やくざい師の叶え薬~ケアテイカー優の場合~ 【二】
願いを叶える薬
「そういわれましても……」
釉薬の口から、あまりにも現実離れした言葉が飛び出して、優の思考が一瞬止まった。
街中で、怪しい効能をうたう高額なアクセサリーか何かを無理やり売りつけられそうになったことがあったけど、まさにそのときと同じような居心地の悪さだ。
…だけど、この空間には、全てが作り話とは思えない、そんな空気が確かに漂っていた。
薬の瓶の存在もそうだ。なんとも言えない吸引力があり惹きつけられる。
でも、やっぱり怪しい。
「そうですよね、怪しく思って当然です。
高額な請求などはもちろんいたしません。対価は、効果の報告などをいただくだけ。商品モニターのようなものだとお考えください。
私としても、代々伝わるやくざい師としての腕を磨く貴重な経験となります。
なにせ、薬の瓶が視える人にしか処方できないので、こうしてお渡しできる機会は滅多にないのです」
また、心を読まれたような気がして、優は思わずモリちゃんに視線を逃した。
黒くつぶらな瞳がじっとこちらを見ている。言葉を発することはないけれど、「早く願いごとを言ってしまえばいいのに」とでも言っているように感じられた。優はこめかみを押さえて、そっと目をこする。
「そしてもちろん、制約はあります。願いごとといっても、たとえば世界平和のような壮大な願いは不可能です。他人や環境を直接コントロールするような力は持てません。あくまで、ご自身の身体に作用するものだけ。薬ですからね」
「はあ……。たとえば、絶世の美女になりたいとか、10キロ痩せたいとか、筋肉ムキムキになりたいとか。そういうのなら、叶うってことですか?」
「そうですね。そのあたりでしたらお安い御用です。ただし、お渡しできるのは1ヶ月分迄。見た目や体格を変えても、1ヶ月後には元通りということになります」
使い道がよくわからない。
優は首を傾げた。
「あの……私、大丈夫です。間に合ってますから。今日は、処方箋の睡眠導入薬をもらえたのでそれで十分です」
「無欲なことをおっしゃいますね。まぁ、突然言われても信じがたいでしょうし、叶えたいこともすぐには思い浮かばないかもしれません。でも、これが視えた方には“必要だから視えている”という意味もあるのですよ」
その言葉に、優の胸の奥がかすかにざわついた。
「でも効果が1ヶ月だけなら、何を願ったところで、あまり意味がないように思います」
「そうですね。たとえば……
以前いらした方は、スポーツをしておられました。努力だけではどうにもならず、思うような成果も出せなかったそうです。
その方は、すべての身体能力が劇的に向上する薬を希望されました。そして大事な試合の日、その薬の力で歴史に残る記録を叩き出したのです」
「……ドーピングじゃん」
「そういった検査にはまったく引っかかりませんので、ご心配なく!」
「そういうことじゃなくて……」
「ご自分の名前を、どうしても記録に残したかったようです。その後すぐに引退されたようですが。ああ、どこの誰かまでは申し上げられません。秘密保持義務がありますので」
優は言葉に詰まった。
まさかそんな形で、スポーツの記録にこの薬が関わっているなんて……。
何とも言えない、複雑な気持ちだ。
まさか私の好きな選手じゃないでしょうね……!?
「他にも、そうですね…聴力を失った方が、1ヶ月だけでも聴力を取り戻したいと願われたこともありました。どうしても、もう一度だけ生のオーケストラを聴きたいという願いがあったそうです」
なるほど。
使いようによっては、1ヶ月の効果であっても、長年の希望が叶ったり、人生に深く刻まれる出来事になったりするのかもしれない。
「復讐のために、透明人間になりたいというご要望も、過去にはありましたね……」
優は返す言葉に詰まった。冗談で済ませていい話なのか判断がつかない。
「え?」
「もちろん、犯罪につながる使い道はお勧めできませんが。私は、お客様の願いを叶える薬を調合するだけですので……」
釉薬は、感情を読ませない表情で静かに笑った。
その顔を見た瞬間、優の胃の奥にずしりと重たい何かが落ちる。
「いや、まさかそんな非現実的なこと不可能でしょう。……冗談ですよね?」
問いかけながらも、心のどこかで確信していた。
この梟堂薬局で、“そんな非現実的な事を叶える薬”が確かに手に入るのだと。なぜか否定しきれない。そういうものだと身体が受け入れてしまっていた。
「申し上げた通りです。
ご自分の身体に作用することなら、何でも可能です。たとえば、普通では視えない霊的なものを視えるようにしたり、重力を無視する身体にしたり、超能力のような力を使えるようにしたり……
普段の喜びや悩み、そういったものを思い浮かべてみてください。きっと、願い事も自然と浮かんできますよ」
釉薬の声は、静かに店内に響いていた。
けれど、優の意識はすでに別の方向へ飛んでいた。釉薬の言葉を聞いてはいたが、頭の中では全く違う想像が膨らんでいた。
「あのっ!」
唐突に声が出た。
「ヒーローになる薬って、作れますか!?」
優は、幼いころに観たアニメのヒーローを思い浮かべていた。
自己犠牲のヒーロー
「ええと……春田様の身体の一部を相手に分けて、その部分を回復させる力ですね。そして、春田様の身体はすぐに再生する。つまり自分を削って他人を癒やす力……」
釉薬は【叶え薬の記録帳】と表紙に書かれた古いノートに書き込みながら、確認するように優へ問いかける。
「はい。でも、治癒って相手に働きかける力だから、無理かなと思ったんですけど……」
「身体の一部を提供するという犠牲の形を取れば、可能かと思います。
単に手をかざすだけで傷を癒やすような、魔法のような力はおそらく無理ですね。あと取り外すときには痛みが伴いますよ」
「できるんですね、すごい……!少しくらいの痛みなら、大丈夫です!」
興奮を抑えきれずに話す優に、釉薬はやんわりと声をかける。
「けれど、珍しいご希望ですね。前例がありません。失礼ですが、その力で春田様に何か利益はあるのでしょうか?」
「私、人に感謝されることをするのが好きなんです。生きてる実感が湧くっていうか……心が満たされるんです。たぶん、小さい頃に観ていたアニメのヒーローの影響だと思います」
「なるほど。本当に、その願いを叶える薬でよろしいんですね?」
「はい、お願いします!」
「では、春田様の遺伝子が必要ですので、髪の毛を1本いただきますね」
そう言って、釉薬は優の服の袖に付いていた髪の毛をそっとつまみ取った。
「そして、モリちゃんの脂粉も。
あ、大丈夫です。衛生面はしっかり管理していますので。では、少々お待ちください」
そう告げ、釉薬は調剤室へと姿を消した。
私の髪の毛はともかくモリちゃんの脂粉入れるんかい。
心の中だけでつっこみながら、期待と不安が入り混じる中、待つこと数十分。
釉薬が青い瓶を手に戻ってきた。
「こちらが、1週間分の薬になります。
1ヶ月分迄お渡しできるのですが、一度に全てはお渡しできません。
まずは1週間ご使用いただき、効果、副作用の有無など使用感をお聞かせください。その上で調整もしやすくなりますから」
青い薬の瓶の中には、粉薬が詰まっていた。粉が入った薬瓶は怪しげで、どこか惹きつけられるような不思議な美しさがあった。
「1ヶ月分迄ということは、1週間ごとに4回処方してもらえるんですね」
「はい。一度飲み始めたら、4週間飲み続けてくださいね。1日1回、スプーン1杯分を毎日服用してください。無味無臭ですが、オブラートに包んでも構いません。水にもよく溶けます。効果は二十四時間持続します」
「……はい」
自分で願ったことだが、本当にそんな奇跡が起こせるのか。実感が湧かない。
そう思っていると、釉薬が小皿に粉薬と水の入ったコップを差し出してきた。
「こちらが試用分です。今ここで、試しに服用してみてください。私も、初めて調合する薬ですから」
「えっ、でも……」
急にそう言われ、思わずためらってしまう。
「効果を確認しなければ、お渡しできませんので」
そう言うと、釉薬は突然ナイフを取り出し、自分の手の甲をスッと切りつけた。
一瞬、時間が止まったような気がした。
「えっ!?釉薬さん、何をしてるんですか!?ああ、血が……!」
傷の深さはわからないが、釉薬の左手からはポタポタと血がこぼれ落ちていた。
「……これは、かなり痛いです。
宜しければ、薬の力で癒やしてみていただけますか?」
穏やかな口調のまま、迷いなく行動するその姿に、優はぞくりとした。
この人、穏やかそうでいて、薬のためなら何でもやるのかもしれない。狂気にも似た何かを感じた。優は覚悟を決め、目の前の粉薬を一気に飲み干した。
「で、どうすればいいんですか?」
釉薬は左手を押さえながら言った。
「同じ箇所……左手を、右手でつかんで、引っ張るようにして取り外してください」
言われた通り、優は右手で左手首を掴んだ。引っ張った瞬間
——ボキリ、という感覚と捻挫に近い痛みが走った。
「ひっ……!」
手首から先が消えた左腕を見て、声が漏れてしまう。けれど、不思議と血は出ていなかった。
「その左手を、私の左手に重ねてみてください」
恐る恐る、取り外した左手を、釉薬の左手に重ねる。すると、重なり合った箇所から温もりが広がり、優の左手はふっと消えた。
優が手を放し釉薬の手を見ると、傷は跡形もなく消えていた。
「おぉ、すごいですね。痛みも消えて、綺麗に治りました。春田様の手も元通りですよ」
慌てて自分の腕を確認すると、本当に左手は戻っていた。
安堵とともに、少し怒りが込み上げてくる。
「わざわざ自分でケガする必要、ありました~!? めちゃくちゃ焦ったんですけど!」
「ああ、申し訳ありません。言い忘れていました。相手が本当に傷ついていなければ、この薬は効果を発揮しません。『治してあげたい』という気持ちが、はっきりと向けられていないと発動しないんです」
……言ってよ、それ。
「とにかく、効果は確認できました。こちらの“叶え薬”、どうぞお持ち帰りください。使用説明書も必ず、お読みくださいね。重要な副作用についても記載されていますので。
では、1週間後にまたお待ちしております。
……どうぞ、お大事に」
