[休職の話] 2年休んでやっと学んだこと、どんなに小さくても「できた」は「できた」
私にとっての人生の充電期間、休職。その最初のカウンセリングで言われた台詞です。言葉で聞くと簡単だけど、ちゃんと納得するまで学ぶのは結構難しい。しっかり自分のものにするまでに大分かかってしまいました。
前半少ししんどい話なので、苦しいなと思う方はスルーしてくださいね。
■私は昔から完璧主義
自分で言うのもなんですが、私はいわゆる優等生として育ってきました。
テストで100点をとるのは当たり前。
だって授業に出てきたことしか出ないはずだから。98点なんてとろうものなら残りの2点を延々と悔しがっていました。
中学、高校と公立の学校だったこともあり、成績も常にトップクラス。
褒められるよりも、いつも通りだね、おめでとう。と言われて育ちました。
■求められた仕事には120点を返すのが当たり前だと思っていた
社会人になってからも完璧主義は続きます。
求められた仕事には+αの何か価値をつけて返すのが礼儀、なんとなくそう考えていました。提出が早いとか、資料のクオリティが高いとか、なんでもいいから100点ではなく120点のお仕事を。
チームで働くのは楽しかったですし、そんな皆さんに恩返しもしたくて自分なりにひたすら頑張っていたつもりです。
新人さんのトレーナーも任せてもらって、責任ある仕事だ、しっかりやり遂げないと!と思ったのを覚えています。
■床でしか寝られず、食べられない、とにかくえずく日々
社会人4年目の春でした。ある日、突然ベッドでは寝られなくなりました。
自分でも意味がわからないのですが、床じゃないと寝られないのです。しかもすみっこ。ちっちゃく丸くならないと寝られませんでした。
睡眠時間自体もどんどん短くなっていきます。
次は食欲でした。お腹が空かない。弊社は社食です。今まで一緒に食べていた人たちに、ちょっとしばらく仕事のスケジュールの都合で時間をずらすからと嘘をつき、かろうじて小ご飯とお味噌汁を食べていました。
朝晩は殆ど食べていません。
流石にまずいと思いつつ、どうしても食べられませんでした。
そして最終的に、毎朝出勤前にえずくようになりました。
出勤前だけでなく、仕事をするための部屋に入るとえずいてしまうまで症状は進み、1人焦っていたのを覚えています。
カウンセリングボランティアさんの電話にもかけてみましたが、慰められるばかりで問題は解決せず、寧ろ酷くなっていくばかり。
最終的に会社の診療所の看護師さんに、「どういう状態になったら相談しに来てもいいですか?」と勇気を出して訊きに行きました。
■休職が決まる
看護師さんは、「そう訊くって…もう今が相談してええ時やで」と優しく迎えてくれました。
紹介された心療内科でついた診断は「適応障害」。
それから在宅勤務に切り替えてみたり業務量を減らしてみたり、上司と色々工夫しましたが改善せず、とうとう産業医からストップがかかりました。
そして紹介状をもって別の心療内科を受診。
「抑うつ状態」と診断されて、休職が決まりました。
■東京で療養を始め、プロのカウンセラーに最初に言われたこと
1人で暮らさない方がいい、と言われて、別居婚状態だった東京の夫のもとに移動しました。病院もかわって、初めてプロの臨床心理士さんのカウンセリングを受けることに。
そこで最初に言われたのが、どんな小さなことでも「できた」は「できた」でした。
■理解したように見せて全然腑に落ちていなかった
100点じゃなくても、80点は「80点取れている」し、10点だって「10点は取れている」。そちらに目を向けましょう。
カウンセラーさんの言葉に素直に頷いてみせるものの、腑には落ちていなかったのだと思います。
食欲もえずきも治らないまま、薬の種類と量だけが増えていきました。
そのうち、多分良くならないことに申し訳なくなった心が耐えられなくなったのだと思います。カウンセリング前にもえずくようになってしまいました。
お医者さんに正直に相談してカウンセリングはお休みに。
■そんな間も手帳だけは書いていた
そんな苦しい間も、何故かずっと書いていたのが手帳たちです。
特に大事にしていたのはいいこと手帳。
お布団から出られない、えずくからお風呂に入れない、ご飯も食べられない。ない、ない、ない、ばかりの毎日でしたが、なんとか無理矢理にでもひねり出して、いいこと、うれしかったこと、できたことを書いていました。
今日はお風呂に入れた、偉い!
(お風呂が苦手なのです)
みたいな。
スプーン洗えて凄い!バッチリ!
(お皿洗いが苦手なのです)
とか。
そうやって、できたことを拾い上げているうちに、私に変化が訪れます。
■ある日自然に気づいた、私にはできることもできないこともある
少し前の話です。
朝、お洗濯を回す時、「さいきんちょっと志音さん(夫は私のことをさん付けのニックネームで呼ぶので便宜的に志音さんとする)たくましくなったね、等身大の感じに戻ってきている気がする」と夫が言ってくれました。
褒められた。嬉しい。
それに対してんふんふと喜びながら、
「志音さんできることもできないこともあるからね!」と元気よく返しました。
すると夫から「優勝!今なら日本シリーズいけちゃう」と力いっぱいの拍手と返答が。
私は優勝したらしいです。
そう、私にはできないこともある。でもできないことがあるからといって、全部ができないわけじゃない。できることもあるのです。
目からぽろぽろっとうろこが落ちました。
今ちょっと大事なことのしっぽを掴んだ気がする、そう感じました。
■どんなに小さくても「できた」は「できた」
慌てていいこと手帳をめくります。
そこには、とても小さい、人からすると些細かもしれない、でも私にとっては大事な「できた」が沢山たくさん詰まっていました。
休職中、ずっとえずきがおさまらず、できなくなったことばかりを数えていましたが、沢山「できる」ようになったこともあったのです。
「できた」、あります。
カウンセラーさんの言っていた、どんなに小さくても「できた」は「できた」がやっと自分のものとして手に入った瞬間でした。
■今、振り返ってみて
とはいえ、私の生活は劇的に変化したとは言えません。
まだまだ通院中だし、お薬もいっぱい飲んでいます。
えずきも治らないままです。
でもそれが何だっていうんでしょう。
例えば今日だってnoteを書いています。
休職して外の世界とはつながりを失ったと思っていたけれど、noteに挑戦してみたら案外すぐそばにドアは開いていました。ちょっとしたコメントのやりとりでも立派な人とのコミュニケーションです。
noteで出会った人に憧れて、カメラを買って写真を撮るようになりました。
他の人が書く文章が気になって、文学フリマにもいってみました。
ご飯も工夫して、シリアルなら1人でも食べられるようになりました。
最近では、朝、ごはんとコンビニのパックお魚を食べたりもします。
どんなに小さくても「できた」は「できた」なのです。
私は今、沢山の「できた」に囲まれて1日を過ごしています。
■おわりに
このnoteは、"今年学んだこと"のコンテストに出してみようと書きました。
いつもより少しでも上手な文章を、と力んでみたけれどそれでは全然書けず、結局いつものようにお布団の中でぱしぱしとキーボードを叩いて仕上げました。
こういう時も、小さくても「できた」は「できた」なんだなと思います。
文章の上手い下手はともかく、1本noteを書き上げているのですから。
賞がとれるかどうかはおまけです。
よく書けました。
しかもどうやら記念すべき100本目のnoteです。
100本目がこのnoteでよかった。
ここまで読んでくださったあなた、どうもありがとうございました。
私の"今年の学んだこと"はこんな感じです。
