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やくざい師の叶え薬~ケアテイカー優の場合~ 【八】


隆司の思い


「ごめんね、忙しいのに」
「ううん、こっちこそ。なかなか時間合わせられなくて、ごめん」

隆司から「話がある」というメッセージをもらってから、1週間以上が過ぎていた。そのあいだに、優の身にはいろいろなことが起こりすぎていた。SNSでの騒ぎ、由美からの忠告。

なのに、自分は結局は肝硬変で入院していた浅見部長のお見舞いに行ってしまった。視覚を失った男性の時の失敗を取り戻したい。もう二度と元には戻らないとされているものを癒して、心の底からの感謝をされてみたい。その欲求に勝てなかった。

けれど、返ってきたのは感謝ではなかった。驚愕に染まった浅見部長の顔は真っ青で、まるで幽霊でも見るかのような目だった。

そして数日後、浅見部長がすっかり快復したという知らせが入り退院が決まると、社内の空気が明らかに変わった。
同僚たちが、あからさまに距離を取るようになった。そして数日後、呼び出された面談では、人事異動の打診を受けた。

物流課、伝票入力係。
それは名ばかりの異動。実質、左遷だった。“強制じゃない”という言葉ほど、強制に感じることがあるだろうか…

その日の夜。
いろいろな思いを頭の中で反芻しながら、優は夕食の支度をしていた。

「なんか優、疲れてるね。忙しそうだったもんね」
「うん、ちょっと最近帰宅が遅くて。寝不足ぎみかも」
「だから俺は外食でいいって言ったのに」
「だって、こないだも外食だったし。さすがに続いちゃうと、ちょっとね」

食卓に料理を並べながら、優は努めて明るく振る舞った。でも隆司の表情はどこか浮かない。
「それで、話っていうのは?何かあった?」
「いや、実はさ。どう言えばいいのか……」

隆司は言葉を選ぶように、ゆっくり話し始めた。
「最近、大きいプロジェクトを任されて。すごく忙しくなってさ。でも、優がいるから頑張れるなって、そう思ってたんだ」
「え……?うん」
「俺はさ、何かしてくれなくても、優がそばにいてくれるだけでよかったんだよ。
なのに、優は無理していろいろしてくれるじゃん。今日だって、寝不足なのにごはん作ってくれてさ。切らしてたシェービングジェルも、こっそり買い足してくれてたろ?」

隆司の声は、優しさと戸惑いが入り混じっていた。

「よくあるセリフでさ、“お前は俺の母ちゃんかよ”ってあるだろ。
でも俺、母親にそんなふうに世話してもらったこと、あんまりなくてさ。うちの親は、必要な時にだけ必要なことをしてくれる人だったんだよ。だから、頼んでないのに色々やってもらうと……苦しいんだ。

俺にはできないって決めつけられてるような気がするし、してもらった分何か返さなきゃって変なプレッシャー感じるんだよ」

「そんな。私、そんなつもりじゃ……。役に立ちたかっただけなんだよ」
「わかってる。優に悪気なんかないっていうのは分かってる。
でも……ごめん。俺たち、ちょっと距離を置いたほうがいいと思うんだ」

言われる前から、何となく予感はしていた。
けれど、言葉にされると、それはやっぱり想像以上に堪えた。

どうして。
なぜ、こんなにも、全てがうまくいかないんだろう。良かれと思ってやったことは、ことごとく裏目に出て、皆に拒否されてしまう。心から喜んでくれた人なんて居なかったのだろう。

優の目から、涙がこぼれ落ちる。
張り詰めていた心の糸が、ぷつりと音を立てて切れたようだった。

「優、ごめん……!俺も、胃が痛くなるほど悩んで考えたんだ。いたた…」
「胃?痛いの……?」
「考えすぎて、もう何日も調子悪くてさ。優を傷つけたいわけじゃなかったんだ……」

その言葉に、優のなかで何かが弾けた。
どうせ私の気持ちは届かないのなら…

「私、治せるよ。隆司の胃も、全部治してあげる」
「……え?」

優は、自分の胃のあたりにそっと手を伸ばした。
手が腹部にゆっくりと沈み込み、次の瞬間、掌の上に柔らかな臓器が乗った。まるで別の生き物みたいに鼓動していた。

隆司の目が見開き、みるみる青ざめる。

「これで……治してあげる」
「ひっ……!う、うわあああーーー!!」

隆司の絶叫が、狭いダイニングに響きわたった。


四度目の処方


「グロいの、無理! 本当無理ーーー!!」
恋人にそう叫ばれて、逃げられました。
うぅ、ぐす……」

梟堂薬局のカウンターで、釉薬に泣き言をこぼしていた。
誰にも話せないことが増えていくなかで、唯一の味方のように感じられる相手は、もう釉薬くらいしか思い当たらなかった。

棚の奥から、モリちゃんがひょいと飛んできて、その丸い目を心配そうに瞬かせながら、優に体をすり寄せてくる。
「うぅ、モリちゃ〜ん……!」

「その恋人がそういうものを苦手だと、わかっていてやったのですか?」
呆れたような口調で釉薬が尋ねた。

「だって、もう…やけくそだったんです。仕返ししてやりたい気持ちも少しあって……」
言いながら、優は自分でも情けなくなる。

「ちなみにですね、その時取り出した胃は、やっぱり自分に戻せずそのまま消えちゃいました。でも、あとでちゃんと胃は復活しましたからね!そのへん【叶え薬の記録帳】に書いておいてください!」
と、やや絡み気味に訴える優。

「春田様……酔っていませんよね? ここはバーではなく、薬局ですが」
苦笑しながらも、釉薬は温かいお茶を差し出してくれる。

「すみません、ありがとうございます……」
湯呑みを両手で抱え、ふう、と息を吐く。あたたかさが指先からじんわりと沁みて、優の気持ちも少し落ち着いてくる。

「叶え薬を使うようになってから、良いことなんてなかった気がします。
これ、もしかして欲張った人に痛い目を見せて反省させるタイプの薬なんですか?
釉薬さんって、笑ゥ薬剤師なんですか?!」

「いえ、私はただ、お客様の願いを叶える薬を調合しているだけです。
使い方を決めるのは、お客様ご自身ですよ」
「つまり、薬の力にのまれて、承認欲求おばけになって、自分から転がり落ちただけってわけですね……」

「まあまあ、そんなに卑屈にならずに。
でも、私の言ったこと、思い出していただけましたか? 春田様は、何かを差し出さなくても、ただそこに居るだけで、誰かの心を支えている、と」
釉薬は穏やかな口調のまま優を見つめる。
「その“何かを差し出さないと愛されない”という呪いは、一体どこから来たのでしょうね?」

優は、答えられなかった。しばらくの沈黙のあと、釉薬は奥から瓶を持ってきた。

「こちらが、最後の処方になります」
「釉薬さん、もうこの薬は、私は——」
「ひと月分は、お渡しすることになっています。お持ちください」
釉薬は優の言葉を遮るように言い、瓶を手渡した。

「どう使うかは、お客様次第です。
1週間後に、また薬の瓶をお返しにいらしてくださいね。

……どうぞ、お大事に」

 
⭐︎⭐︎⭐︎

 
優は、歩いていた。

釉薬から渡された最後の一本の薬。
けれどもう、使うつもりはなかった。そもそも、なぜ自分はこんな薬を欲しがったのだろう。

「何かを差し出さないと、愛されないという呪い」
釉薬の言葉が、頭の中で繰り返される。

結婚も考えていた恋人には拒絶され、自分を気にかけてくれた友人の忠告も無視してしまった。
そのせいで、真面目に働いてきた職場では望まぬ部署への異動を告げられた。今日は土曜日。けれど月曜からの出勤を思うと、胃が重くなる。

すべてを失ったような気がして、心が空っぽだった。
誰かに話したかった。
誰かに、優しく抱きしめられたかった。
無条件に受け止めてくれる、そんな誰かに。

気づけば駅へ向かって歩いていた。ホームに滑り込んできたのは、小田急線の下り電車。
優は迷いなく乗り込んだ。窓の外を流れる景色はどこか懐かしくて、遠くへ逃げたい気持ちと、戻りたい衝動がないまぜになる。

揺られることおよそ1時間。
降り立ったのは、かつて暮らしていた町の駅だった。

そして——

「まあ、優。どうしたの、急に。
でも、おかえり」

実家の玄関先で、母が目を丸くして立っていた。



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