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エターナルライフ第5話 再会 美里

どんなお礼をしたらいいのだろう。命を助けてもらって、その上、発熱した自分を懸命に介抱してくれたあの人に。
何度も冷たいタオルを額にあててくれたことや、上半身を抱えて水を飲ませてくれたことは朦朧とした記憶の中に刻まれている。
貸してくれたパジャマも寝汗で汚したまま、洗濯もせずに置いてきてしまった。ただ、熱にまみれた汚い自分を、これ以上あの人の目に晒したくなくて、逃げるように帰ってきたのだ。
一週間悩んだ末、やはり現金という結論を出して電車に乗り込んだ。職のない私が、わずかの蓄えの中から切り崩した二十万円。それが命を助けてもらった対価に釣り合うとも思えなかったが、私としては精一杯の誠意だった。

最寄りの駅からタクシーに乗る。彼の家には電話がないので、アポの取りようがない。もし留守だったらどうしよう。仕事で外出することとか、あるのだろうか。そもそもどんな仕事をしているのだろう。あの人のことは何も知らないのだ。
もし留守だったら駅まで引き返そうと思い、運転手さんに待っていてもらうようにお願いしてタクシーを降りた。
帽子を被ってドアを叩いた。すっぴんの、さえない私を可愛いって言ってくれた、あの帽子。何度か叩いても応答がなく、諦めて出直そうと思ったところに釣り竿を下げたあの人が帰ってきた。
百九十センチに届くかと思われる偉丈夫、ウェーブのかかった少し長めの髪、白いものが混じった濃い髭。眼鏡の奥の優しそうな目を細めて彼は言った。
「やあ。いらっしゃい」
「こんにちは。先日のお礼に参りました」
私は緊張していた。
「あの、すいません。突然来てしまって。お忙しいようでしたら直ぐに帰ります」
「忙しくなんかないさ。昼飯まだだったら一緒に食おう」

岩魚がたくさん捕れたそうで、庭でバーベキューをしてくれた。近所の農家に分けてもらったという野菜や卵。新鮮な食材がこんなにも美味しいものとは思わなかった。スーパーで売っているものとは全然違う。
ビールで乾杯してワインに移って、いい気持ちになって来た頃、彼は私のことを教えてほしいと言った。

中学一年の時に両親を事故で亡くし、おばあちゃんに育てられたこと。高校を中退した後に大検を取って、専門学校でデザインを勉強したこと。大事に育ててくれたおばあちゃんは五年前に亡くなり、先月唯一の家族だった猫も死んでしまったこと。人間関係のもつれから(男のことは黙っておいた)会社を辞めて、天涯孤独であること。かつて両親との旅を再現するひとり旅で、先日の事故にあってしまったこと。
私は人見知りする質で、親しくない人との会話が得意ではない。でも何故か昔から知っている人のような感じがして、自然にその懐にスーッと入っていけた。気がつくと、饒舌に自分のことを語っていた。

「失礼だけど、歳を聞いてもいい?」
「はい。二十五歳です」
「そうか、二十五か」
彼は遠くを見ながら何か考えていた。
「お母さんのお名前はなんていうの?」
「美和です」
「旧姓は?」
「旧姓は遠野。遠野美和ですけど、何か?」
「いや、何でもないんだ」
彼はそれきり、黙ってしまった。

さっきまで穏やかに晴れていたのに、急に冷たい風が吹き、雲行きが怪しくなってきた。
「これは一雨来るかも知れんな。片付けよう」
急いで食材や食器を部屋の中に運び込んでいるうちに大粒の雨が降り出した。私は部屋に入っているように言われたけど、そんなことはできない。片付けを終える頃には、私たちはずぶ濡れになってしまった。
「君はよくびしょ濡れになる子だな。着替えた方がいい。また風邪をひいてしまうぞ」
彼は前に買ってくれた服が置いてある棚を指さしながら言った。私はお礼を言いながら、その大きな紙袋を持って浴室に通じる脱衣所に入った。
袋の中にはジーンズにカットソー、下着まで入っている。男の人ひとりで良くこんなものまで買えたものだわ。何故かブラのサイズもぴったりだ。君の命を守るためだなんて言っていたけど、しっかり観察していたのかな。

彼がシャワーから戻ると、窓の外からバラバラと激しい音が響いてきた。
窓辺に立って外を見ながら彼が言った。
「雹だ。山の天気はわからないんだよ」
「ずっと降り続くのでしょうか?」
「どうだろうね。夜には止むと思うけど」
まだ四時過ぎだというのにうす暗くなってきた。強い風に木々が激しく揺れている。
嵐の中に建つこの家の、ふたりきりのこの部屋には、何か巣ごもりのような親密さが漂った。

「もし予定が無いのなら、今日は泊まっていったら? 君も知ってるとおり、ここには電話が無いからタクシーを呼ぶにも公衆電話まで歩かないといけない」
「すいません。ご迷惑ばかり…」
私は鞄から用意した封筒を差し出した。
「これ、受け取っていただけますか」
「いらんよ」
「いえ、本当に恥ずかしいほどの金額なんですけど、私の気持ちです」
「いらんて。君を助けたのはね、俺がそうしたかったからだ。貸した電車賃だけ返してもらおう。あとはしまいなさい」
そんな予感もしていたけど、やっぱり受け取ってくれなかった。

「そうだ。泊まりと決まったからには飲み直すか。君は結構飲めそうだな」
彼は新しいワインを開けて持ってきた。ラベルを見るとチリのワインだ。
「チリのワインはね。安くていいものが多いんだよ。つまみは……、昼飯の残りでいいよな」
「チリワインって初めていただきます。お詳しいんですね。ワインに」
「いや、昔住んでいたことがあってね」
「チリにですか?」
「そう、若いときに」
今度は黒田さんのことを教えてくださいって聞いてみた。
年は五十四歳で家族はいない。今は無職で、昔稼いだお金を切り崩して暮らしている。昔はどんな仕事をしていたのか聞くと、それは秘密だって教えてくれなかった。
いつの間にか雨は止んで、遠くの山の端から大きな月が昇ってきた。
彼は仕事で中南米を転々としてきたこと、その国々の文化や国民性などを面白おかしく語ってくれた。

「明日は早く起きて、山を案内しよう」
「はい。私、ソファーで寝ますから」
「いいんだ。君はベッドを使いなさい」
「いえ、だめです」
「いいって。慣れちゃったんだよ、ソファーに。その方が寝やすくて、あれからずっとソファーで寝てるんだ」
嘘だとは思ったけど、甘えさせていただいた。ベッドに潜ると、なんだか懐かしい匂いがした。お父さんの匂いだ。
部屋の明かりを消すと、カーテンの掛かっていない大きな窓の向こうにガーデンライトに照らされた野の花が揺れていた。

急な嵐のおかげで黒田さんと一緒の時間を過ごすことができた。お天気に感謝。
職を辞めて以降、誰とも言葉を交わさない日も珍しくなかった。他人ひととこんなにおしゃべりが出来たのは本当に久しぶりだ。でもまた明日からひとりきりの部屋に戻らなきゃいけない。

多くの人が行き交う街を歩いていても、誰も私に感心を寄せない。誰も私の存在に気づいてくれない。雑踏の中で、まるで自分が透明人間になったような、そんな孤立感。
また明日からそんな日常に戻らないと……。


エターナルライフ第6話 再会 康輔


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