見出し画像

やくざい師の叶え薬~ケアテイカー優の場合~ 【五】


社内の噂


「あれ、由美さん、左手の火傷もう治ったんですか?」
「う、うん。なんだか思ったより早く治ったの」

「由美さん、もしかして……優さんに治してもらいました?」
「えっ!?」
「部内で噂になってるんですよ~。優さんに絆創膏貼ってもらうとケガが治るって!な~んて、都市伝説みたいですよね」

「お疲れ様です。なになに、何の話?」
「由美さん、火傷のケガがもう治ったなんて言うから、優さんに治して貰ったんじゃないかって」
「ああ、あの噂の。春田さん、優しすぎて人間を超えたパワー手に入れててもおかしくなさそうだもんね」
「村田課長なんて、優さんがツボを押してくれたら二十代のころの肩に戻ったとかいって」
「アハハ、それは盛りすぎ~!」

「優さん、今日もお昼来れないんですかね?最近忙しそうですよね」
「頼られちゃってるからね~。今日も営業に同行してたし、まだ社外じゃないですか?」

「そうだ話変わるけど、浅見部長、入院しちゃったんですよね」
「肝硬変って聞いたけど……」
「そうなんだ。肝硬変って、肝臓が機能しなくなるっていう。親戚の叔父もなってたわ」
「治らないらしいですね」
「うまく付き合っていくしかないとか……そういう病気みたい」


『踏み越える』


勤務を終えた優は、会社から少し離れた広い「大金井公園」を歩いていた。
子ども用の遊具、大きな広場、ドッグランにバーベキュー場。ジョギングやスポーツを楽しむ人たち、老若男女が行き交う街でも有数の公園だ。

薬を使い始めて、もうすぐ2週間。
この間、身の回りの人の小さなケガをいくつも治してきた。最初のころは、ただそれだけでも満足だった。

けれど、いつの間にかこう思うようになっていた。もっとはっきりと、もっと強く、感謝されたい。
「助けてくれて、ありがとう!」
心の底から、そんな風に言ってもらえたら。

オフィスでは、薬の力を大胆に使うことはできない。自分の体の一部を取り外す瞬間を見られるわけにはいかないし、そもそもケガ人なんて滅多にいない。

その点、この公園なら何かが起こるかもしれない。走っている人、遊んでいる子ども、年配者も多い。自分の望むような“誰かを助けられる”瞬間が、もしかしたら——。
それが目的で、ここを歩くのが優の退勤後の日課になっていた。

どこかで誰かが困っている。絶望しているその人の元へ、優がさっそうと現れて手を差し伸べる。
ありがとう。あなたのおかげで、また生きていけます……と涙ながらに感謝される。
私は、できることをしただけですから。と微笑む優の姿が、相手の記憶の中に焼きつく。一生、忘れられない存在として。

そんな空想が、いつも頭の中でぐるぐると回っていた。甘く、抗えない誘惑のように。

優は気づいていなかった。
自分が今、人助けではなく「自分を満たすための不幸」を探しているということに。

ふと、スマートフォンが震えた。画面を見ると、隆司からのメッセージ。
「話し合いたいことがあるんだ。近いうちに会えないかな」

でも。薬の力を使えるのは、あと2週間。隆司のことも大事だけど、今は……。
優はすぐに返信せずスマホを閉じた。

⭐︎⭐︎⭐︎

 
考えを巡らせながら歩いていると、スケートボードの練習場が見えてきた。
スポーツブランドの服を着た若い男の子たちが、思い思いに練習している。
階段をスケボーで飛び降りたり、手すりを滑り降りたりと、難易度の高い技に挑戦しているようだ。

バンッ!
「うわっ!」突然、鈍い音と叫び声。
ひとりの少年が転倒したらしい。スケートボードが転がっている。

仲間と思われる少年が駆け寄る。
「おい、大丈夫か?!」
「いったぁ……!やばい、折れたっぽい」
「マジか!きゅ、救急車呼ぶわ!」
少年はスマホを手に、少し離れて電話を始めた。

地面に倒れたままの少年は、足首を抱え顔をしかめている。唇を噛みしめながら、涙がひと筋、頬をつたった。
「油断した……来週、大会なのに。ちくしょう……」

優の中で、何かが反応した。胸が熱くなる。頭がじん、と痺れる。
…治してあげたい。

スケートボードに打ち込む少年たちに対し、多少の抵抗感はあった。でも、そんな迷いは一瞬で吹き飛んだ。優はすっと近づいていった。

「あの、大丈夫ですか?」
「あ、はい。すみません、騒がしくして…」
涙を拭う仕草が、どこか幼く見えた。足を見ると、足首が明らかにおかしな角度で曲がっている。骨折しているのは間違いない。

「心配しないで。私、足を治してあげられます」
「え?あなた、医者か何かですか?いたたっ……」

優はあたりを見回した。薄暗くなってきた時間帯。遠巻きに見る人はいるが、周囲は比較的静かだ。

このくらいなら、見られても大丈夫かもしれない。
人は、現実離れしたものを目の当たりにしても、それを受け入れずに「自分の常識」に引き戻す。
「最初から大したケガじゃなかったんだろう」「何かの見間違いだろう」と。人はそう思いたがるものだ。

優はそっと自分の右足首を取り外した。ボキッという、身体の芯に響く感覚。
疼く痛みをこらえながら、少年の足首に自分のそれを重ねる。温かさが広がり、やがて溶けるように馴染んでいく。

「え……?」
「どうですか?痛みは?」
「え? 痛く、ない…。あれ?立てる…?」
少年は立ち上がり、恐るおそると足を確認した。

「え、ええ!? い、今あんた足が取れて……?」

「私の足がどうかしましたか?」
優の足は、もう元どおりだった。

「あ、いや……」
「治ったなら、よかったです」
優が微笑むと、少年は突然、優に抱きついてきた。

「あ、ありがとうお姉さん!何が起こったのかわかんないけど。俺、来週大会で……。ずっと練習してたから……う、ううっ」
感極まったように少年はまた涙をこぼした。

「どういたしまして。あの、大会、頑張ってくださいね」
「うわ、女神だ。マジでお姉さんのおかげ!絶対優勝してきます!」
彼は優の手を握り、ぐっと強く振った。熱量のある手だった。

「俺、お礼を……」
「大丈夫。私、もう行きますね」
「あっ……」

「お前、足どうしたんだよ!?」
先ほどの仲間が戻ってきて、目を見開いている。
その声を背中で聞きながら、優は静かにその場を離れた。

なんだ。ちょっとくらい薬の力を目撃されても、やはり大丈夫なんだ。
少年の涙と笑顔を思い出しながら、優は思わず恍惚とした表情を浮かべていた。

 
⭐︎⭐︎⭐︎

 
こつ、こつ…。
白杖の音が、公園の小径に静かに響いた。盲導犬を連れた男性がゆっくりと歩いてくる。彼は空いたベンチを探り、腰を下ろした。

「こんばんは」
優が声をかけると、男性は少し驚いたように顔を向けてきた。
「ああ、こんばんは」

「お隣、座ってもいいですか?」
「どうぞ。昨日もいらしてましたよね?最近よくお会いしますね」
「私、退勤後にこの公園を散歩するのが最近の日課なんです」
男性の隣に腰を下ろしながら優は微笑んだ。夜風が涼しく、甘い花の香りが混じって漂ってくる。

優は、あのスケボー少年の件依頼、どうしても癒してみたい症状があり、それとなくこの男性に一昨日から近づいていた。

「ここは、花がたくさんあって綺麗な公園ですからね」
と、男性が懐かしそうに話す。

「わぁ、素敵ですね。音や匂いで、風景が感じられるなんて」
「ええ、それもありますが、僕は先天的に見えなかったわけではないんですよ」
「そうなんですね。もしかして、事故か何かで……?あ、ごめんなさい、失礼でしたね」
「いいんです。ええ、事故で視力を失いました。でももう、光のない生活にも慣れましたよ」

その言葉を聞きながら、優はそっと息を吸い込んだ。何かに手を伸ばすように、言葉を探す。
「先天的じゃないなら……また、景色が見たいって思ったりしないんでしょうか?」
「そりゃまあ、叶うならね」

男性は目を閉じたまま、遠くを見つめるような顔をした。
「僕が見られる景色といえば、夜寝る夢の中だけですから。もう一度目が見えたら、きっと嬉しいですよ。家族の顔を見たり、映画を観たり」

「私、それを叶えられるかもしれません」
「……何をおっしゃってるんです?名医をご紹介いただけるとか、そういう?」
「いえ、そうではなくて……」

男性の声が、どこか諦めと皮肉を含んだものになる。
「もう、医者には散々説明されました。いろんな病院を回っても駄目だった。もう二度と視力は戻らないと。それでもう、受け入れたんです。今の生活も、悪くない。僕は絶望してなんかいませんよ。
ハッピー、おいで」

盲導犬の名前を呼んで、彼が立ち上がろうとした。空気が急に冷たくなる。優は、咄嗟に声をかけた。
「すみません、手で触るだけなんです…!」

男性の足が止まった。少し警戒するような気配が伝わってくる。
「なんですって?」
「少しだけ……座っていてください」
彼女の言葉に、男性は迷うように沈黙した。優が女性だったこともあり、決定的に拒絶する空気はなかった。

優は、自分の目元に手を伸ばす。
ぶちっという生々しい感触と、皮膚を強く抓るような痛みが伴う。
視界は真っ暗になった。だが、戸惑いも恐れもなかった。勘を頼りに、男性の顔のあたりに両手を差し出す。
ほんのりとした温かさを感じると同時に、手の中にあった柔らかな何かが消えた。

「あの、どうですか……?」
優の視力はまだもどっておらず、ただ、相手の声だけが頼りだった。
「え…あ…? あれ……?」

男性が混乱する気配が伝わる。
「目を開けてみてください。視力が戻っていませんか?」
「あ……み、見える……!
なんで……あなた、一体僕に何を……」

男の視線が優の方へ向き、そして次の瞬間、彼の顔が凍りついたように強張った。

優の目は、空っぽだった。
ぽっかりと両目が失われた顔。黒い窪みが、夜の闇に沈んでいる。

「ひ、う、うわああーーーッ!!」
叫び声をあげ、彼は逃げていった。盲導犬が慌ててその後を追う。

公園に、再び静寂が戻る。優は暗闇の中で、ひとり残されたままベンチに座っていた。





いいなと思ったら応援しよう!