「借方」と「貸方」という不思議な日本語の由来と、明治時代の先人からの学び
「明治時代」・・・この時期は日本の国力強化のために、目まぐるしく経済環境が変化しましたが、会計の視点でも興味深い時代でもあります。
「借方=左側、 貸方=右側」
簿記を勉強始めた初学者にとって、気になる日本語の由来ですが、勉強を進めていくうちに「どーでも良くなる?」疑問点ではないでしょうか?・・・この由来は明治時代にルーツがありますが、このnoteでは明治時代での会計の発達史をざっくり解説していきます。
会計の勉強を「歴史×イラスト」で見ることで、たのしく学べる!
当記事を通して「会計はたのしい!」と感じていただければ嬉しいです。
1.借方と貸方の由来は、福沢諭吉にあった
まず当時の時代背景の説明をしましょう。明治時代の日本は「治外法権」と「関税自主権」に関して不平等条約が結ばれていた時代です。この中で、福沢諭吉は簿記に着目します。不平等条約を解消するために、憲法をつくり、民法などの法律を整備し、商取引を健全に発展させるのが課題でした。
この時代、資金を提供する主役は銀行で、決算書の主な利用者も銀行でした。他方で簿記は決算書を作成するための技術です。ですから簿記の技術は銀行、つまり資金提供者側の視点で導入された訳なんですね。
・借方の借(かり)の「り」は最後に左側にのびるので「左側」
・借方の貸(かし)の「し」は最後に右側にのびるので「右側」
上のように強引(?)に覚えるのもアリかもしれませんが、下図①のように、簿記導入の当時は「資金提供者目線の言い方」がメジャーだった・・・との考えから「借方」「貸方」を捉えるとシックリいくかもしれません。

資金提供者である銀行にとっては、貸借対照表の右側は自分たちが「お金を貸している方」なので「貸方」としました。他方で、貸借対照表の左側は「お金を借りてビジネスをする方」なので「借方」としています。
・貸借対照表の右側:銀行がお金を貸している方なので「貸方」
・貸借対照表の左側:お金を借りてビジネスをする方なので「借方」
以上、いかがでしょうか?日本史に立ち返ることで、会計も「たのしい」と思えてきたら「シメたもの」です。
次に会計とは一般的に「企業会計」をさしますが、この前提として「株式会社」について知っておくことも、あとあと便利です。
2.株式会社の関係者間の利害対立の調整のため、商法(現在の会社法)が誕生した
さっそくですがクイズです。・・・「会社はだれのものでしょうか?」
経営者のもの、従業員のもの・・・回答はいくつか考えられますが、法律上(つまり旧商法、いまの会社法)では「株主のもの」とされています。なぜなら、株式会社は株主が出資して設立し、その会社の所有権を持っているからです。よって会社が稼いだ利益は株主に帰属します。
しかし株式会社の資金調達方式は、関係者の間に利害対立の可能性を生みだすことになっています。これを調整するのが当時「商法」の役割でした。
利害対立の一つは、株主数が増加して分化が進み、経営業務に関与しない一般株主が、経営陣の業務執行の誠実性に関して不信をいだくことになりました。もう一つは、株主は出資額を上限とする「有限責任」であることから「債権者」の立場を相対的に不利なもの(例えば会社清算時に株主より債権者に優先的に分配するなど)にした結果、株主と債権者との間にも利害対立を生みだすことになりました。
これら経営者・株主・債権者の間の利害関係を調整する一つの手段が、財務会計による利害調整機能ですが、法律等でその機能を担います。明治時代、1889年の大日本帝国憲法の公布10年後に「商法」が公布・施行され、現在の「会社法」の前身が誕生しました。

ちなみに実際、日本初の株式会社は、1873年に渋沢栄一が設立した第一国立銀行(今のみずほ銀行)です。その株式会社の仕組みは、世界で見ると17世紀のオランダで誕生しています。更に言いますと株式会社では、株式を発行しますので証券取引所も当時のオランダで誕生しています。江戸時代の数少ない貿易相手国オランダというのも、何か縁を感じますよね。
コラム①:会計の日本史を学ぶ上で、まず税の歴史がおススメ!
会計学を学ぶ上で、株式会社の仕組みを学ぶのが定番。そして学習の順序として会計学を学んだあとに、税法の勉強に入る方も多いのではないでしょうか?(試験勉強的にも会計より税法の方がハードルが高いので・・・)
でも歴史的なアプローチをするには、会計の前に税法の背景を知っておいた方が、スムーズに理解できるのではと個人的に考えています。というのは税の考えというのは「当時の為政者の考えと、税の考えは切っても切り離せない」ので、税を学ぶことで歴史を学ぶ・・・そして会計の歴史につながるのではと感じています。
3.大日本帝国憲法の前に「所得税法」は、明治天皇の勅令で急遽つくられた
上図①で紹介した福沢諭吉。彼のベストセラーである『学問のすゝめ』では「今の日本が外国に及ばないところ」で、特に法律の整備が緊急課題だと警鐘を鳴らしていました。当時の税収は、1873年の地租改正を受けた「地租」や、江戸時代から引き継いだ「酒税」が主な税収。このような財政事情では、列強諸国に対抗するにも財政的に不安要素が大きかったんですね。

農業収益以外の商工業収益も増え始めていたなかで、税負担の均衡化を図る目的があり、税目も多様化していきました。しかも当時は、海軍費を中心とした国家経費の増大があって、その財源を確保する必要があったのです。
財源の確保は国家の緊急課題。そこで急遽、大日本帝国憲法ができる2年前の1887年に「所得税法」は、明治天皇からの直接の命令「勅令」でつくられました。

税法の目的として、国民に納得して受け入れてもらうという「公平な課税」に則ったものでなくてはなりませんので、併せて会計の帳簿記録で「もうけ=所得」を計算する制度が発達したのも、容易に想像ができます。
コラム②:所得税から独立した、法人税制定の当時のリアル・・・
上図③によりますと1887年に所得税ができ、実に53年の時を経て、1940年に法人税が、所得税から独立の税として制定されています。日本初の株式会社の設立は1873年。株式会社や所得税法が誕生してから、法人税の誕生まで半世紀とずいぶん間が空いています。当時は十分に発達していなかった法人を保護する考えがあったため、所得税と一緒にされていたようです。このように会計の世界も、時系列で整理するといろんな発見がある好事例です。
4.財務会計の3つの法律による「まとめ」
以上、上図②で利害調整を目的とした「会社法」、上図③で課税の公平を目的とした「法人税法」の誕生の背景について見てきました。いかがだったでしょうか?
今の日本の会計実務において、さらに投資家保護を目的とした「金融商品取引法」を加えた「3つの法律」を遵守することによって、会計実務が回っています。会計の「トライアングル体制」とも言われています。

これら各法律は目的が違うため、対象会社や規定内容も異なる・・・というのもポイントです。会計を規定する法律は決して一つだけではなく、これらの法律を考慮したうえで、会計実務をしているのが、現状の姿です。
5.最後におまけ・・・日露戦争で相続税誕生!
会計のテーマから少しズレるので「おまけ」までに、相続税の歴史も紹介します。上図③をご覧になっても、所得税が誕生した1887年から、法人税が誕生した1940年まで53年の期間が空いていますが、この間の1905年に相続税が制定されています。
この時には、明治時代の先人たちの活躍のおかげで、日本も遂に列強諸国と肩を並べるようになり、1904年に遂に日露戦争が勃発します。
繰り返しますが、税の考えというのは「当時の為政者の考えと、税の考えは切っても切り離せない」ので、当時も戦費調達の手段として相続税が設定されています。・・・しかし戦争に勝利したものの、ロシアから賠償金を得られず財政状況のひっ迫が続き、戦争が終わっても相続税は無くならず、今日まで存続する税目になりました。

そこで最後に一句詠みます!・・・「相続税 今日も相続 存続税」・・・💦
会計をテーマにしたnoteですが、今回は日本における、税の歴史にも少し触れてみました。このnoteがきっかけとなり「会計がたのしくわかる!」ようになれば、執筆者として望外の喜びです。自称ですが『日本一たのしい会計の授業』のつもりで、このnoteを執筆しましたので。
<以上となります。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。>


