螺旋階段のようにめぐっていく母娘の立ち位置
我が家の階段には手すりがない。
「年を取って必要になったらつけよう」
夫がこの家を買った時、ふたりでそう決めて設置しなかった。
階段の幅は広く、傾斜は緩やか。かつ、折り返し型の曲がり階段なので、危なさは感じられなかった。階段に滑り止めもつけていない。
一方、実家の階段には手すりがある。
新築引渡しの直後に取りつけた。
階段の幅は芯芯(2本の柱の中心から中心までのこと)で90cm。まっすぐに上がり下りする直階段。
比較的傾斜がきつく感じられて、なんだか危ない気がしたから、滑り止めもつけた。
なのに、わたしは二度ほど足を滑らせて、数段落ちた。
原因は、真冬に靴下を重ね履きしていて、外側のぶ厚い靴下の中で足が滑ったことと、スリッパを履いていたこと。
以来、靴下の重ね履きと、スリッパを履いたまま階段を上がり下りするのはやめた。
いまでも、階段の下でスリッパを脱いで上がっている。
民宿などに泊まって、スリッパで階段を上がり下りしなければならない時は緊張する。
館内なのだから、靴下で歩かせてくれないだろうかと思う。
宿の階段で、スリッパが引っかかって数段踏み外し、怖い思いをしたことがある。いま思い出しても、心臓がキュッと縮む。
わたしには、スリッパと階段の相性は、たいそうよろしくないのだ。
東京の下町にあった母の実家の階段は、戦後の建物で、私の実家よりもっと急で狭くて危ないのに、手すりがついていなかった。
年代ものの、焦げ茶色でツヤツヤとした分厚い板材は、節約のためか一段ごとの奥行きがあまりなかったように記憶している。だから下りは壁に手をついて、特に慎重に下りていた。
4月の後半。G.W.に入る直前の頃に、母が一週間ほど我が家に滞在していた。
ある日の朝。
わたしが2階の洗濯部屋(室内干し用の部屋)で洗濯物を干していたら、階段の方からペタリペタリと聞きなれない音が聞こえてきた。
なんの音かと覗けば、母が一段一段、手をついて這うようにして上がってくる。
「どうしたの?」
「あなたの家の階段、手すりないのね」
家では普段、手すりにすがるようにしながら階段を上がっているという。
ベランダに洗濯物を干す時は、洗濯カゴを数段上に置いて、自分は手すりを掴んで一段上がり、またカゴを数段上に置いて自分が一段上がって、を繰り返して2階まで行くという話は聞いていた。
けれど、手をついて四つん這いで上がってくる姿を目の当たりにすると、想像以上に衝撃的で、驚きのあまり返す言葉がでなかった。
「滑り止めもついていないし、危なくない?」
よいしょと、壁に手をついて立ち上がった姿に、衰えたと感じずにはいられなかった。
ひとしきり2階を探索して、さぁ下りようとしたところで、おもむろに母は階段に座り込んだ。
今度は、座った状態で一段ずつ、お尻で下りていく。
手すりがあれば、足で下りるのだろうか。それとも家でも常にこうなのだろうか。
実家はリビングの外に廊下があって、その並びに階段がある。だから、帰省しても、母がどんなふうに1階と2階とを移動しているのかを、確認していない。
母の実家は、2階に小さな物干し場があった。
昔、祖母が同じようにして狭くて急な階段を上がり下りしていたと、母から聞いた覚えがある。実際に見たことはないのだけれど。
母が今のわたしとおなじぐらいの年齢の頃。
当時、祖母はヘルパーも頼まずひとりで暮らしていて、母はほぼ毎月、祖母の世話をしに東京へ通っていた。
フルタイムパート+内職をしながら、土日の一泊二日で新幹線に乗って行き、片づけ掃除、洗濯、衣類整理。
腰を落ち着ける暇もなく働きまわる母に、祖母は呆れたように言ったという。
「せっかく来たってのに、バタバタあれやってこれやってと、落ち着きのない。おしゃべりするゆとりもないのかい。ちょっとは座ってお茶に付き合ったらどうだい」
「一泊二日で行っても、移動に半日はかかるじゃない。実質動けるのは1日しかないのに、そんな暇ないわよって突っぱねて働いてたけどさぁ。いま考えたら、掃除なんてどうでもいいから、ゆっくり座ってばあちゃんの話を聞いてあげればよかった」
転勤族の父と結婚してからずっと、母は実家から遠く離れた土地を転々としてきた。盆も正月も帰省はできず、だからわたしは、父以外からお年玉をもらったことがない。
「きっと寂しかったんだろうね。お嫁さんたちの立場を考えたら、娘は遠い方がいいのかもしれないけど」
祖母が亡くなってもう十年以上が過ぎたというのに、母はいまでも時々その話をする。
数年間、母が世話をしに通った後、足がおぼつかなくなった祖母は、地元の施設に入所した。
最終的には関西のわたしの実家に引き取り、家から近い施設に預けて、母が介護した。
祖母が施設に入所していた1年と数ヶ月。母は一日も欠かさず施設に通った。そのころにはもう、あまりしゃべらなくなっていたらしく、だからこそ『あの頃もっと話を聞いていればよかった』と思うのだろう。
考えてみれば、いまわたしも母と同じことをしている。
毎月とはいかないものの、ゴールデンウイークに盆暮れ正月。年に3回ほど帰省したら、大半の時間を母のために使う。
このゴールデンウイークもそうだった。
大物の洗濯や布団干し、母の手ではやれない場所の掃除をしながら、わたしは祖母と母との会話を持ち出して、
「いまはわたしが、あのころの母と同じことしてるわ」
と笑う。
祖母と母、そして母とわたし。
螺旋階段のように、母娘の立ち位置は順番にめぐっていく。
いつか、母がいなくなった時。
わたしもまた、母と同じようにもっとおしゃべりしていれば……と悔やむ日がくるのか。
そうならないようにできればいいなと思いながら、アレクサで母を呼ぶ。
(2340字)
三條凛花さんのビンゴエッセイを、お借りしています。

