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キャベツと落とし卵のお味噌汁は祖母の味

わたしにとっての『田舎』は、東京の下町にあった祖母の家だ。 

戦後、疎開から戻った母がお嫁に出るまで暮らし、結婚後もわたしの兄弟が生まれるたびに父と預けられた、10坪ほどの借地に建つ、二階建ての古くて小さな家。


カラカラと軽やかな音をたてる、昔ながらのアルミサッシの引戸。
開いた途端、ピンポーンとチャイムが鳴り響いた。
玄関の戸が開くと接点が離れて鳴る仕組みの、古い防犯チャイム。

いま、こんなの売ってんのかな。
もしかして、叔父さんのお手製?

畳に換算して半畳もないだろう、モルタル打ちっぱなしの狭い玄関。
下駄箱どころか、傘立てすら置く余裕がない。
左側の壁面。柱に釘で打ちつけて隣の柱へと渡した太いワイヤーが、傘の保管場所。
持ち手をひっかけて数本、吊してある。

まる見えの小さな台所。左手には幅が5、60cmくらいしかない、狭くて急な階段。

上がりがまちが高いので、叔父の手製っぽい踏み台が置いてある。
小さな玄関をさらに狭くするそれは、長い年月の間に住人の靴下で磨かれてツヤツヤだ。

「こんにちはー」

足を踏み入れた途端、ふわっと嗅ぎなれた家の匂いに包まれる。
年季が入った糠床と味噌、台所の水気、そして線香の香りが入り混じった独特の、古い田舎の家の匂い。

「いらっしゃい。ようきたねぇ」

軋んで開けづらい障子戸を少しだけ動かした隙間から、のほほんとした祖母の声がかえってくる。

「疲れたろう、はやくお入り」

「おじゃまします」

持ってきたキャリーカートを上がりがまちに横倒しに置いて、靴を脱ぐ。
玄関から祖母がいる部屋までの間は、廊下ではなくて台所だ。

あがるとぎしっと床板のたわむ音がする。
幅15センチほどの分厚い板を数枚渡したその下は、土間にスノコを敷いただけの、いまでいう床下収納庫。
1枚がずっしりと重い、つややかな飴色の板を持ち上げれば、ほんのりとカビくさいそこには、ぬか漬けのかめや味噌樽、琥珀色した梅酒の大瓶が並んでいる。

流しの上にはガスの瞬間湯沸かし器。
作業スペースの横にガスコンロがあって、その隣に冷蔵庫。
流しとガスコンロ前の壁面には、L字の棚受け金具に板をのせた手作りの棚。
有孔ボードを使ってつけた網棚には鍋とやかんが置かれ、フライパンが吊り下げられている。
限られた空間を、なんとか工夫して使っているのがわかる。


上半分はガラス障子、中ほどは透明なガラスがはまっていて、下は薄い板張り。
そんな形の古い引き戸は戸車がないから、わたしの力でも開けづらい。

「ばあちゃん、久しぶり。お世話になります」

炬燵に入ってにこにこと笑っている祖母に挨拶して、大きな紫檀の仏壇の前に正座する。
線香に火をつけて立て、りんを鳴らした。

じいちゃん、久しぶり。しばらくおじゃまするよ。

そっと手を合わせ、祀られている祖父に心の中で挨拶すると、祖母に向き合った。


「それで、明日はどんな予定なんだい?』

問いながらこたつの上にある急須の蓋を取り、湯沸かしポットから湯を注ぐ。
傍らの小さな茶箪笥から客用の湯呑みを出して、自分の湯呑みとそれに湯をあけ、茶葉を急須に入れた。
年季の入った、桜皮細工の茶筒。
毎日触っているからだろう。
艶やかな飴色になっていてきれいだ。
湯呑みの湯を急須に戻し、茶葉がひらくのを待って、しわくちゃの小さな手がふたつの湯呑みへと交互に注いでいく。

コトン、と目の前に湯呑み茶碗が置かれる。
たちのぼる柔らかな煎茶の香りに誘われて、そっと手に取った。

「いただきます」

馥郁ふくいくとした香りと、ほんのり苦味のある日本茶の味に、ほうっと小さく息をつく。
自宅からここまで、新幹線を使って5時間ほど。
遠くはないけど、ちょっと疲れた。

「明日は昼前に出かけて、夕飯は友達と食べてくるからいらない。たぶん9時くらいには帰ると思う」

「朝ごはんは食べるんだね。何時に起きる?」

「8時くらいかな」

「そうかい。2階に布団敷いてあるよ。今夜はすいとん作ってあっちの家で食べるから。風呂に入るなら顔出しておきな」

「はーい」

祖母の家にはお風呂がない。
わたしが小さい頃は、歩いて5分ほどのところにあった銭湯へ行っていた。
板張りの脱衣所の外、こぢんまりとした縁側の先にある小さな池で泳ぐ鯉を、湯上がりに眺めていた記憶がある。
その銭湯は時代の流れとともになくなり、いまは祖母の家の斜め向かい、同じ借地内に建つ叔父の家に作ったお風呂を借りにいく。

祖母は朝と昼は自分で作り、夕飯だけを叔父の家で食べていた。
叔母が作ったおかずをほんの少しアテ(つまみ)にして飲む、コップ一杯の日本酒が、唯一の楽しみだったらしい。


この頃のわたしは、人事異動先の激務に耐えられずに仕事を辞め、ハマっていたミュージカルを観るために、公演先を追いかける暮らしをしていた。
同じ演目を、40公演ぐらい観た。
ミュージカル友達たちと一週間、地方のウィークリーマンションをシェアして住んでいたこともある。
東京で公演がある時は、祖母の家に泊まらせてもらっていた。

母から話を聞いているのか、いないのか。
30歳を過ぎてなお、自由気ままに生きる孫娘に、祖母はなにも言わず、泊めてと電話すればふたつ返事で泊まらせてくれ、黙って世話を焼いてくれた。

いま振り返ってみれば、いい歳をしてずいぶんと甘えた世間知らずの孫だったと、深く反省する。
2泊も3泊もして、ご飯を作ってもらいながら、祖母にこづかいのひとつも渡さない。
叔父の家で夕飯をご馳走になり、風呂に入らせてもらっているのに、お世話になりますと金封を渡すわけでもない。

不出来な孫と姪でほんっとに、申し訳なかった。

もういないひとたちに向かって、頭を下げるばかりだ。


祖母の家に泊まらせてもらった時の楽しみは、すいとんと、朝ごはん。



朝ごはんは和食。
炊きたてのごはんと厚切りの塩鮭、漬物や梅干しに小魚の佃煮。『ごはんですよ!』もあったっけ。
そして、キャベツに落とし卵の味噌汁。

厚切りの塩鮭は、定期的にやってくる魚屋の移動販売で買うらしい。
スーパーで売っている塩鮭の倍くらいの厚みがあって、ちょっとお高いと聞いた。
祖母にしてみれば贅沢なおかずで、孫や娘(わたしの母)がくると必ず買っておいてくれる、おもてなしの品だった。
漬物や梅干し、佃煮は蓋のついた陶器の器に入っていて、お茶受けにもしているのか、常に出しっぱなし。
しまったとしても、冷蔵庫ではなく茶箪笥だった。
あの頃はまだ、いまほど暑くはなかったけれど、考えてみれば保存・衛生的にはどうだったのかと思う。
塩分がいまよりもっと高かったから、大丈夫だったのか。

キャベツと落とし卵の味噌汁は、祖母の家でなければ食べられない。
たっぷりのキャベツを出汁でくたくたに煮て、味噌を溶き、卵を割り入れる。

『味噌を入れたら、風味がとぶから沸騰させちゃダメ』

なんてのは、一切無視。
ぐらぐらさせて卵に火を通す。

柔らかくも歯ごたえのあるキャベツと、キャベツのうまみが感じられる味噌汁に、黄身が全熟まであと少しってところの、絶妙なタイミングで火が通った卵。
しみじみと美味しい、祖母の家でだけ味わえる朝のご馳走だった。


家で何度か作ってみたけれど、あの味にはならなかった。
使っている出汁も味噌も違ったから、しょうがないだろう。
もしかすると、出汁は鰹節でなく、煮干しでとっていたのかもしれない。


祖母が作っていた料理で、わたしも母もうまく作れないものがもうひとつある。

茄子のしぎ焼きだ。

油を敷いたアルミの行平鍋で、乱切りにした茄子を炒りつけ、醤油で味をつける。甘味が少しあったから、砂糖か味醂が入っていたかもしれない。
ささっと作ってしまうのに、茄子はとろりと柔らかくジューシーで、夏はそうめんと食べると格別だった。

フライパンで作るからか、油の量か。はたまた火加減か。
とにかく理由はわからないけれど、どう頑張ってみても、あの味にならない。
母もいまだにそう言いながら作って、そうめんと一緒に食べる。



大正生まれの祖母は92歳で亡くなった。
早いもので、もう12年になる。

東京の祖母の家は、母が祖母を引きとる前に母と叔父、わたしと兄弟の4人で荷物を片づけた。
そして亡くなったあと、叔父が相続してリフォームしたから、記憶に残るあの家はもうない。

キャベツと落とし卵の味噌汁も、すいとんも、茄子のしぎ焼きも。
そして、数えきれないほど泊まらせてもらった、あの家の懐かしい匂いも、優しい祖母の声も。

すべてがわたしの記憶の中。



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