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採用・育成・組織開発に活かす「ラーニング・アジリティ」実践ガイド~人事が見つめ直すべき人材戦略~ー川上真史氏

 川上真史ビジネス・ブレークスルー大学教授の「企業と心理学 トピックス #56 ラーニング・アジリティ」というテーマを取り上げます。

 現代は、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取った「VUCA」の時代と呼ばれ、かつてないほど変化が激しく、将来の予測が困難な状況にあります。このような時代において、企業や個人が持続的に成長していくために不可欠な能力として、今「ラーニング・アジリティ」が注目されています。
 ここでは、このラーニング・アジリティとは何か、その構成要素や高めるための方法について考え、人事としてどのように考えて行くべきなのかを考察します。

ラーニング・アジリティとは何か

 ラーニング・アジリティとは、未知の状況や予期せぬ変化に直面した際に、過去の成功体験や既存のやり方に固執することなく、素早く学び、新たな状況に柔軟に適応し、成長し続ける能力を指します。 スポーツにおける「アジリティ(敏捷性)」が、状況の変化に即座に反応して体を動かす能力であるように、ラーニング・アジリティは、学びにおける敏捷性、すなわち「学び続ける力」「学び直す力」と言い換えることができます。

 変化の激しい現代では、一度学んだ知識やスキルがすぐに陳腐化してしまいます。かつて学生時代に学んだことが、社会では通用しなくなっているという経験は誰しもあるでしょう。リカレント教育やリスキリングが叫ばれる背景には、このような環境の変化があります。ラーニング・アジリティは、単に新しいことを学ぶだけでなく、変化を察知し、過去の経験を乗り越え、自らをアップデートし続ける、極めて能動的でダイナミックな能力なのです。

ラーニング・アジリティを構成する5つの力

 ラーニング・アジリティは、単一の能力ではなく、いくつかの要素が組み合わさって発揮されます。その主要な構成要素は、以下の5つです。

  1. 自己認識
     自身の強みや弱み、改善すべき課題を客観的に理解し、他者からのフィードバックを素直に受け入れる力です。 特に、耳の痛い指摘や自分とは異なる意見を成長の糧として受け入れられるかどうかが、学びの第一歩となります。

  2. 認知的複雑性
     物事や人、状況を、単純化することなく多角的かつ柔軟に捉え、矛盾や曖昧さを含んだ複雑な状態を、その複雑なまま理解・判断する能力です。 ビジネス環境が複雑化する中で、物事の一部分だけを見て判断するのではなく、全体構造を俯瞰し、その中から本質を見出すために不可欠な力です。

  3. 多様性の受容
     自分とは異なる価値観や考え方を持つ人々と積極的に関わり、関係を構築し、そこから得られる多様な視点を柔軟に受け入れ、活用する力です。 同じような考えの人とだけ交流していては、新たな学びは生まれません。多様性の中にこそ、成長のヒントが隠されています。

  4. 明確かつ具体的な成果イメージ
     今、自分が組織やチームから何を求められているのか、どのような成果を出すべきかを明確に理解し、その目標達成のために最適な手段は何かを常に考え、実行する力です。 ゴールが明確であればあるほど、現状とのギャップを埋めるために何を学ぶべきかが具体化され、学習の効率と効果が高まります。

  5. 変化の素早い認識
     常に周囲にアンテナを張り、高い覚醒水準を保つことで、環境や状況の微細な変化の兆候を見逃さず、いち早く察知する力です。 武道の達人が360度に意識を巡らせるように、ビジネスパーソンもまた、市場や顧客、技術の動向など、あらゆる変化に敏感である必要があります。

学びの前提となる「アンラーニング(学習棄却)」

 ラーニング・アジリティを発揮する上で、大前提となるのが「アンラーニング」です。アンラーニングとは、これまで学んできた知識やスキル、価値観などを意識的に見直し、古くなったり、間違っていたり、もはや有効でなくなったりしたものを意図的に捨て去る行為を指します。 新しい知識を入れるためには、まず古い知識を整理し、スペースを空けなければなりません。アンラーニングには、主に3つの側面があります。

  • 誤学習の修正: 間違った情報や知識を正しいものにアップデートする。

  • 未学習の認識: 自分はすべてを分かっているという思い込みを捨て、まだ学べていない領域があることを認め、新たに学習する。

  • 古学習の更新: これが現代において最も重要です。過去には正しく、有効であった知識や成功体験が、今では通用しなくなっていることを認識し、最新の情報にバージョンアップさせることです。

アンラーニングを阻む「4つの壁」

 アンラーニングは、言うは易く行うは難し、です。私たちの内面には、変化を拒む強力な要因が存在します。

  1. 成功のパターン化: 過去の大きな成功体験に固執し、それがどんな状況でも通用する万能の法則だと信じ込んでしまうこと。

  2. 肥大した自己効力感: 「自分は今のやり方で常に成功できる」という過剰な自信が、新たな学びの必要性を感じさせなくしてしまうこと。

  3. 変化への抵抗: 新しいやり方を試すことのリスクや、未知なるものへの不安感が、現状維持を選択させてしまうこと。

  4. アイデンティティ崩壊の不安: これまで自分が築き上げてきた価値観や知識体系を自ら否定することへの抵抗感や、自己が揺らぐことへの恐れ。

 これらの壁を乗り越えるには、相当な勇気と意識的な努力が求められます。


変化に適応し続けるために

 では、どうすればラーニング・アジリティを高めることができるのでしょうか。そのための具体的なアプローチとして、以下の4点が挙げられます。

  • 多様な視点の獲得: 専門分野以外の本を読んだり、異業種の人と交流したりするなど、日頃から多様な価値観、知識、経験に触れることで、変化に対する受容性を高めることができます。一般教養を深めることも有効です。

  • 心理的安全性の向上: 組織として、失敗を恐れずに挑戦できる環境を整えることが重要です。コンフォートゾーン(慣れ親しんだ安心できる環境)から一歩踏み出す勇気は、失敗しても非難されないという安心感によって育まれます。

  • コンテキストシフトによる自己課題の認識: 環境や状況(コンテキスト)が変化すると、かつての強みが弱みや課題に転じることがあります。例えば、知識の豊富さが強みだった人が、AI時代にはその知識に固執することで創造性を阻害してしまう、といったケースです。定期的に自らの置かれた状況を客観視し、強みと弱みを再定義する必要があります。

  • クリティカルシンキング: 「有名な専門家が言っていたから」「ネットニュースで見たから」といって情報を鵜呑みにせず、「それは本当か?」と一度立ち止まって考える習慣です。一次情報や事実に基づいて物事を判断し、思考する訓練を積むことで、変化の本質を見抜く力が養われます。

 ラーニング・アジリティは、これからの不確実な時代を生き抜くための「OS」とも言えるでしょう。このOSを常にアップデートし続けることこそが、個人と組織の持続的な成長を実現する鍵となるのです。

【人事視点】ラーニング・アジリティを組織の力に変える人事戦略

 ここまで見てきたラーニング・アジリティの概念は、企業の人事戦略にとって非常に重要な示唆を与えてくれます。変化に対応できる人材をいかに育成し、そうした人材が活躍できる組織をいかに構築するか。これは、すべての人事担当者が向き合うべき今日的な課題です。ここでは、企業人事の視点から、ラーニング・アジリティを組織の力に転換するための具体的な活用法について考えてみます。

はじめに:なぜ今、人事はラーニング・アジリティに着目すべきか

 従来の人材開発は、特定のスキルや知識を習得させる「研修」が中心でした。しかし、事業環境の変化スピードが加速する現代において、特定のスキルの寿命はますます短くなっています。昨日まで最新だった技術が、今日には陳腐化するかもしれません。このような状況下で人事が注力すべきは、個別のスキルを教え込むこと以上に、「学び方そのもの」を教え、社員一人ひとりが自律的に学び続けられる能力、すなわちラーニング・アジリティを涵養することです。ラーニング・アジリティの高い組織は、環境変化という名の「波」に翻弄されるのではなく、その波を乗りこなし、新たな成長の機会へと変えることができるのです。

採用戦略:「学び続ける人材」を見極める

 組織のラーニング・アジリティは、それを構成する人材の質に大きく左右されます。したがって、その入り口である採用段階で、候補者のラーニング・アジリティを見極めることが極めて重要になります。

 履歴書や職務経歴書に書かれた「経験」や「スキル」だけでは、この能力は測れません。面接では、過去の行動や思考のプロセスを深掘りする質問が有効です。

  • アンラーニングの経験を問う質問: 「これまでの成功体験が通用せず、やり方を大きく変えた経験はありますか?その時、何を感じ、どのように乗り越えましたか?」

  • 変化への姿勢を問う質問: 「あなたの専門分野において、最近最も重要だと感じた変化は何ですか?その変化に対して、ご自身をどのようにアップデートしていますか?」

  • 未知への挑戦意欲を問う質問: 「全く経験のない分野のプロジェクトにリーダーとしてアサインされたら、まず何から始めますか?」

 これらの質問を通じて、過去への固執度、変化への感度、フィードバックの受容性、そして未知の状況への適応力などを探ることができます。採用のコンピテンシーモデルに「学習意欲」や「柔軟性」といった項目だけでなく、「ラーニング・アジリティ」そのものを組み込むことを検討すべきです。

人材育成:「アンラーニング」を促す仕組みづくり

 ラーニング・アジリティは、研修だけで身につくものではありません。日常業務の中に、学びと内省のサイクルを組み込むことが不可欠です。

  • リフレクション(内省)の習慣化: 1on1ミーティングやチームミーティングにおいて、単なる進捗確認だけでなく、「この1週間で何を学んだか」「これまで当たり前だと思っていたが、見直すべきだと感じたことは何か」といった問いを投げかける時間を設けます。これにより、経験を学びに変える「経験学習」を促進します。

  • 「失敗」の価値を再定義する: 多くの日本企業では、失敗は減点評価の対象と見なされがちです。しかし、ラーニング・アジリティを高める上では、挑戦の結果としての失敗は、貴重な学習機会です。「失敗報告会」ならぬ「学びの共有会」といった形で、挑戦から得られた教訓を組織の資産として共有する文化を醸成します。人事評価においても、挑戦的な目標に対するプロセスを評価する仕組みを取り入れることが有効です。

  • 研修体系の見直し: 従来の知識詰め込み型の研修から、受講者が主体的に考え、議論し、学ぶ形式へと転換します。ケーススタディ、クリティカルシンキング研修、異業種交流型研修などを積極的に導入し、「教えられる」場から「自ら学ぶ」場へと変えていく必要があります。

配置・異動:意図的な「コンテキストシフト」の創出

 資料にもあったように、コンテキスト(状況)の変化は、自己課題を認識する絶好の機会です。人事は、この「コンテキストシフト」を意図的に作り出すことができます。

  • ストレッチ・アサインメント: 本人の能力を少し上回るような、挑戦的な役割やタスクを与えることです。コンフォートゾーンから抜け出さざるを得ない状況に置くことで、新たな学習意欲を引き出します。

  • 戦略的なジョブローテーション: 専門性を深めるローテーションだけでなく、全く異なる職種や事業部への異動を経験させることで、既存の価値観や成功体験の「アンラーニング」を強制的に促します。これは、将来の経営幹部候補育成においても極めて有効な手法です。

  • 越境学習の機会提供: NPOへのプロボノ参加、スタートアップへの短期出向、大学院への派遣など、自社の常識が通用しない「アウェイ」な環境に身を置く機会を提供します。これにより、多様な視点を獲得し、自社や自分自身を客観視する力が養われます。

組織風土:挑戦を支える「心理的安全性」の醸成

 ラーニング・アジリティの高い個人も、組織の心理的安全性が低ければ、その能力を十分に発揮できません。疑問を呈したり、異論を唱えたり、失敗を恐れずに挑戦したりすることができないからです。

 人事は、心理的安全性を組織文化として根付かせるための旗振り役となるべきです。具体的には、以下のような施策が考えられます。

  • コミュニケーションの活性化: 部署横断的なプロジェクトや社内SNS、フリーアドレス制の導入など、偶発的な出会いや対話が生まれる仕組みを設計します。

  • フィードバック文化の醸成: 年に一度の評価面談だけでなく、日常的にフィードバックを交わし合う文化を推奨します。特に、部下から上司へのフィードバック(アップワード・フィードバック)を制度として導入することも、風通しの良い組織作りに繋がります。

  • 経営層からのメッセージ発信: 経営層自らが、自身の失敗談やアンラーニングの経験を語り、挑戦を奨励するメッセージを継続的に発信することが、何より強力な文化醸成の推進力となります。経営者自身が最高のラーニング・アジリティの実践者であることが求められます。

 ラーニング・アジリティは、個人の能力であると同時に、組織全体の能力でもあります。人事は、採用、育成、配置、評価、風土醸成というあらゆる側面から、この「学び続ける力」を組織のDNAに組み込んでいくという、壮大かつ重要な役割を担っているのです。


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