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「謝れないリーダー」は事業も組織も壊す

自分が何かしらの組織を率いる立場になって約3年が経ち、最近強く思うのは「謝れることが、如何にリーダーにとって大切か」ということです。

「謝れない」は「自分の非を公に認められない」ということと同義ですが、そのことが多様かつ多重な問題を引き起こし、組織を壊し、結果として事業も壊す様を複数見てきました。

今回は「謝る」というとても原始的な人間の行動が、どれだけ組織において大切なことなのかを綴っていきたいと思います。

「非を認める」という観点から見た、リーダーの分類

「非を認められないリーダー」のタイプを分解すると、僕は以下の通りになると思っています。

タイプA:失敗を補って余りあるほどの圧倒的な成果を残しているリーダー=「謝れない超人」

このタイプAには、周囲も「失敗を認めたり、謝罪して欲しい」と思っておらず、その圧倒的な成果をより継続して残して欲しい、と思っています。

別の表現をすると、メンバーはこのリーダーのことを「同じ物差しで測っていない」のです。つまりは「超人」的な位置づけ。

そもそも「別」の存在なので、その人からの謝罪など全く求めていないわけです。なので、このタイプA「のみ」、謝れるリーダーである必要はありません。

ただ、このタイプは「結果を残せなくなった時」、つまり「人間に戻った時」に、より深刻なタイプB~タイプDとなり、その組織を大きく暗転させる可能性が極めて高いです。そうならないための方法は後述します。

タイプB~D:成功で補えないレベルの失敗をしているが、様々な理由で「謝れない」リーダー

後述の「対処法」はタイプ別に異なれど、「謝れるべきなのに、謝れない」ことは共通しており、組織において起こることも共通しています。

少し先んじて次の章の話をすると、私はリーダーが必ず持つべき大切な要素の一つが「さらけだし」=「Vulnerability」であり、「謝る」という行為はその一歩目であると考えています。

そのリーダーの年齢やマインドにもよりますが、その第一歩目すら出来ていない人を後天的に「変容」させることは極めて難易度が高いと思っています。

なので、「リーダーにしない」ことの方が大事であり、リーダーが自分の後任を選ぶとき、人事がリーダー候補を選出するときの、必要条件として欲しいと思っています。

なぜそんなにも「謝れること」が大切なのか

1)最も初歩的な行動であり、不能の場合は根本的な信頼を持たれないから

「謝ること、非を認めること」というのは、我々が社会人になって初めてその能否を問われたわけではありません。

幼少期より、自分のステークホルダー(両親、教師、先輩、仲間・・・)から「謝る」という行為について、何かしらの指導や助言を貰ってきているはずです。

それが今になっても出来ないと、そもそも「人間として」のレベルや器を疑われてしまい、リーダー云々の話ではありません

「当たり前のことが出来る」ことは、タイプAの「超人」でない以上、信頼を得るための大切な要素であり、その第一歩が「謝れる」という能力であると考えます。

2)メンバーが「こいつ、また同じことをやるんじゃないか」という疑念が拭えず、求心力が低下するから

上記タイプB~Dの違いは「リーダーの胸の内」の話であり、メンバーからすると単なる「失敗しているのに謝らない人」です。

そうすると、以下のような疑念が発生します。

・謝らないということは、この人失敗に気が付いていないのでは?
・ということは、失敗を省みてないのでは?
・だとすると、同じ失敗を繰り返すのではないか?

そして、謝れない人はずっと謝れません。なので、次の失敗でもまた謝らない場合、「あ、やっぱりか」となり、ドンドンと疑念が膨らみ、それと比例して求心力が低下していきます。

この無限連鎖が続いていくので、やはり「謝れない人」の組織は長続きしません。

なお、たまに混同する人がいますが「常にポジティブであること」と、「失敗を省みない」ことは全く別の話であり、明確に両立可能です(トレードオフではない)。そして、私の中には「省みる」に「謝る」は含まれています。

セルソースの行動規範にも「適切な反省と最速のリスタート」という言葉があり、私は非常に優れた表現だと思っています。

3)謝れないリーダーは、「謝らない組織」を作るから

本件に限らず、リーダーの行動は必ず「伝播」します。

「社是」や「PMV」のような「言葉」が組織文化を作ることは決してありません。その組織で取られている「行動」が、組織文化を規定します。

つまり、「謝らない」リーダーという存在が「あ、この組織は謝らなくていいんだ」というメッセージの発信源になり、それが自動的に伝播していきます。

言い換えると、「謝れる」リーダーは「あの人も失敗したら非を認めてるんだから、俺もそうしなくては」というメッセージの発信源になります。

「誰も失敗を認めない組織」って最悪じゃないですか?少なくとも私はその組織で働きたいとは思いません。

そして仮に、そのリーダーが、その組織文化の根源が自分であると気付いたとしても、「謝れない」ので事態は改善しません。結果として「詰んで」しまうのです。

ここまでの議論を纏めると、以下の通りとなります。

そんなリーダーがいたら、周囲は何をすべきか

上述の通り「(超人でない限りは)謝れない人はリーダーにしてはいけない」が大前提です。

後任を選ぶリーダーや、人事部隊は出来る限り「入口」でスクリーニングしていただきたいです。

しかし、既にそんな人がリーダーであることもあるでしょうし、スクリーニングを突破するケースもあると思います。そういった状態のための「解決策」を以下に記します。

タイプA:「耳が痛いことを言い続ける人」を置く

その「超人」が出来る限り成果を残し続けるため、そして、「成果が出なくなった時にタイプB~Dに行かないため」に、絶対に必要なのは「耳が痛いことを言い続けるフィードバッカ―」です。

こちらのnoteでも紹介した「貞観政要」では、唐の第二代皇帝・李世民の話が綴られています。

この李世民は魏徴という諫官を常に側に置き、彼からの進言・忠告を何よりも大切にし、中国史上最も安定したと言われる治世を実現しました(「李世民の娘の嫁入り支度が贅沢である」ことまで指摘し、李世民はそれも反省・修正しています)

私は、ごく一部の例を除き、「超人であり続けられる」人は少なく、どこかのタイミングで「人間」に戻ると思っています。

そんな時に、魏徴のようなフィードバッカ―がいれば、その状態に合わせて変化することができ、「人間」になっても良質な治世が続けられる可能性があると思います。

そして後述の通り、これは「超人時代」に手を打っておかないといけないのです。

タイプC・D:「さらけ出し」を軸としたコーチングを行う

タイプC・Dは「失敗した」という認識はあります。

そしてタイプCは「謝る必要がない」と思っていて、タイプDは「必要性は分っているが、その勇気がない」という状態です。

そんな人たちには、「さらけ出しがどれだけ重要なことか」を自身で言語化出来る様になるまで、徹底的にコーチングをする必要があります。

ここで大事なのは「ティーチングではない」ということです。いくら教わって「さらけ出さなくては」と思ったところで、そんなものは長続きしません。

セルソースでは過去、中竹さん率いるTeamboxさんにそういったプログラムを開催していただきましたが、とても効果的でした。非常に時間的なコストを支払うプログラムでしたが、そのくらいやらないと人間は変わりません。

タイプB:修正不可

タイプC・Dは「失敗した」という認識は持てているので、さらけ出しだけの問題でした。

タイプBは「失敗」に関する価値観が壊れている「人間(not 超人)」であり、多くの人が「元・超人」です。このタイプは私は修正を試みるだけ意味がないと思っています。

出来ることと言えば、タイプA同様「フィードバッカーの具備」ですが、これは「超人時代から横にいる」ことに意味があるものであり、人間になってから全幅の信頼を置く人を見つける、というのはかなり厳しいと思います。(そして、それをやっている間に状況がドンドン悪化していく)

なので、残念ながらタイプBの人が上司であったりしたら、その人を外す、若しくは自分が別の場所に動くことにリソースを振った方が賢明だと考えます。

おわりに

私は組織作りをするにあたって、「フィードバック」を非常に重視しています。

良質なフィードバックが回る組織は、拙くともドンドンとレベルアップしていきますし、フィードバックサイクルが淀んでいる組織は、どれだけ良い組織も、いつかは暗黒状態になります。

これは、人が増えれば増えるほど遠心力が生まれ、またヒエラルキーが生まれ、フィードバックサイクルが回りづらくなるため、強く意識する必要があると考えているものです。

そして今回のnoteを綴っていて、そのフィードバックサイクルを持続させる重要な行動の一つが「謝る」という行為であることに気が付きました。

どれだけ素晴らしい「仕組み」を作ったとて、それを淀ませる「行動」が潜んでいては意味がありません。

リーダーが、適切に「謝る」ことで、よりそのサイクルが強化されるし、謝らないと、サイクルは止まる。

人間、謝るのは難しいものです。是非これを読んだリーダーの方、是非なんでもよいので、一つメンバーに謝ってみてはいかがでしょうか。

では、またお会いしましょう。

細田 薫


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