しますが、個人主義的なメンバーが集まるチームでは「快適にサボる」温床になる可能性があります。また、成果への意識が低いままだと、ぬるま湯化するリスクもあります。
組織文化については、外部環境への適応を重視する「外部志向」の文化が業績につながりやすいとされています。一方で、「強い組織文化」は諸刃の剣です。環境が安定している時は強みになりますが、変化が激しい時代には、過去の成功体験や強固な価値観が変革の足かせ(慣性)となり、適応不全を起こす可能性があるのです。
働き方とウェルビーイング:自律と孤立の狭間で
テレワークの普及により、信頼関係の構築が課題となっています。対面に比べて信頼醸成に時間はかかりますが、頻繁なコミュニケーションを積み重ねることで同程度の信頼関係が築けることがわかっています。一方で、テレワークは仕事と家庭の境界を曖昧にし、役割葛藤によるストレスを高める副作用もあります。
従業員のウェルビーイングやエンゲージメントの向上は多くの企業の目標ですが、ここにも落とし穴があります。ワークエンゲージメントが高すぎると、過度な没頭によるバーンアウトや家庭生活の崩壊、さらには「自分の仕事」への執着からくる縄張り意識や知識隠蔽につながることもあります。また、「幸福」を追求しすぎること自体が、かえって幸福感を下げ、孤独感を強めるというパラドックスも紹介されています。

現場の「直感」を「科学」で補正する:人事視点からの活用アプローチ
本書が提示する「副作用」という視点は、私たち人事が施策を検討・実行する上で、非常に重要な示唆を与えてくれます。流行の施策や他社の成功事例をそのまま導入するのではなく、自社の文脈に照らし合わせ、起こりうるネガティブな反応を予測し、予防線を張る。そうした慎重かつ戦略的な姿勢が、これからの人事には求められるのではないでしょうか。
「良かれと思って」が招く事態への想像力
例えば、社員のエンゲージメントを高めようと熱心に取り組むあまり、社員が燃え尽きてしまったり、家庭との摩擦で疲弊してしまったりすることは、現場でも稀に見受けられます。
「エンゲージメント向上=善」と盲信するのではなく、「高まりすぎた場合のケアはどうするか」「休息を促す仕組みはあるか」といった視点をセットで持つことが一手です。
また、心理的安全性の醸成においても同様です。「何でも言える雰囲気」を作ることと、「基準を下げて馴れ合う」ことは異なります。パフォーマンス基準を維持しながら、発言のリスクを下げるというバランス感覚が、現場のマネジャーには求められます。人事は、「心理的安全性」という言葉だけを独り歩きさせず、その前提条件や副作用についても啓蒙していく役割が考えられるでしょう。
制度運用における「納得感」の設計
評価制度や異動配置において、全員が満足する結果を出すことは不可能です。だからこそ、「手続き的公正」の重要性が増します。
評価結果のフィードバックにおいて、単に点数を伝えるだけでなく、どのようなプロセスで決定されたのか、どのような情報に基づいているのかを丁寧に説明するスキルを、管理職に習得してもらうトレーニングは有効な投資となるでしょう。
また、新しい人事制度やテクノロジーを導入する際、現場で使われない(脱連結)という現象もよく起こります。これは、現場の実態と制度が乖離しているサインかもしれません。
無理に制度を押し付けるのではなく、現場が使いやすいように「適度な緩さ(解釈の柔軟性)」を残したり、制度導入の目的(有用性)を丁寧に伝えたりすることで、受容性を高める工夫がしたいところです。あるいは、現場が制度を少しアレンジして運用している場合、それを「不遵守」と断罪するのではなく、現場適応の知恵として観察する余裕も持ちたいものです。
マネジャー支援と組織の処方箋
現場のマネジャーは、プレイングマネジャー化が進み、多忙を極めています。その中で「部下のキャリア支援もしろ」「心理的安全性も作れ」「イノベーションも起こせ」と要求レベルは上がる一方です。
本書にあるように、コーチングや支援行動にはマネジャー自身の資源(時間、精神的余裕)が必要です。マネジャーに役割を課すだけでなく、マネジャー自身が会社から支援されていると感じられる状態(上司サポートや組織的支援)を作ることが、結果として部下への良質な関わりを生む土壌となります。
また、組織学習の観点では、既存の枠組みの中での改善(シングルループ学習)だけでなく、前提そのものを疑う学習(ダブルループ学習)の必要性が説かれています。
人事が主導する研修や施策が、前例踏襲のシングルループになっていないか、時には「アンラーニング(学習棄却)」を促すような、痛みを伴うが本質的な問いかけを組織に投げかけることも、組織の健全性を保つための一手となるでしょう。
科学的知見を「羅針盤」として活用する
最後に、採用や配置における「バイアス」との付き合い方です。面接官が候補者の嘘を見抜くことは難しいというデータは、面接官トレーニングのあり方を見直すきっかけになります。「見抜く」ことに注力するのではなく、構造化面接によってブレをなくす、あるいは正直に話してもらうための環境作り(RJPや選考基準の開示)にリソースを割く方が合理的かもしれません。
「組織行動論」というアカデミックな知見は、現場の複雑な人間模様をすべて説明できるわけではありません。しかし、私たちが迷った時、あるいは施策の副作用に直面した時、立ち返るべき「羅針盤」として機能します。
「一般的にはこう言われているが、研究では逆のデータもある。では自社ではどうだろうか?」という仮説検証のサイクルを回すこと。それこそが、組織をより良くするための確実な一歩となるのではないでしょうか。
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