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俺は、何なんだ。

先日、中学生の娘が所属するバスケットボールチームの試合を見た。試合が終わっても、心に強く残ったのは勝敗ではなかった。

一生懸命だったな。
ただ、そのことだった。

相手は県内でも強豪チーム。点差はとんでもなく離されている。どれだけ時間があっても勝つなんてあり得ない。

バスケのルールは詳しく知らないが、何かある度に残り時間が表示されたタイマーが止まる。

残り5秒。残り2秒。
それでも、試合終了まで決して諦めなかった。
必死だった。

結果がどうであれ、あれだけ必死になった時間は、その子たちの人生から消えることはないだろう。勝ったか負けたかではなく、「本気になった」という事実そのものが、その人の人生を形づくっていくのだと思った。

だから、あの時間は決して無駄ではない。


では、俺はどうなんだ。

二十代、三十代、四十代。

会社のことを考え、社員のことを考え、お客様のことを考え、歳を重ねていくうちに、地域のこと、業界のこと、日本のことまで考えてきた。

決して遊んでいたわけではない。
必死だった。

それなのに、振り返ると、「何も残していない。」
そうとしか思えない。

あれだけ必死だった時間まで否定してしまうのなら、それは中学生の試合を見て感じたことと矛盾している。

他人には、
「一生懸命だったことに意味がある。」

そう思えるのに、自分に対してだけは、
「成果がなければ意味がない。」

そう言っているのではないか。

結局、俺は何を基準に、自分の人生を評価しているのだろう。

成果なのか。
肩書なのか。
誰かからの評価なのか。
それとも、自分自身なのか。


私は幼い頃、自分以外は何も存在していないのではないか、全ては自分の想像でしかないのでは、と考えていた。まだファミコンもなかった時代、自分の周囲だけがポリゴンで世界が生成されていくようなイメージを持っていた。中学生の頃、毎日のようにそう考えていることを止めようと自分なりに決めた。答えが得られない中で、そうではないという仮説の中で一度生きてみようと決めた。

「我思う、ゆえに我あり。」

デカルトは、「目の前の景色も、自分の体も、もしかしたら夢かもしれない。」と考え、そうやって徹底的に疑っていくと、最後には何も残らないように思える中で、「今まさに疑っているという行為(=思っている)」や疑っている「私」という存在は、間違いなくそこにいなければならない、と考えた。

その理屈で言えば、仮にそれが想像であろうが、ポリゴンであろうが、実態はともかくとして、周りの景色や出来事についても、何らかの形で存在していると言えなくもない。

だが、歳を重ねた今、その言葉は別の問いを投げかけてくる。

では、その"我"とは何なのか。
考えている俺は、本当に俺なのだろうか。

会社の代表としての俺。
父親としての俺。
夫としての俺。
社員から見える俺。
友人から見える俺。
そして、一人でノートを書いている俺。

どれも俺ではある。
しかし、そのどれか一つが、本当の俺なのだろうか。

幼い頃に考えていたこととは、逆転し始めている。

世界は存在している。
だが、「俺」の実態はあるのだろうか。
本当の俺とは何なのだろうか。
存在価値はあるのだろうか。

ユングは、人は人生の前半で社会の中の役割を獲得していく一方、中年期になると、その役割と「本当の自分」との間にズレが生じ始めると言った。そのズレに気づいたとき、人は苦しむ。

俺は、このところずっと、そのズレを見つめているような気がする。

もしかすると、人は自分で思っている「自分」と、他人が見ている「自分」と、本当の「自分」を混同しながら生きているのかもしれない。

そして、そのどれを本当の自分だと思うかによって、人生の見え方は大きく変わる。

同じ人生でも、
「何も残せなかった人生」にも見えるし、

「必死に生きた人生」にも見える。

事実は変わらない。
変わるのは、受け取り方だけだ。

今の俺には、「何も成し遂げていない」という結論だけが残ってしまう。以前は自信満々に誇らしげに思い出していたことが、今は紙屑のように思えてしまう。

運動を始めたばかりでは、身体はまだ大きく変わらない。数字も変わらない。だが、自分の中では確実に何かが変わり始めている。大切なのは結果ではなく、今起きていることの意味だ。どう在ろうとしているかという意思だ。

過去も同じなのではないか。事実は変わらない。
変わるのは、その意味だ。
俺は、今、過去の意味を自分で消していこうとしている。
過去に熱く燃やした意思を、自ら否定している。

人生の価値は、「何を残したか」だけで決まるのか。それとも、「どう生きたか」の中にも、数字では測れない価値があるのか。

俺には何の価値があるのか。
俺の人生には何の意味があるのか。

俺は、何なんだ。



(ある日の内省より)


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