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やくざい師の叶え薬~ケアテイカー優の場合~ 【四】


二度目の処方


「叶え薬をご使用いただいて、いかがですか?」

梟堂薬局のカウンター脇、壁際の止まり木にいるモリフクロウのモリちゃんを撫でながら優は顔を上げた。モリちゃんは前より少し懐いてくれたようだ。

あれから1週間。優は二度目の叶え薬を処方してもらいに来ていた。

「はい。思った通りに機能してくれていますし、体調にもまったく問題はありません。あの薬の力で、何人かを助けることができました。まるで、小さい頃に夢見たヒーローになれたみたいで」

「そうですか、それはよかった。
しかし、その力を使う機会が、そんなにもあったのですか?」

「いえ、それほど多くは。やっぱり、身の回りの人が頻繁に怪我や痛みに困ってるわけじゃないので……。
使ったのは数回だけです。たまたま目の前で転んだ女の子の擦り傷、それから上司の肩こりに、同僚の火傷。どれもうまくごまかせました」

釉薬はうなずいた。
「そうですね。身体の一部が消える瞬間を見られてしまえば、さすがに驚かれるかもしれませんから」

「ですよね……」
優は頷きながら、体の奥がほんの少し、ざわめいた。
「でも、せっかくですし、もっとこの癒しの力を活用したくて」

優は、身を乗り出すようにして言った。 
「あの力を使って感謝してもらえると、本当に心が満たされるんです。だから昨日、退勤後に公園に行ってみました。会社の中だけより、チャンスがあるかもって思って。
そうしたら案の定、転んで膝を痛がってるお年寄りに出会って。薬の力を使ってみたんです。すごく感謝されました」

「……“チャンス”ですか?」

その一言で、優の頬が引きつった。
自分でも気づいていなかった言葉に、急に冷たい水をかけられたようだった。
「あ……傷ついてる人を“チャンス”って言うのは、不謹慎でしたよね」

「まぁ、あのアニメのヒーローも街を見回っていましたし、困っている人がいないか確認するという意味では、似たようなものかもしれません。
ただ、公園などでは人目に触れる可能性も高まります。お気をつけください」
モリちゃんまで、首をぐるりとまわし、心配そうに優を見つめている……ようだった。

「はい、気をつけます。
でも私、昨日、すごくいい使い方を思いついちゃって……!」

目を輝かせながら話す、そんな優を落ち着かせるように、釉薬は静かに声の調子を落とした。
「ところで春田様、使用説明書はお読みいただけましたか?」

「え!えっと、すみません、あまりちゃんとは……。でも使用方法は、釉薬さんが教えてくださった通り、1日スプーン1杯ですよね?」

「大切なのは、副作用の方です。
差し出す身体の面積が、全身の半分を超えるような場合——たとえば下半身すべて、あるいは胸部と背部を丸ごと——というような。
または重要な臓器。脳、心臓、“心”そのものを差し出してしまうと、再生が追いつかず命に関わります」

「えっ?」
優はぎくりとし、唾を飲み込んだ。そんな大事なこと、最初に言ってくれたらよかったのに!
そう思いながらも、口には出せなかった。

「一度差し出すと決めて身体から切り離したものは、二度と戻りません。どうか、その点だけはご注意ください。
とはいえ、春田様がそんな無茶なことをされるとは思っておりませんが」

釉薬の視線が静かに優を射抜いた。優は視線を逸らしながら、ぽつりと漏らした。

「でも、ちょっと考えてました。もっと大きな痛みや傷を癒せたら、より喜んでもらえるんじゃないか、感謝してもらえるんじゃないかって」

釉薬は微笑むような、そうでないような曖昧な表情で言った。

「あの癒す力は、人の助けになる素晴らしい力だと思います。ただ、あまりにエスカレートして取り返しのつかないことにならないよう、くれぐれもお気をつけくださいね。

ちなみに、あのヒーローは感謝されるために行動していたのでしたっけ?」

「え……」
釉薬の言葉に、優は言葉を失った。
その沈黙に、釉薬がやさしく付け加える。

「余計なことを、申し上げたかもしれませんね。こちらが今週分の薬になります。また1週間後にお越しください。

……どうぞ、お大事に」


優9歳の思い出


母がリビングで泣いていた。
隣の畳の部屋では、妹の真琴が昼寝をしている。穏やかなはずの休日の午後。
その空気は、母の一言で壊れた。

「お父さん、会社の部下の女の子と浮気してるのよ……。メッセージのやり取り、見ちゃったの。仕事だって言ってたけど、残業なんて嘘。今日だって……!」

優は、鉄アレイでも飲み込んだような重たさを、胸の奥に感じた。
「浮気」という言葉の正確な意味はまだわからない。でも“会社の女の人”という知らない誰かが関わっていて、そのことで母が、こんなにも苦しんでいる。それだけは、はっきりと理解できた。

父は、今日はたしかに休日のはずなのに、朝からずっと家にいなかった。言葉が出ないまま立ち尽くす優に、母がぽつりと呟いた。

「お父さんは、お母さんより、その女の人のほうが好きなんだわ」

その言葉が、胸に突き刺さった。
優にとっては、いつも優しいたった1人のお父さんだ。両親がいてくれるから、自分がいる。真琴もいる。
その2人の関係が壊れてしまうことは、「私はここに居ていい」という優の根っこを揺るがすような出来事だった。
足元がぐらついて、泣きそうになった。

でも私がしっかりしなきゃいけない。そんな気がして、優は台所へ向かった。

ポットに残っていたお湯とティーバッグで、簡単な紅茶を淹れる。少しでも母が元気になるように、優はできることを探していた。

そっと手渡しながら努めて明るい声を出す。
「お母さん、これ飲んで。落ち着いて」
「優……ありがとう」

「優もね、1番仲良しの子と喧嘩したことあるけど、しばらくしたら、また自然と話せるようになったんだよ。
“あのときはごめんね”って、お互い言って仲直りしたの。だからお父さんともきっとそうなるよ。優、お手伝いもがんばるから。ご飯の用意とか、なんでもするよ。元気出してね!」

母は紅茶を受け取り、涙の跡が残る顔に少しだけ笑みを浮かべた。そして優をやさしく抱きしめた。

「ありがとう、優。優がいてくれるから、お母さん元気になれるわ」

本当は、優だって悲しかった。
でもその言葉を聞いて、悲しさをぎゅうっと胸の奥にしまい込むことができた。

自分が頑張れば、母が元気になる。
優は、そうして自分の気持ちよりも先に、誰かの笑顔を優先する方法を覚えていった。


小さな怪我


「……優? 大丈夫?」
呼びかけられて、優は目を覚ました。

「なんか、苦しそうな顔してたよ」
「隆司、おはよう。うん、なんか、ちょっと悲しくなるような夢見てたかも」
「そうなの? どんな夢?」
「忘れちゃった……」

ここは優の一人暮らしの部屋。恋人の隆司が泊まりに来ていた。
昨日、梟堂薬局で2度目の叶え薬をもらったあと、
優は隆司と待ち合わせて夕食をとり、そのまま優の一人暮らしの部屋に帰ってきた。デートのあとは、隆司が優の部屋に泊まっていくのがいつもの流れだった。

隆司とは、付き合ってまもなく1年。
大きなプロジェクトを任されているらしく、最近は多忙でデートも2週間ぶりだった。

優は学生時代から恋人が途切れることは少なかったが、優の恋愛はどれも長続きしなかった。
相手は“ダメ男”であることが多く、最初はまともを装っていた相手が付き合っていくうちに、優の尽くす態度に図に乗るか、あるいは何もできない人間になっていく。ひどいときは生活も金銭面も依存され、仕事を辞めてひも状態になる男もいた。

結果、いつも長続きはしない。しかし優が尽くしすぎるせい、という面も大いにあり「色々としてあげ過ぎちゃダメなんだよ」と、いつも女友達には忠告されていた。

けれど、友人の紹介で出会った隆司は、今までの誰とも違っていた。優の気配りや優しさを当然のものとは思わず、同じ長子ならではの責任感があり、自分のことは自分でやろうとする。
一方で、ホラー映画が苦手だったり、血を見るのがダメだったり、どこか“かわいらしい”ところもあって、優はそんな隆司に安心を感じていた。

これまでとは違って、「結婚」まで考えられる相手かもしれない。優は口に出さずとも、心のどこかでそう期待していた。

「見て優!昨日、優が絆創膏貼ってくれた指もう治ってる!」
隆司が嬉しそうに人差し指を差し出す。確かに、昨日まであった切り傷が、跡形もない。

「わ、ほんとだ。よかったね」
優は笑って答えながら、胸の奥に、ひそやかな高揚を感じていた。

昨日、仕事中に紙で指を切ってしまったという隆司に、優は言った。
「特別な絆創膏、貼ってあげるね」
優はそう言うと、絆創膏を貼るふりをして、そっと自分の指先を外し隆司の指に馴染ませた。
“指1本分”。これくらいなら、もう躊躇いもない。

昨日、釉薬には言わなかったが、優はすでに薬の力を何度も使っていた。
薬の力で感謝される体験にすっかり魅せられた優は、社内の人が小さな怪我をしたと聞けば、絆創膏を貼るふりをして薬の力を使う。
そんなことが、日常の一部になっていた。

みんなは不思議そうな顔をしていた。
「絆創膏貼っただけなのに、痛みがすぐ引いた」と言われたり、
「春田さんのやさしさが効いたのかもね〜」と笑われたり。
たぶん彼らは、絆創膏を貼り替えるとき、異様に早く傷が治っていることに驚いているはずだ。

「優って、何か不思議な力でもあるの?昨日も、貼ってもらったとたん痛み引いたし」
そう茶化すように言いながら、隆司が優を抱きしめる。

小さな怪我。
感謝はされるけれど、治ったことと、自分の行為の因果関係ははっきりしない。

もっと、大きなことに使ってみたい。
優は、もっと確実に“自分の力”を証明したくなっていた。

たとえば自然には治らないもの。もう二度と元には戻らないとされているもの。
それを、自分が救えたとしたら。

『差し出す身体の面積が全体の半分を超えるような場合、あるいは、重要な臓器を差し出してしまうと、再生が追いつかず命に関わります』

釉薬の言葉が頭をよぎる。
昨日は確かに恐ろしかった。でも今は、その“恐ろしさ”さえ甘く心を誘惑してくる。

「優?ぼーっとして、どうしたの?」
「あ、ううん」
梟堂薬局のこと。あの薬のこと。隆司に打ち明けたら、どうなるんだろう。

そう思いかけたそのとき——
「あれ?この前置いていった俺のスーツ……クリーニングに出してくれたの?」
「あ、うん」
「そうなんだ、この前出したばっかりだったから、別によかったのに」
「あ、そうだった?余計なことしちゃったかな。ごめんね」

「いや、あのさ、あんまり気を遣いすぎなくていいからね。自分のことは自分でやるし、頼みたいことがあればちゃんと言うよ。こういうの……」
と隆司は一瞬、何か言いかけてやめた。

「そうだね。わかったよ」
優は微笑んだが、その胸の奥には小さなざらつきが残った。

せっかく、やってあげたのに。たとえ余計だったとしても「ありがとう」の一言があってもよかったのに。
その違和感が、薬のことを打ち明けようとしていた気持ちをすっと冷ましていった。



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