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教員は、どこまで命を懸けるべきなのか

さすまたの先に残った問い

不審者対応訓練では、教員がさすまたを持ち、不審者役に向かいます。
子どもを逃がすため。
時間を稼ぐため。
被害を広げないため。

その姿だけを見ると、
教員が前に出るのは当然のように見えるかもしれません。
しかし、さすまたを手にした教員は、
ただ道具を持っているだけではありません。
子どもと不審者の間に立つ役割を背負っています。

そこで、前回の記事の先にある問いが残ります。
教員は、どこまで自分の命を懸けるべきなのでしょうか。

子どもを守る仕事だからこそ

教員には、子どもを守る責任があります。

授業中も、休み時間も、行事の最中も、
子どもたちが安全に過ごせるように目を配ります。
危険があれば止めます。
けがをすれば対応します。
保護者に連絡もします。

学校にいる子どもを守る。
それは、教員の仕事の一部です。
ただ、その責任がいつの間にか、
教員なら命を懸けて当然という空気に変わっていないでしょうか。
子どもを守る責任と、自分の命を差し出す責任は同じではありません。

この二つが混ざると、現場の教員は苦しくなります。

その場に立ったら動けるのか

もし、授業中の教室に刃物を持った人が入ってきたら。

目の前には子どもたちがいます。
泣き出す子もいるでしょう。
固まって動けない子もいるでしょう。
こちらの指示が届かない子もいるはずです。

職員室へ知らせる時間はないかもしれません。
警察が来るまで何分かかるかも分かりません。
その数秒で、何を選べるでしょうか。

子どもを逃がすのか。
不審者との間に立つのか。
机や椅子で距離を取るのか。
大声で助けを呼ぶのか。
自分も逃げるのか。

訓練では動けても、本番で同じように動けるとは限りません。
恐怖で声が出ない人もいます。
足がすくむ人もいます。
判断が遅れる人もいます。

それを、あとから責めるのは簡単です。
けれど、その場に立っていない人が言うほど、現実は単純ではありません。
教員は、戦うために学校にいるわけではありません。

教員にも帰る場所がある

教員にも、学校の外の人生があります。
家で待っている家族がいます。
支えている親がいます。
一緒に暮らす配偶者がいます。
育てている子どもがいます。
一人で守っている暮らしもあります。

朝、学校へ向かう教員は、その日も家に帰るつもりで出勤しています。
教室に入った瞬間に、その人の人生が消えるわけではありません。

子どもの命は重いです。
だからこそ、守りたいと思います。
同じように、教員の命も重いです。

この当たり前の話が、学校安全の話になると、
後ろに追いやられてしまいます。
少なくとも私が勤めていた学校では
教員の命について出てきた記憶がありません。

覚悟と自己犠牲は違う

教員には、子どもを守る覚悟が必要です。

危険を知らせる。
子どもを逃がす。
身を低くさせる。
扉を閉める。
距離を取る。
助けを呼ぶ。

その場でできる限りの行動を取る責任はあります。
ただし、命を懸ける覚悟と、命を捨てる覚悟は違います。
命を懸けるとは、
子どもを守るために自分ができる行動を選ぶ姿勢です。
命を捨てるとは、
自分が傷ついても仕方ないと最初から受け入れてしまう姿勢です。

この二つを同じものとして扱ってはいけません。
子どもを守ろうとして傷ついた教員の行動は、尊いものです。
けれど、それを美しい話として語るだけで終わらせるなら、
次もまた誰かが同じ場所に立たされます。

なぜ、その教員が一人で向き合う状況になったのか。
なぜ、すぐに応援が来なかったのか。
なぜ、教員が前に出るしかなかったのか。
そこまで考えなければ、学校は変わりません。

英雄を求める前に

学校に必要なのは、勇敢な一人の先生ではありません。

不審者を入れない備え。
すぐに知らせる仕組み。
複数で動ける体制。
逃げる道の確認。
警察との連携。
教員が孤立しない配置。

こうした準備がなければ、最後は教員の勇気に頼るしかなくなります。
そして、そのしわ寄せは現場に来ます。
刃物を持った相手に、教員一人が向き合う状況そのものが危険です。
教員一人が命を懸けるしかない状況を、そもそも作らない。
学校安全は、そこから考えるべきだと思います。

私自身の答え

私は、子どもを守る覚悟を持って教壇に立ちたいと思っていました。

危険が迫ったら、子どもを逃がしたい。
助けを呼びたい。
被害を小さくしたい。
その場で自分にできる行動を選びたい。
それは、教員として自然な思いです。

けれど、教員の命を当然のように差し出させる考え方には、
強い違和感があります。

教員だから前に出るべき。
先生なら盾になるべき。
逃げたら責められても仕方ない。
そうした空気は、学校を安全にしません。

子どもを守る責任はあります。
でも、教員の命も同じ重さです。

だから私は、教員が命を懸ける場面を減らすところから、
学校安全を考えることが当たり前だと思います。

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