見出し画像

「創作ってなんじゃらほい?」

前の記事の続編(みたいなもん)です。

思ったんですよねー。
何のために書いてんの?って
これ勿論人によって違って。

「とにかく自分の気持ちを表現したい!」
って人もいるだろうし
「それによって人と繋がりたい!」
って人もいるだろうし
「人気作家やクリエイターになって称賛されたい!」
(そしてこれは勿論悪いことじゃない)
って人もいるだろうし

俺はなんでかなーって考えまして。
それはさっきの記事を出したことによって、
色んな人(友だちとかnoteの人とか)とお話出来たこともあって。

まず俺は優先順位として、「褒められたい」「人気になりたい」みたいなのはかなり低い。
勿論ゼロじゃない。ゼロじゃないけど、正直結構どうでも良いと思っちゃってる。

「自分の想いを表現したい」みたいなのも、かなり希薄。
なんていうか、凄い冷たく聞こえる言い方だけど、「表現してどうすんの?」って思っちゃう。
これは自分に対してね。
人が表現してるのを見るのは全然好き。

結局のところ、俺にあるのって〈観測したい〉っていう欲求が殆ど全てなのよな。

つまりまずは「自分から何が出てくるかを見たい」
その次は「それを世に出したときに、どんなリアクションが返ってくるかを見たい」

だから、正味褒められなくても良い。
作品を書いた時の自分と、それを観測してる時の自分って殆ど別人だから、貶されてもあんま傷つくとかない。
だってもうそれ俺のちゃうし。

ノーリアクションは傷付く。
だってロクに観測出来ないもん。
ツマラン。

だから作品を磨くとか、高品質にするとかもあんま興味無い。
知らん、そんなの。

俺にとってそれは実験器具みたいなモノだから、使えさえすれば見栄えとかもどうだって良い。
(勿論実験結果に影響を及ぼす欠損はノーよ)

薬は飲んで効けば良いわけで、どんな色をしてるかとかどんな袋に入ってるかってのは、本質的には関係が無い。
広く取ってもらうためには、そういう事も大切だけどね。

でもあんま広く手に取られたいってのも無い。
そんなに沢山観測できないし。
いずれそういう大規模実験がやりたくなったら、また別だけど。

ここまで書いて思うのは、そもそもの動機があんま文系的じゃないというか、情緒的じゃないのよね。

俺の最大の欲求は、人間を分解してその構造や因果を完全に把握すること。
その為に人間の精神という単位を、部品のようにバラバラにしてその作りを観測したい。

だから「自分」というものにも思い入れはあまり無い。
あくまで最も身近なサンプルだから、これを使ってるまで。

本当は〈人間〉という普遍を理解したいけど、他者の内部で何が起こってるかなんて、完全に理解は出来ない。
だから自分を使う。

その意味で別に人に嫌われようが、非難されようがどうだって良い。
生活出来なくなるレベルとかじゃなければ。

自分というこの被験体を使って、それを世間の構造に投げ込むことによって、自分や他者の動きを観測する。

前にもどっかの記事で書いたけど、やってる感覚はビーカーにスポイトで薬品を垂らすことと変わらない。

俺にとって創作もそんな感じの一つだ。

皆さんはどうざんしょ?
なぜ書いてるんですか。


いいなと思ったら応援しよう!