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やくざい師の叶え薬~ケアテイカー優の場合~ 【三】


優8歳の思い出


3つ年下の優の妹、真琴が泣いていた。
夏休みの午前中、一緒に近所の小さな公園に遊びに行ったときのことだった。

真琴は、思いついたらすぐに行動する子だった。
いわゆる“お転婆”というやつで、子どもの頃からケガが絶えず、しょっちゅう母に心配をかけていた。それでも天真爛漫というか、愛されキャラというか、何をしても結局は許されてしまう。

優も、そんな真琴の無邪気さを嫌いではなかった。けれど同時に、自分だけが我慢しているようで、どこかズルいと感じていた。自分が我慢している分まで、あの子は自由に振る舞っているように見えた。

その日も「危ないからやめなよ」と優が何度止めても聞く耳を持たず、滑り台を滑らず駆け下りたり、途中から飛び降りたりと、妙な遊び方ばかりしていた。

「よし、番高いところから飛び降りてみるよ!」
そんなことを言い出した真琴が滑り台のてっぺんで身構えた。

「どうしてわざわざ危ないことばっかりするの?!普通に遊んだほうが絶対楽しいのに!危ないからやめなよ!」
焦った優が駆け寄ろうとしたその瞬間——

真琴はバランスを崩し、滑り台の縁に足を引っかけて転げ落ちた。
「いたっ!」
落ちてきた足が優の腕に当たり、優も思わず声をあげるほど痛かった。

「うええーん痛いよ~!!!」
でも泣きじゃくる真琴の声のほうがずっと大きくて、優の痛みなんてかき消されてしまった。
頭にコブをつくり、泣き続ける真琴を連れて家に帰ると、母が心配そうに出迎えた。

「まーた真琴ちゃん、ケガしちゃったの? 優……一体どうしたの?」
優が状況を説明すると、母は呆れたようにため息をついて言った。

「もう……どうして真琴はそういう無茶ばかりするの?ダメでしょ!お姉ちゃんも、ちゃんと見ててくれなきゃ。真琴がケガしちゃうでしょ?」

……なんで私が怒られるの?
真琴の靴が腕に当たって、私だってすごく痛かった。“自分ばかり我慢してる”と思うと胸の奥がキュッとつかまれたように痛くて、腕も胸もすごく痛くて、悲しくなった。
でも優は、冷蔵庫から保冷剤を取り出し、タオルでくるんで真琴のコブに当ててやった。

「ありがとう!お姉ちゃんって、まこのヒーローだよ」
「優は本当に優しいお姉ちゃんね。ありがとう」
2人に感謝されると、胸の痛みが少しだけやわらいだ。

真琴はその数分後にはもうテレビを見てケタケタ笑っていて、優の母はその姿をダイニングテーブルの椅子から見つめていた。

「真琴って、本当に心配ばかりかけて……。大変な子だわね」
母がそう呟いて、優に愚痴を漏らしてくる。
「そうだよね。悪気がないのは分かるけど、見てるだけでハラハラしちゃうよ」

「本当に。気が休まらないのよ。でも、優がしっかりしたお姉ちゃんでいてくれるから、お母さん本当に助かってる。ありがとうね」

その言葉を聞いたとき、公園で思いきり遊べなかった悔しさや、痛みを我慢していた悲しさが、少しだけ報われたような気がした。

テレビからは、「もう大丈夫だよー!」と、食べられる体をちぎって、子どもに食べさしているヒーローの声が聞こえる。

 

 
……夢か。
子どもの頃の夢を見ていた。楽しかった夢だったのか、悲しかった夢だったのか。思い出そうとしても記憶は霧のように薄れていく。

そうだ。薬の瓶は……?
視線を動かすと、テーブルの上には確かに昨日見た瓶があった。中には白い粉が入っている。夢ではなかった。あの出来事は、本当に起きたことだったのだ。


『薬を使う』


通勤電車の中。
優は昨日の出来事を思い返していた。

“自分の身体の一部を提供することで、誰かを癒す”。あの薬の力を、本当に信じていいのだろうか。
けれど、昨日確かに釉薬の傷は癒え、自分の左手は消えた。そして、瞬時に左手は元に戻っていた。

誰かが困っていたら、また使ってみたい。
でも、例えばまた昨日のように、手をまるごと差し出すことになったら。
もし「身体の一部が無くなった」その瞬間を誰かに見られてしまったら驚かせてしまう。いや、きっと恐れられてしまう。自分でさえあの瞬間には凍りついたのだから。

そもそも薬を使う機会があるということは、誰かが傷ついているということだ。
そう考えると、薬の出番なんてないに越したことはないのかもしれない。そんな思いが胸の奥でくすぶるなか、優は会社の最寄駅で電車を降りた。

改札を出て、人波の中を歩き出す。
ふと、前方に小学生くらいの女の子が1人で歩いているのが目に入った。
ランドセルを背負い可愛い手提げのバッグを提げている。低学年だろうか。このあたりには小学校があるから、登校中なのだろう。

その瞬間だった。
「きゃっ」
小さな叫び声とともに、女の子が躓いて転んでしまった。
「あっ」と思った瞬間、どさっという音とともに、手提げバッグが跳ねて中身がアスファルトに散らばる。

優はすぐに駆け寄った。近くにいた何人かの通行人は様子をうかがったが、優がかけよったのを見て、足早に通り過ぎていく。
女の子は起き上がって、中身を拾い集めていた。泣きそうな顔をしているけれど、必死に堪えているのが伝わる。
その健気な姿に、優の胸が締めつけられる。

「大丈夫?」
優が声をかけ、散らばったノートや筆箱を一緒に拾ってやる。膝をすりむいてしまったのか、血が滲んでいた。

「うん……」
小さな声でうなずいた女の子は、立ち上がりすぐに行こうとした。けれど、優は思わず呼び止める。

薬の力……ここで試してみてもいいかもしれない。

「まって、お姉ちゃん絆創膏持ってるよ。貼ってあげるね。これ、すぐ痛くなくなる“魔法の絆創膏”なんだよ。貼ってもいいかな?」

女の子は警戒するような目をしたが、優の顔を見つめて、こくりと頷いた。
優はカバンからポーチを取り出し、市販の普通の絆創膏を1枚引き抜く。
「よし、じゃあ……」

人目を避けるように、優は通行人の流れを確認しながらスカートの裾をわずかに上げた。バッグの陰でそっと膝に触れる。
深呼吸をひとつ。自分の膝に指を添えて…

バリッ。
膝の表面が剥がれ、まるでどら焼きの皮みたいな形状で手の中に収まった。鈍い痛みがじんと響く。見られてはいけない。剥がした“膝”の部分はそっと手で隠す。

「おまじないだよ」
優はそう言って、先に絆創膏を貼った女の子の膝に、自分の“膝”をそっと重ねた。じんわりと、温かさが伝わっていく。

少女の膝に触れていた優の“膝”は、重なった部分からすうっと消えていった。
まるで吸い込まれるように、自分の一部が女の子の身体に同化していく。

「ん? なんだか痛くない!」
女の子が目を見開く。
「でしょ!おまじない効いたね」
優が微笑むと、女の子の顔がぱっと明るくなった。

「ねえ、お姉さんって魔法使い?すごい、ほんとに痛くなくなったよ!ありがとう!!」
「どういたしまして。学校遅れちゃうから、気をつけてね」

「うん!」
女の子は嬉しそうに笑い、元気よく走っていった。優はその小さな背中を見送りながら、そっと自分の膝を撫でた。既に元通りになっているようだ。女の子が元気になって、優の胸にも温かいものが広がっていた。

⭐︎⭐︎⭐︎

会社に着き、デスクに座った優はまだ少し興奮していた。
すごい、あの薬の効果……。あの梟堂薬局の中の空間でなくても、釉薬に対してでなくても、ちゃんと機能したのだ。

メールをチェックし、今日の業務スケジュールを確認する。十一時からの会議で使うと依頼された資料を作りながらも、優の意識は別のことに引き寄せられていた。

また、薬の力を使える場面があったら……。

⭐︎⭐︎⭐︎

昼前、打ち合わせが終わった会議室の片づけに入ったとき、営業チームの女上司、村田課長が椅子に腰掛けたまま、首を傾け肩を揉んでいたのを優は見逃さなかった。

こういうのにも、使えるかしら。

「お疲れ様でした」
「あ、春田さん、資料の用意ありがとうね!ばっちりだった。さすがだわ」

村田課長が右肩を回しながら言った。五十代のその上司は、どこか豪快な印象で部下からも頼られているが、今日は疲労の色が濃い様子がみてとれる。

「恐れ入ります。ところで課長、肩がかなりお疲れみたいですね」
「え?ああ……わかる?そうなの。ひどい有様」
「もしよかったら、肩こりに効くツボ押しましょうか。以前、勉強したことがあって」
「えっ、いいの?助かるわあ〜!」

冗談半分で言ったつもりが、思いがけず乗ってこられたことに一瞬たじろぐ。けれど、チャンスだと気づいて、優は微笑んで後ろに回った。
もし誰かに見られたらまずい。でも会議室には他に誰もいない。それに、肩なら服に隠れてきっと大丈夫だろう。

優は襟元から左手を入れ、自分の右肩をつかむように握った。すると、肩がズルっという感触と痛みとともに外れた。まるで鶏もも肉1枚ぶんのような質量で手に収まる。

自分で見てもなんだか気色悪い。
右手に包み込むようにして隠し持ち、素早く村田課長の肩にあてがう。あたたかく溶けるような感覚が、すぐに手から広がっていく。そしてにわかの知識で肩こりに効きそうなツボを押してみた。

「なにこれ、すごい。ちょっと押されただけなのに、めちゃくちゃ軽くなった感じ!」
「本当ですか?よかったです」

優は笑いながら、そっと手を離した。
すでに肩は課長の肩に吸い込まれるようにして消え、表面には何の異変もなかった。優の肩も同様に元に戻っている。

「今までどんなマッサージ受けてもこんな風に治らなかったよ?!優ちゃん、ゴッドハンドじゃない?お金払いたいくらい!ありがとう!」
「いえいえ、素人のツボ押しですから」
冗談めかして受け答えながらも、優の胸にはじんわりと満足感が広がる。


同僚の由美の火傷


昼休み。休憩室には、いつものメンバー4人が集まっていた。
しかし、その輪の中で、優の同期である由美の表情がどこか浮かない。ほかの2人が心配そうに話を聞いている。

「お疲れ様~。……あれ、どうしたの?」
遅れて入ってきた優が声をかけると、由美は包帯が巻かれた左手を出しながら、話しだした。

「昨日さ、料理教室で火傷しちゃって」
由美が苦笑いをする。
「オーブンの天板が当たっちゃって。まあ、大したことないの」
「そうなんだ…。どのくらいの火傷なの?」
「すぐ冷やしたし、痕にならないってお医者さんも。2週間もあれば治るってさ」
「それならよかった。でも……」

優はふと思い出し、声をひそめるように言った。
「週末、彼と指輪を見に行くって言ってたよね?」

その言葉に、他の同僚もハッとしたようだった。
「そうでしたね。うわぁ、タイミング悪かったですね」
「お目当ての婚約指輪、見に行くって言ってたのに」
「ははっ、大丈夫大丈夫。来月に延期すればいいだけの話」
由美は肩をすくめて笑ってみせた。

「それよりお腹すいちゃった。お昼、食べよ~!」
明るくふるまう由美に、場の空気も少し緩んだ。

同い年で同期入社の由美と優は、入社以来ずっと仲が良く、仕事の愚痴でもプライベートのことでも何でも話し合える存在だった。
付き合って3年になる恋人からプロポーズされたと報告されたのは、ほんの数日前。皆が祝福ムードに包まれたばかりだった。

ドンと構えた姉御肌な性格だが、恋愛になるととたんに顔を赤らめる由美。そのギャップが微笑ましく、優はそんな彼女を見ているのが好きだった。

ああ言ってたけど、本当に大丈夫なのかな……。
以前なら、そう思うだけで終わっていた。けれど今の優には、力がある。薬の力で、なんとかできるかもしれない。

そして、無意識に由美と2人きりになれるタイミングを探してしまう自分がいた。

⭐︎⭐︎⭐︎

「お疲れ様」
「あ、優。お疲れ~」

給湯室。お茶を入れに来た由美のあとを追うように、優は中に入った。

「この時間お腹空くよね。ねえ、このお菓子いる?新発売なんだって」
「ありがとう。もらうね」

他愛のない会話をしながら、優は周囲に目をやる。給湯室には自分たちしかいない。

左手。
取り外した手を右手の下に隠して持てば、バレないかもしれない。手首の先がない左腕は体の後ろに隠してしまえば……。

「由美、さっきはああ言ってたけど。本当は左手のケガ、結構ショックだったんじゃないかなって思って」
優は飴の袋を差し出しながら言った。

「指輪を見に行くのすごく楽しみにしてたもんね。はい、これビタミンCの飴。ビタミンいっぱいとって、ゆっくり休んで。早く治るといいね」

飴に視線を落としたまま、由美の目がうるんでいく。
「優ぅ……ありがとう。そうなの。本当は楽しみにしてたの……」
声が震えて、今にも泣き出しそうだった。

こんな彼女を見たら、ためらう理由はなかった。優は体の後ろで、左手をそっと取り外した。
ボキリ。
鈍い感触と痛みとともに、手が外れる。

それを右手の下に隠し持ち、由美の左手にそっと重ねる。指先からじんわりと温かさが伝わり、溶けていくように優の左手は消えていった。

自然な動きで、由美の手を包み込むように優はさすりながら囁く。
「由美の左手、早く治りますように…って、おまじない」

「……え?今……?」

由美が目をこすり、自分の包帯が巻かれた左手をじっと見つめた。

「ごめん、子どもっぽすぎた?」
優がいたずらっぽく笑うと、由美は小さく首を振った。

「……ううん。なんだか、本当に痛みが引いた気がする。ありがとう! 飴、ありがたくいただくね」
「うん」

無理をした笑顔ではなく、由美はスッキリとした笑顔を見せ給湯室を後にした。

由美の後ろ姿を見送りながら、優は思う。
私は、あの憧れのヒーローになれている。自分の一部を差し出し、みんなを笑顔にして、ありがとうと喜ばれる、あのヒーローに。

今までだって、困っている人を見れば、優は手を差し伸べてきた。けれど今日のそれは、全く違っていた。

誰にも真似できない、自分だけにしかできない人助け。その力を使い得た感謝の言葉は、どこか酔うような、満たされるような感覚を伴って優の中に染み込んでいく。
まるで、自分の存在が証明されたような。そんな、危ういほどの満足感だった。

小学生の女の子、村田課長、そして由美。痛みを癒やし、感謝されること。笑顔を見られること。それがこんなにも、自分の心を満たすなんて。

もっと、もっと……
誰かの痛みを、少しでも和らげたい。

そんな願いが優の中に静かに芽吹いていた。「薬の出番なんてないに越したことはない」そう思っていた優は既にいなかった。



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