【連載】うろうろ🚶パレスチナ<6> カランディアのちんぴら
37歳にして喫煙者になる前は、毎日何回もシーシャ(水タバコ)を吸っていた。知り合いの家に厄介になっている時には、こっそり抜け出してカフェへ行き、ヨルダンからパレスチナに陸路で入った時には、エルサレム行きの乗合タクシーのチケット売りからシーシャのパイプを奪い取ったりもしていた。2003年には、こんなこともあった。
東エルサレムから約15キロ北上した場所にあるラマッラ(ヨルダン川西岸地区最大の都市)に行く場合、カランディアという場所を通ることになる。そこがイスラエルによって実質的に併合されてしまっている東エルサレムと、パレスチナ自治区の事実上の境界になっているからだ。
現在カランディアには、東西に伸びる隔離壁があり、西岸地区に入るためには巨大な検問施設を通り抜けなければならない。しかし2003年当時は、隔離壁も建設途中で、検問所もトタン屋根の下に設けられた簡易施設のようだった。何より今と違うのは、西岸に向かう黄色い乗合タクシーが、壁のエルサレム側に待機していたことだ。

2003~2004年頃にはまだ未完成だった。
乗合タクシー(現地では「セルビス」と呼ばれる)は、定員いっぱいにならないと発車しない。当時も西岸地区には無数の検問所が存在し、長距離移動をする人が少なかった。そのため、セルビス乗り場で何時間も待たされることはざらだった。
そんなセルビス乗り場に、ちりちり頭で小柄な、細身の目つきの悪い中年男性がいつもいて、シーシャを吸っていた。
周囲にカフェがないため、私はタバコの禁断症状が出てきて、その男性に「シーシャをよこせよ」と言ってみた。すると案外すんなりと、しかし怪訝そうな顔をしながらパイプを差し出した。
そんなある日、このおっさんが、人だかりに向けて走っていった。セルビスのドライバー同士が、順番待ちの仕方か何かで口論をしていたようだった。おっさんは懐から小さなナイフを取り出し、大声で何かを言っている。彼が話し終えると、もめ事は収まっていた。
こんなこともあった。例のおっさんが、付近でトウモロコシやサンドイッチ、飲み物を売っている屋台を回っていた。店番が小銭を渡す。それで理解した。彼は「的屋(てきや)の元締め」のような仕事をしていたのだ。
それからカランディアに行くたびに、このおっさんにシーシャをせびった。特に話をすることもなかった。隔離壁の場所が変わったり、セルビス乗り場が変わったりするたびにおっさんは移動していたが、新しい場所でもいつもシーシャを吸っていた。
せびり始めてから一年くらい経って、さすがに申し訳なくなり、シーシャ用のタバコの大箱(20回分くらい)を「今までありがとう!」と言って渡した。おっさんは目を輝かせていた。
それからがすごかった。西岸からカランディアに到着すると、おっさんが走り寄ってきて、荷物を奪い取る。そのままエルサレム行きのセルビスまで案内し、ドライバーに話をつけて、列に並んでもいないのに車に乗せてしまう。
2004年から一年ほど、ヨルダンの首都アンマンに家族と住んでいた時には、何度も家族を西岸に連れて行っていた。その時は、家内や子どもたちに笑顔を振りまき、大きな荷物を運んでくれた。ただし「次は、いつあれをくれるんだ?」と、毎回しつこく聞いてきたが。
しかし、別れはあっけないものだった。イスラエルがガザ地区から撤退した2005年の夏ごろ、隔離壁と大型検問所が完成し、西岸地区のナンバープレートの車はカランディアの南側(エルサレム側)には来られなくなったのだ。カランディアのセルビス乗り場はなくなり、屋台も消えた。周囲には、巨大なコンクリートの壁だけが残った。


おっさんを見つけることもできなくなった。ヨルダンでアラビア語を勉強したので、なんであんな商売ができるようになったのか、もうやらないのかと聞いてみたかった。
『パレスチナのちんぴら』というドキュメンタリーも、撮ろうとしていたのに。
(写真と文/小田切拓)
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