高層ビルと難民と私
ニューヨーク・ミッドタウンの東側にひときわ豪華な巨大なビルがあります。
1960年代に建設された12階建てのビルは、天窓やガラス壁で覆われ、建物内に吹き抜け空間があり、木々や池、小川が配された熱帯の森が広がっています。
一瞬、目を疑う佇まいのビルはフォード財団センターです。
緒方貞子氏(政治学博士)は、このフォード財団センター内にあるオフィスにいました。
しかし、この美しいビルを持つ財団には、冷戦期という時代の影が刻まれています。
アメリカは1950年代から1960年代の、米国とソ連の間で行われた冷戦期にありました。中央情報局(CIA)はソ連に対抗するため、知識人や芸術家、学生団体を支援して情報操作を行いました。文化冷戦です。
CIAは政府資金のマネーロンダリングのため、フォード財団などの大手慈善団体を利用し、共産主義に対抗する親米派に莫大な助成金を投入しました。
CIAが秘密裏に創設した国際的な文化組織に対し、フォード財団は主要な資金提供者の一つでした。
1960年代後半にニューヨーク・タイムズ紙などの報道や議会調査によってこの作戦が暴露され、財団の独立性と慈善という目的の政治性が大きなスキャンダルとなりました。
そして、2001年の新たな戦争の時代に緒方博士は、ここに移ったのです。その年のアメリカ同時多発テロがきっかけで中東での長い戦争の時代が始まったのです。
幸か不幸か慈善活動の裏には、政治がいつも関係しています。
緒方博士が国連総会の日本代表団に初めて任命されたのは1968年でした。名門出身で、曽祖父の犬養毅元総理は、軍縮や満州事変の中国との平和解決路線が軍部の反発を受け、暗殺されました。緒方博士の平和活動は世代を超えたものだったのかもと想像します。
緒方博士の現場主義は有名です。
しかし、難民高等弁務官は難民キャンプを視察し、NGOから聞き取った内容を安全な首都のオフィスで立派な英語のレポートにまとめる姿は、現場を知る者から見ると空虚に映るかもしれません。
看護師として難民の医療支援を行った経験からの泥臭い気づきです。
ただの看護師だろうと吐き捨てられるかもしれません。
テントに出向き、自分の意思とは全く異なり難民になってしまった彼らの手を取り、膝をついて眼帯を巻いたことは今でも忘れません。
パレスチナ人のように自分の国を失い、パスポートが使い物にならず、家や職を失い、医師や薬剤師のようなその国で取った資格も意味がなくなり、
国連やユニセフの支援でテント生活を余儀なくされた人は難民として生きるしかなくなります。
社会的に完全に自由を奪われるのです。
難民の支援活動は常に政治や戦争と隣り合わせで、戦争は常に経済と隣り合わせです。
国連では無力だったのでしょうか。
それでフォード財団に入ったのでしょうか。
巨大な組織構造に違和感を抱きます。
世界の大金持ち、良家の子息が慈善事業に集まり、戦争や災害に携わるのです。慈善団体や政府の国際支援機関のトップや管理職になってです。
そして彼らはいつも安全なところで働くのです。
彼らの財力にあった人脈や場所で活躍されることは既に決まっているのでしょう。
この美しい庭のあるビルを見ると、私達の生活がなんだかとてもちっぽけに感じます。
ラットレースとは上手く言ったものです。
