いつの間にか悪者になっていた
「派遣契約はもう切るわ。君は悪くないんやけどな」
奈良の派遣先で働いていた三十歳の女性が、
困った顔でそう話してくれた。
「どうしてですか」
「私の勤めている派遣会社が、
派遣社員をそそのかして会社を訴えさせるような会社やからやそうです」
私は苦笑した。
派遣社員をけしかけて、お世話になっている取引先を訴えさせる。
そんなことをして、私に何の得があるのだろう。
だが、不思議と驚きはしなかった。
長く会社勤めをしていると、事実とは違う話が一人歩きする場面を
何度も見てきたからだ。
今回も、そんな話の一つだった。
事の始まりは、別の派遣先で働いていた若い女性だった。
ある日、彼女が務めている派遣先に様子を見に行った。
彼女は、職場の上司に恋愛感情をもたれ悩んでいるという。
私は大変なことになってはいけないと思い、
「辞めたいと思っているの?」
と尋ねた。
すると彼女は、
「いいえ。仕事は続けたいです」
と答えた。
私は会社に戻ると、すぐに派遣先の人事マネージャーに連絡した。
事情を説明し、職場全体にセクハラ防止について
注意喚起をしてほしいとお願いした。
以前にも別の会社で似たような相談があり、注意文書を配布したことで問題が収まったことがあったからだ。
その後、彼女は何事もなかったように働き続けていた。
ところが半年ほどたった頃、彼女から電話がかかってきた。
「契約更新すると言われていたのに、急に更新しないと言われたんです」
理由を尋ねると、
「私が上司を避けるようになったから気に入らなかったんだと思います」
と言う。
私は派遣先の人事担当者に連絡した。
すると、
「遅刻したのに課長へ挨拶をしなかった。
それで課長が怒って契約終了になったらしい」
という説明だった。
どちらが本当なのか私には分からなかった。
ただ一つ確かなのは、本来、契約更新の話は派遣会社を通して行うべきものだということだった。
派遣先が直接、更新するしないを本人へ伝えるのは
好ましいやり方ではない。
しばらくして彼女から再び連絡があった。
会社の相談窓口に事情を話したという。
私はできれば大事にしないでほしいと彼女に頼んだ。
問題のあった上司も、年齢的に再就職が簡単ではない。
上司を追い詰めて、遺恨が残れば彼女の為にもならないはずだ。
そんなことを考えていたある日、今度は彼女の
母親から電話がかかってきた。
母親は落ち着いた口調で、
「〇月〇日の〇時〇分に、あの会社の営業担当者に電話したら
このように言われました」
と、日時まで正確に挙げながら話し始めた。
私は瞬時に思った。
この人は、いつでも裁判ができるように記録を残している。
言葉を間違えてはいけない。
そう感じた。
さらに母親は、
「娘は精神的にとても弱っています。自殺してしまうかもしれません。
今後、本人への連絡はやめてください」
と言った。
私は「分かりました」と答えるしかなかった。
成人した娘の仕事に親が出てくる。
珍しい話だと思った。
だが後になって、彼女から母親は家を出て別の人生を歩んでいると聞いたことを思い出した。
娘に対して負い目のようなものがあったのかもしれない。
だからこそ必死だったのだろう。
その後、母親は新しいパートナーの男性とともに派遣先へ出向いた。
話し合いは穏やかには終わらなかったらしい。
感情的なやり取りもあったと聞いた。
問題はどんどん大きくなっていった。
もし私ならどうしただろう。
負けると分かっている喧嘩はしない。
腹が立っても、まず謝る。
問題を小さく収めることを考える。
私は派遣社員にも、派遣先にも、できるだけ穏便に
解決してほしいと頼み続けた。
数か月後、ようやく話はまとまった。
ところが、その後で耳にした話に私は苦笑することになる。
「派遣会社が派遣社員をそそのかして会社を訴えさせた」
という噂が広まっていたのだ。
私はむしろ反対だった。
問題を大きくしないように動いていた。
それでも話は、いつの間にかそんな形に変わっていた。
人は自分に都合のよい物語を作る。
自分を守るためかもしれない。
誰かに責任を押しつけたいからかもしれない。
理由は分からない。
ただ、一度できあがった物語は、事実よりも強い。
奈良の女性の話を聞きながら、私はそんなことを考えていた。
