エターナルライフ第22話 バタフライ効果 康輔
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性的な表現が含まれています
ホテルのすぐ側のマーケットで買ってきたワインとチーズ。若い頃に気に入って飲んでいた同じ銘柄のワインを購入した。
ブラジルワインはかつての宗主国ポルトガル人が製法を持ち込んで始まったもので、既に四百年以上の歴史がある。世界的なネームバリューは無いが、それなりに味わい深いものがある。
バスローブを羽織って髪をアップにした彼女が浴室から出てきた。素敵だ。
「先にやってたよ」
「飲み過ぎじゃ無いの。大丈夫?」
「君は飲まない?」
彼女は小さなテーブルの向こうにある椅子に腰掛けて脚を組んだ。可愛らしい膝小僧が露わになった。
「じゃあ、少しだけ」
「ちょっと残念なグラスだけどこれしか無い」
俺は部屋に備え付けのタンブラーにワインを注ぎながら言った。
「君にお礼を言わなければいけない」
「何?」
「俺は人生の目的も目標も見失っていた。革命の夢に破れて、もう俺にはこの世界に存在している価値など無いと思っていたんだ。サンドラの元で病院のスタッフをしている時にはまだ自分が何かの役に立っている実感があったけど、日本に帰ってきて、ひとりになると何もできなかった。でも、まだ俺にもできることはある。さっきタクシーの中で君の言葉を聞いて、そう思えた」
「ひとりの闇を照らすって言ったこと?」
「そう、地道なことが大事なんだ。目の前のひとりの闇を照らすことができなくて、世界の闇を照れせる訳がない」
彼女は黙ってグラスに口を付けた。
「バタフライ効果って知ってる?」
「聞いたこと無い」
「ここブラジルで蝶が羽ばたくと、遠く離れたテキサスで竜巻が発生することがあるというんだ。物事はすべて複雑な関係性の中で生起している。その様々な相互依存性の中では、そのようなことが可能性として存在するということなんだ」
「良くわからない」
「だからさ、俺たちが誰かひとりの闇を照らすことで、それがいつか大きな流れになっていく可能性もあるってことさ」
「それならわかる」
彼女は微笑んでグラスのワインを飲み干す。俺は頃合い良く柔らかくなってきたカンボゾーラをナイフで切って彼女に差し出した。
「ごめんなさい。私、青カビのチーズは苦手なの」
「このチーズはまろやかで食べやすい。このワインに良く合う。騙されたと思って食べてごらん」
彼女は恐る恐るそのチーズを口に運んだ。
「あ、本当だ。美味しい」
「だろ、ワインと一緒に味わってみて」
俺は彼女のグラスにワインを注ぎ、薄く切ったチーズが張り付いているナイフごと彼女に渡した。
「うん。これは…。絶妙なハーモニー」
「味わい深いだろ」
「これこそ複雑な関係性の中で生起する相乗効果だわ。私にも理解できた」
彼女は笑いながら指についたチーズをしゃぶった。
「私もね、お礼を言いたいの」
「何?」
「何にも解らない私をずっとサポートしてブラジルまで連れてきてくれたこと。私、言葉もわからないし、渡航の制度とか何も知らなくて。あなたがいなければ何もできない」
「初めてなんだから当然さ」
「あと、私、頭悪いから、あなたが言う難しいことが良くわからない時があるの。もっと真面目に勉強しておけば良かった。軽蔑しないでね」
「君は頭悪くなんか無いよ。本質を見定める鋭い感性を持っている」
「そうかなあ」
「君が俺を変えてくれたんだ。俺は今まで自分の人生を見限っていた。余命宣告を受けて、それをジタバタせずに受け入れるのが男の美学のように思っていたんだ」
「それが運命だと?」
「そう、不戦敗を決め込んでた。戦う前に戦うことを放棄していたんだ。でも、君と出会えて変わった。ジタバタしてみる気になったんだ」
「一緒に戦うわ!」
「ありがとう」
彼女は席を立ち、俺の膝の上に横座りになると両手を俺の首に回してキスをした。そしてグラスのワインを口に含んで俺に飲ませた。ワインがこぼれて俺のバスローブを赤く染めた。
「生きて。私のために」
彼女は素肌の上にバスローブをまとっているだけだった。
はだけた胸元から覗く形のいい乳房に口づけする。
内腿を這い上がる指が行き着いた先は既に熱く熟れていた。
空港で借りた四駆のJeepは快適に高速道路を飛ばしている。高速を降りた後の道路事情が、かつて俺が暮らしていた時と変わっていないことを考えて下した車種選択だった。
日本に帰っても車を持たず、めったに乗らなかったので、左ハンドルの車で右側を走った方がしっくりくる。
一時間ほど高速を走って一般道に降りる。腹が減ってきたので適当なドライブインに入って昼食を取ることにする。ちょうど昼時とあって店内は満席、テラスに席を取る。暑くて埃っぽいがしょうがない。
簡単な食事を終えて美里はトイレに立ち、俺は雑誌を広げていた。
油断していた。座っている椅子の背にかけた小さなショルダーバッグをひったくられた。とっさに手で押さえた。そこにはホセの母親に届ける髪留めが入っていた。
「待て、金はやる。その中に大事なものが…」
まだ十二、三の子供だ。泣き出しそうな顔でポケットから銃を出した。
乾いた銃声が響いて俺は椅子から崩れ落ちた。
抜けるような夏空に、白い雲がゆっくり流れていた。
