近道した人には見えない場所を、遠回りした人は知っている

<作文の書き方>
原稿用紙の右から
1行目にタイトル
2行目に下から名前
3行目にひとマス空けて、本文を書きはじめる
あとは自由に書きなさい
「作文の書き方」について
学校で習ったのはそれぐらいなのに
みんなはどうやって作文が書けるようになったのだろう?
作文が書けなかった子どもの頃
このnoteを毎日書いていると
占い鑑定に来られたお客さまから
聞かれることがある
「ひなたさんは、子どものころから
文章を書くのが得意だったんですか?」
残念ながら
まったくそんなことはなかった
夏休みの読書感想文なんて
親戚のおばちゃんが見かねて書いてくれて
それを私が清書して提出していたくらいだ。
今思うと
当時の私の文章は、相当ひどかったのだと思う
「ちょっとあんた、それはあかんわ」
みたいな空気で
助け舟を出してくれていた気がする
私はそれをありがたく清書していた。
書いている自分でさえ、意味がわからない
小学生のころの私は
作文に強いコンプレックスがあった。
「原稿用紙、2枚書きなさい」
と言われたら
2枚分のマス目を
どうにか埋めることしか考えられない
書いているうちに
自分が何を言いたかったのかわからなくなる。
テーマが途中で変わる
そもそもテーマも結論もない
一応、書き終わったあとに読み返してみる
そして自分で思う
「で、何が言いたいのこれ?」
自分で書いた文章に
自分で迷子になっていた
作文は、鉄棒とか絵画と同じで、
才能のある子は書ける、ない子は書けない
自分には、それが「ない子」だと思っていた。
好きなラジオのことなら書けると思った
そんな私に
転機みたいなものがあった。
小学6年生のとき
自分の好きなテーマで
作文を書いて発表する
という授業があった。
当時の私は
深夜放送のラジオ番組が大好きだった
オールナイトニッポン、ヤングタウン・・・
まだ小学生なのに、
見ちゃいけないオトナの世界を覗いているような
そんなドキドキ感があった。
だからテーマは迷わずラジオにした
好きなことなら
きっと書けるはずだと思った
ハガキ職人さんが投稿する
おもしろいメッセージを毎夜のように浴びていた
自分にも、その言葉のセンスの一部ぐらい
吸収されているんじゃないかと期待した
クラスのみんなにも、
この面白さを伝えたいって思った
……でも
やっぱり書けなかった
これはかなり悔しかった。
興味のないものについて書けないなら
まだ言い訳ができる
でも
大好きなものなのに
自分の好きが言葉にならない
伝えたい気持ちがあるのに
カタチにできない
あの苦しさは
今でも少し覚えている。
作文って、2回書けばいいんだ
それまでの私は
作文を書き終えたら、そこで力尽きるタイプだった
でもそのときは違った
どうしても悔しくて
生まれて初めて、ちゃんと書き直しをした。
いったん最初に書いたものを捨てて
もう一度、最初から書いてみた
すると
不思議なことが起きた。
2回目は
するすると書けた
自分でもびっくりするくらい
言葉が出てきた
なぜかというと
1回目にいったん書いたことで
頭の中が整理されていたからだと思う
最初の文章は
失敗作だった
でもその失敗作が
本当は何を書きたかったのかを教えてくれた。
そのとき
私は気づいた
「作文って
2回書けばいいんだ」
たったそれだけのことなのだけれど
当時の私には大発見だった
最初からきれいに書こうとするから苦しい
まずはぐちゃぐちゃでも書いてみる
いったん外に出してみる
それから整える
そうすれば
文章は少しずつ形になる。
「自分の中にある言葉」で伝えられる喜び
それからは
作文を書く前に、軽く下書きをするようになった。
とりあえず言葉を出してみる
話の流れを作る
頭の中を少し整理する
それから本番の原稿用紙に向かう
そうすると
あれほど苦痛だった作文が
少しずつ楽しいものに変わっていった。
自分の思っていることを言葉にして
誰かに伝えられる
それって
こんなに面白いんだなと思った。
今こうして毎日noteを書いていても
あのときの感覚が
ずっとどこかに残っている。
書けた
伝わった気がする
自分の中にあったものが
言葉になって外に出た
あの
「楽しい」
「気持ちいい」
という感覚
もし私が
子どものころから作文をそこそこ書けるタイプだったら
あの感動はなかったかもしれない。
苦手だったから、わかることがある
占い鑑定をしていると
今は得意そうに見えることでも
もともとは苦手だったという人にたくさん出会う。
人前で話すのが上手な人が
昔は極度のあがり症だったりする
恋愛相談に落ち着いて答えている人が
昔は恋ひとつで眠れなくなるような人だったりする
私もその一人だけど、生き方が不器用だったから、
今は占い師をやっている、という同業者は多い。
苦手だったからこそ
人のつまずきがわかる
できなかったからこそ
できない人の苦しさを雑に扱わない
最初からできた人には見えない場所を
遠回りした人は知っている
これは
とても大きな力だと思う
もちろん
得意だったから続いたものもある
それはそれで、すばらしいこと
でも
苦手だったからこそ
強く心に残るものもある
できなかった時間は
ただの遠回りではない
あとで誰かにやさしくなるための
準備だったりする
自分の言葉を探すための
下書きだったりする。
「最初から得意じゃなくてよかった」
そんなふうに思える日が
人生にはときどき来る
できなかった時間も
悔しかった記憶も
うまく言えずに飲み込んだ言葉も……
いつか誰かに届く想いの奥で
静かに生きている
昔は苦手だったものが
今の自分を支えている
そう気づける日があるから
人は遠回りしても
案外、大丈夫なのだと思う。

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