『大切なことは探すんじゃない、きっと気付くもの』~継母からの壮絶ないじめの中で、居場所を失った高校生のわたしが守りたかったこと🌱~
〈はじめに🌱〉
以前の記事で、
わたしの生い立ちについて
少し触れているのですが、
この記事から
わたしのことを知る方が
いらしたら
と思い、
簡単に
説明させていただくと…。
わたしは幼少期に
母を交通事故で
亡くしています。
そのため、
中学2年生までは
父と兄とわたしの
三人で
家事を分担しながら、
穏やかに暮らしていました🌱
そして
中学3年生の半ば頃、
継母になる人が
家に来るようになり、
わたしが
高校生になってすぐ
父は再婚しました。
再婚当初、
継母は
「ななちゃんが可愛くて
仕方がないの😊♡
だから お父さんと結婚したいって
思ったのよ🌱」
と
言っていたのですが、
その仮面は
音を立てて
剥がれ落ちました。
継母は、
毎日
毎日
わたしだけを
いじめ続けました。

そんな複雑な
家庭環境の中で
生活し、
わたしに
与えられていたものは
お金も、
そして
安心して
過ごせる場所も
とても少なく、
入学した
私立高校には、
交通費が
捻出できるときだけ
登校していました。
あとは
夏休みに
穴埋め登校をして
テストを受け、
出席日数をクリアし
テストの成績も
悪くはなく、
結果として、
留年することはなく
無事、
三年間で
卒業できました😊✨️
ただ、
卒業までの
三年間、
わたしの高校は
毎日の宿題が
鬼のように多い学校で💧
毎日
登校することが
できなかった
わたしには
当然、
登校しなかった分の
宿題が
律儀に待っていて
くれました😅💦
その
宿題を
積み上げると、
カーネギーの
『道は開ける』が
6冊分くらい
あったと思います💦
そうなると
道が開けるどころか
………もう地獄🥲
そして
地獄は
さらに深く
長期のお休みのときでした。
溜まりに溜まった
宿題6冊分
プラス☝️
夏休みの宿題が
上乗せされた
ときでした。
その量は、
いつまでも
終わりの見えない
家事のように…
いや…
好奇心で
覚え始めた
円周率が、
『えっ、まだ続くの🙄?』
と
気が遠のくのと
同じくらい、
果てしない量でした。
わたしは
当然、
夏休みも
家にはいられず、
穴埋め登校しない日は
いつものように
マクドナルドで
お勉強📚🖊
しかし☝️
夏休みに入ると
湘南海岸には
海の家が
建ち並ぶため、
サーファーの友人と
海に行き
彼女が
波に乗っている間、
わたしは
海の家で
宿題をやっていました🏝
マクドナルドほど
快適では
なかったのですが、
そこは
やっぱり
女子高生✨️
わたしは
泳げなかったけれど
持っていたお金で
頑張って買った
ビキニだけは
着たかったので😊
友人と
お揃いで買った
ボディーピアスを
おへそに輝かせ✨️
海に行って
いました👙🏖
宿題に疲れると
海をぼんやり眺めては、
波に乗る
友人の姿を
ボーッと
見ているのが
好きでした ˖*
友人は波に乗り🏄♀️
わたしは
海の家で
波のように
押し寄せている宿題を
乗りこなしていました……😅

海の家の
隅っこで
ビキニを着て
正座をし、
黙々と宿題に
向き合うようになってから
一ヶ月くらいたった
ある日、
わたしの目の前に
すぅーっと
ラーメンが
差し出されました。
『よかったら食べな』と
醤油ラーメンが__。
『……えっ?』
と思い
黙っていると、
『これだけ(雨が)降ってくると
もう 今日は人も来ないから
よかったら食べてよ、悪くなるし…嫌い?』
と
海の家のおっちゃんが
優しい笑顔で
差し出してくれました🍜🍥
そうなんです。
この日は
朝から
じわじわと
小雨が降っていたのですが、
サーファーの友人は
雨も風も関係ない、
波だけを
追い続ける
生粋のサーファーなので
この日も
迷わず
海へ行き🏄♀️
それなら😊
と思い、
わたしもつられて
ビキニの上に
薄いパーカーだけを羽織って、
宿題を抱えて
ビーチサンダルで
ペタペタと
海の家に
行ったのでした🏖
友人は
ウエットスーツを
着ているので
わからなかったと
思うのですが、
お昼になって、
そろそろ
本降りになりそうな頃には
ビキニ姿は
少しだけ肌寒く、
『ラーメン食べたいな
でも ラーメン代は出せないな…』
と
コンビニで
缶コーヒーでも買って
温まろうと
思っていた矢先に、
差し出してもらえた
ラーメン🍜🍥♡
お金がなく、
いつも
お腹を空かせていた
わたしには
最高に
嬉しくて、
友人が
波を待つポイントまで
裸足で走り、
『あがってきてーー😃』
『ラーメン‼️ラーメン』
と
海にいる友人に
わかるよう
大きく
ジェスチャーしました 𖡼.𖤣𖥧
✼••┈┈••✼••┈┈••✼ ••┈┈••✼
『のびちゃっただろ?』
と
気遣ってくれながら
取り分けるお椀を
持ってきてくれた
おっちゃん。
わたしは
そのとき
ふと、
言葉にならない思いが
こみ上げてきました。
一週間のうちの
ほとんどを
この
海の家で過ごし
そろそろ
一ヶ月。
注文するものといえば
お金がないので
かき氷くらいしか
たのまない…🍧
それでも
いつも
快く
一角を貸してくれて、
文句をいわれたことが
一度もない。
『この子…家で宿題やればいいのに…』
とか
『ちょっと混んできたから
出ていってくれないかな…』
などと
思ってもよさそうなのに、
いやな態度をされるどころか
『いらっしゃい』
『今日も暑いな』
『家は近くか?』
『宿題も大変だよな』
などと
いつも気さくに
声をかけてくれて、
扇風機を
そばに置いてくれたり、
気遣いをくれました。
50代くらいの
おっちゃんの
眼鏡越しに、
笑ったときの
目尻のシワが、
子供ながらに
いつも
あたたかさを
感じていました🌱
そして
『そんなつもりはなくても、
わたしは
おっちゃんの優しさに、
甘えきってしまっているのかな?』
そんな思いが
心をよぎりました。

海の家の
居心地はよく
おっちゃんも優しい。
時間があると
話しかけてくれたりして、
その
おっちゃんの
優しさを
『しめしめ』なんて
思ったことは、
もちろん
一度もありません。
けれど
『文句を言わないおっちゃんの笑顔に安心して』
『だから そばにいたくて』
『でも それは、 優しさに
一方的に甘えてしまっているのかな…』
そう思ったら…
おっちゃんの
人としての
たくましさだったり、
優しさで
差し出してくれた
このラーメンに
温もりのような
心のあたたかさを
感じました ˖*
『人に優しくできるって、芯の強さなのかな…』
そんなことを
思いながら
心を込めて言いました。
『いただきます🍜🍥』
と……🎐
✼••┈┈••✼••┈┈••✼ ••┈┈••✼
二年生になっても
わたしの家庭環境が
変わることはなく、
それでも
無事に
三年生に
進級できました㊗️
朝から
マクドナルドに
向かう生活も
変えられず、
そう簡単に
道は開けず
高校生活も
気付けば
約二年半💦
時代的に
お店の方が
『一応 警察に通報』
という
世の中では
なかったので、
補導されることは
幸い
一度も
ありませんでした。
『あの子 毎日学校サボってるのかな?』
と
きっと
思われては
いたとしても、
迷惑行為や
危険行為を
している訳ではなく、
やっていることは
『勉強だけ』なので、
多めにみて
いただけていたのかな?
と
思います🌱
そして
夏休みの
海開きを待って
おっちゃんのいる
海の家に向かいました🏖
毎年
おっちゃんは
わたしのことを
覚えていてくれました🌱
おっちゃんからみれば
わたしは
『迷惑なお客さん』なのか
『訳ありな女子高生』なのかは、
厚かましくも
わたしには
わかるはずもなく、
高校生活で
最後の夏も、
この海の家で
宿題をやっていました🏖
今年は
おっちゃんに
きちんと
『お世話になりました』
と
挨拶をしたいなと
思っていました。
なぜなら
高校を卒業したら
この土地を
離れる予定なので
もう
海の家には
来ることはないだろうと…。
寂しいけれど
おっちゃんに会えるのは
今日が最後だから...🎐

継母から
『あんたは 大学になんか行かせない宣言』
を
早々と
されていたので、
自立できる道を
探そうと思い、
看護師になろうと
決めていました。
夏にしか会えない
おっちゃんとの出会いで、
ラーメンを
ご馳走していただいた日から
わたしの意識が
変わっていったこと…。
それは、
『優しい人が 優しいままで いられるように、
自分が『優しさという強さ』を
持った人でいたい』
と
思ったこと🌱
ドラマなどで
『あなたの笑顔を守りたい』
とは
よく聞くセリフなのですが、
言葉としては
わかっていても
心から実感して
わかることはなく、
でも
それは
おっちゃんに
出会ってから
実感として
わかったこと__。
『わたしに優しいままの
おっちゃんで いてほしいと思ったら、
優しいままの おっちゃんで いてくれるように、
おっちゃんの心の負担になるまで
わたしは甘えてはいけない』
おっちゃんの顔を わたしが曇らせてはいけないと
気付けたこと。
『相手が疲れるほど 甘えてしまったら、
それは
甘えさせてもらったのではなく、
言葉通り
相手を疲れさせ困らせただけで、
人の優しさに あぐらをかいているのと
同じこと…』
【優しくしてくれる人の優しさは守るもの🌱】
と思うことが
正しいかどうかは
わからないけれど、
わたしの中で
ぼんやりと
ひとつの『優しさ』として
わかったことでした🌱
『守りたいものができる』
ということは、
亡くなった母が
よく言っていた
『成長につながるんだよ』
ということなのか…。
人生の目的といっては
大袈裟かも
しれないけれど、
わたしの
人との関わり方の
指針のひとつと
なりました。
マクドナルドの方が
通報しないで
いてくれたことも
優しさなのかは
わからないけれど
わたしにとっては
とても
ありがたいことでした…🎐
父が再婚してから
生活の何もかもが
真逆に
変わってしまったけれど、
それでも
こうやって
誰かに守られていた
三年間…🌱
おっちゃんには
家庭環境が
よくないことや
今後
自立をするために
看護師を目指し
寮生活をはじめること、
そのため
この土地を離れることを
話しました。
『ずっと優しくしてくれて
ありがとうございました🎐』と__。
夏休み
最終日の夕方に、
海の家では
店じまいの準備が始まり
わたしの
高校生活最後の夏も
終わりました🎐

いよいよ
看護学校の受験日。
緊張感も
少しずつやわらぎ
最終科目。
小論文の時間となり
テーマが発表されたとき、
すぐに
おっちゃんの顔が
うかびました🌱
テーマは偶然にも
『優しさについて』
でした。
忘れることなんてない
地元で感じた
優しさを
思う存分
書きました🌱
わたしは
たまに
『昨日の夕飯、何食べたっけ🙄?』
なんて、
昨日のことも
思い出せない日が
あるくせに😆💦
遠い昔の
この小論文のテーマと
書いた内容は
今でもよく
覚えているんです😊🖊

『人生のメンターを探すとよい』
と
聞くことがあります。
わたしの場合、
大切なことは
探さなくても
意外とすぐそばにあって、
それは
俯瞰してみることで
気がついたり、
何気ない行動から
気付かせてもらえたり
していた気がします🌱
この
サーファーの友人からは
『挨拶は丁寧にすること』
を
教えてもらえている
ひとりです🌱
彼女は
ひとつひとつに
心がこもっていて、
彼女以上に
『あたたかい思いを込める人』は
いまだに見かけないと
言っていいくらい、
丁寧さを 見習いたい人なのですが、
そんな彼女も
やっぱり、
『芯のある優しさをもった人🌱』
イエスマンでもなく
強く
しなやかな
女性なんです🌱
【優しくしてくれる人の優しさは守るもの🌱】
甘えきって
あぐらをかいては
いけない...…。
あの頃
居場所を失っていた
わたしを、
たくさんの『優しさ』が
守ってくれていたことに
心から感謝し、
少しは
成長できた
夏だったのかなと
今は思います🏖
いつも
目の前のことに
がむしゃらで、
あの頃は
看護師を
辞めることになるなんて
想像も
できませんでしたが、
今振り返ると、
導かれた先には
成長に繋がる
なにかに出会い、
優しい思いに
あぐらをかかないことが
できたとき、
周囲のお陰で
大切なことに
気付くこともでき、
優しい人の心は
守りたい
と思うことで、
わたしの未来の道は
広がっていたのかな?
と思います。
目の前の出来事を
どう心に響かせるかで、
道の開き方は
変わってくるものなんだ、
と
感じています˖*
自分語りの
投稿では
ございますが、
最後まで
読んでくださった方…🌱
心より
感謝致します ˖*

朝比奈ななみ__𖡼.𖤣𖥧
✼••┈┈••✼••┈┈••✼ ••┈┈••✼
▫️人を憎まずに生きてこれた
わたしなりの考え方🌱
▫️わたしを救ってくれたのは
亡くなられた患者さまだった🌱
▫️アイテム風水
『あなたの持ち物は吉相ですか?』
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最後までお読みいただき、ありがとうございます🌱夢のために、大切にあたためさせていただきます。