人を扱う商売
「派遣会社を作ろうと思うんだけど」
五歳年下の従弟から電話があった。
私は思わず言った。
「やめておいた方がいいよ」
派遣会社というと、初期費用も少なく、人を紹介するだけで
儲かる商売だと思われることがある。
中には「ただのピンハネ屋だ」と言う人までいる。
けれど、私はそんな言葉を聞くたびに苦笑いするしかなかった。
派遣会社で一番お金がかかるのは求人広告費だ。
顧客が求める人材を集めなければ仕事は始まらない。
そして、やっと見つけた人が働き始めても安心はできない。
人を相手にする仕事だから、思いもよらないことが起きる。
ある製造メーカーに二十四歳の女性を紹介したことがあった。
彼女は、少し前に他の会社の正社員に応募していたが
不採用になった。
それで、派遣に応募して、今回の派遣先が決まった。
勤務二日目の夕方だった。
彼女から電話がかかってきた。
「前に不採用になった会社から連絡があって、
社長が会いたいと言うんです」
私は嫌な予感がした。
けれど、
「そうですか」とだけ答えた。
無理に引き留めても意味がない。
気持ちが離れてしまった人は、いずれ辞める。
彼女は三日目に社長面接を受けた。
そして四日目の朝、また電話があった。
「採用になりました。すぐ来てほしいと言われたので辞めます」
私は勤務先へ向かった。
昼休みに、会社の近くの食堂に呼び出した。
彼女に昼食を食べさせながら、
どのように退職を伝えるかを話し合った。
私は彼女を責めなかった。
今の彼女を責めたところで、何も彼女に響かないだろう。
仕事を教え始めた会社には迷惑をかけてしまった。
私は菓子折りを持って会社へ謝りに行った。
何度も頭を下げた。
彼女には給料を支払ったが
会社には、請求書を出さなかった。
けれど、一度失った信頼は戻らない。
その会社から仕事の依頼が来ることは二度となかった。
こんなこともあった。
大手倉庫会社から、船積み書類を作成できる人材を探していると
依頼が入った。
いい人なら、いずれ正社員にしたいという。
当時二十二歳だった営業社員が飛び込み営業で
取ってきた案件だった。
登録スタッフの中に三十二歳の男性がいた。
職歴も申し分ない。
経歴書を見ると、以前、私の取引先で働いていたことが分かった。
私は念のため、その会社の人事担当者に電話をした。
「どんな方でしたか」
すると、
「真面目な人でしたよ」
という返事が返ってきた。
私は安心して紹介した。
ただ一つだけ気になっていたことがあった。
自宅から勤務先まで一時間半ほどかかる。
長く続くだろうか。
そんな不安が頭をよぎった。
初日の夕方、私は男性に電話をかけた。
「職場はどうですか」
すると、
「タバコの臭いがきついです」
と言う。
支店長にお願いして、
環境を良くしもらうことで解決できると思った。
二日目には、
「引継ぎのマニュアルもないんです」
と言った。
仕事を覚えながら作ればいい。
私はそう思った。
だが、話を聞くたびに不平不満が増えていった。
そして三日目。
男性は言った。
「僕、辞めます。正社員の話があるので、そちらへ行きます」
翌日から会社へ行かなくなった。
私は再び菓子折りを持って謝罪に行った。
担当者に頭を下げ続けた。
請求書も出さなかった。
辞めた男性には働いた分の給料を支払った。
けれど、その会社との取引もそこで終わった。
派遣会社は、どれだけ誠実に対応しても、
働く人の行動ひとつで信頼を失うことがある。
何年もかけて築いた取引が、わずか数日でなくなってしまう。
人を紹介する仕事とは、そういう仕事だ。
しばらくして、辞めた男性から電話があった。
「正社員になれると聞いたから働いたのに、派遣だったんです。
どこか正社員になれる会社を紹介してください」
私は返事に困った。
そして心の中で思った。
この人に仕事を紹介することは、もう二度とないだろうと。
電話を切ったあと、従弟との会話を思い出した。
「派遣会社を作ろうと思うんだけど」
私はもう一度、心の中で答えた。
派遣会社を作るのは、やめておいた方がいい。
人を扱う商売は、思っているほど簡単ではないのだから。
