【ショパンの誕生日♬3】19世紀末、ポーランドの風景を描いた音楽家オルダと、わたし
ショパンの誕生日 3月1日 に合わせて、生誕地ジェラゾヴァ・ヴォラの風景を描こうとしています🎨 詳しくは前の記事をご参照ください👇
(1) ペン画作成中!
3月のジェラゾヴァ・ヴォラを想像する。
葉が芽吹く直前、雪が少し残る景色。
オルダの絵と同じように 親子を配置し、もう少し暖かい服を着せる。

でも、ここでふと疑問が。
「雪の量はどれくらいに…?
…いや、それよりも、この親子は誰?」
調べてみると、オルダの風景画に人がいるのは珍しい。
なぜ、この絵にだけ親子を描いたのだろう?
(2) ナポレオン・オルダってどんな人?
19世紀ポーランド=リトアニアの画家・作曲家、ナポレオン・オルダ (Napoleon Orda)。
ショパンと友人だったから、てっきり同級生かと思っていたら…違った!😲
📌 簡単な生涯
✅ 1807年、リトアニア生まれ(ワルシャワ出身じゃなかった!)
✅ 若い頃は数学を学んだ(音楽大学じゃなかった!)
✅ 11月蜂起に参加 → 亡命 → パリに移住
✅ パリでショパンと友人に。彼とリストにピアノ・作曲を習う
✅ 風景画家の元で絵画も学ぶ(マルチ!)
✅ 1856年、反乱軍へのロシア皇帝の恩赦により帰国(許された!!)
✅ ポーランド・リトアニアの風景を1,000点以上スケッチ
🎨 彼の作品は、19世紀ポーランド=リトアニアの貴重な歴史資料!
(3) オルダの描いた親子
オルダの他の絵も見てみました。(ポロナ図書館)

彼はポーランドの建築記念碑の視覚的記録を作成するという情熱に駆り立てられた。

これは偶然ではなく、オルダが意図的に入れてるよね?
なぜ?🤔
(4) 考察:なぜオルダは親子を描いたのか?
普通に考えれば、ショパンの生誕地であることを強調するため。
でも、オルダの経歴を知ると、もう少し深い意味があるように思えてくる。私は オルダはショパンの幼なじみだと勘違いしていた。
実際は、パリで知り合った友人だった。
ショパンは早くに亡くなり、オルダはその後ポーランド・リトアニアへ帰国。彼は、「かつての友人が生まれた場所」を、敬意を込めて描いたのでは?
実は、ショパンはジェラゾヴァ・ヴォラにはほとんど住んでいなかった。
1歳でワルシャワに移り、育ったのはほぼワルシャワ。
オルダはそれを知らなかったかもしれない。
だから 「生まれ故郷の風景:帰宅する幼いショパンと父」 を、偉大な友人を懐かしみながら描いたのではないかな?
(5) では、私の描く親子は?…ここで、私は 迷い始める。
「ショパンは幼少期、ジェラゾヴァ・ヴォラにはいなかった。」
それなのに、私が描く親子は 「ショパンと父」なのか?
別に、歴史の整合性にこだわってるわけではないけれど、
でも 「絵を描くことは、信じること。」だから
自分が信じられないものは、描けない。
雪景色は描ける。
建物もがんばれば描ける。
親子も描ける。
でも 「この親子は誰?」
「何のために、ここにいる?」
それが、自分の中でまだ納得できてない。
じゃあ…どうする?
(6) 答えは、絵にするしかない。
描こうとした理由。
この絵が何を意味するのか。
ペン画は着彩しよう。そして… それから…。
明日までに形にして完成させよう。
お誕生日を祝えるように。
続きます。
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3月1日はショパンの誕生日!完結しました!
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