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映画 「ショーシャンクの空に」 - 完璧なまでの反省会


脱獄囚の二人

「牢獄の秋」になって映画ブームが到来した。
極寒の冬、世間体の春、猛暑の夏。そして心が過去に囚われる、黄昏れの秋——今のオレにとって、一年は常に牢獄だ。

心地よい秋の獄中生活を送るオレはハロウィンシーズンということもあって「パーフェクト・ワールド」と「ショーシャンクの空に」という、脱獄者が主役の映画を観た。

どっちも秋に合う1990年代の作品で特にパーフェクトワールドはハロウィンシーズンが舞台となっている。90年代といえば皮肉にも世界がネット社会へ"入獄"する前の最後の世代だ。

両作とも思い入れのある作品で、ろくでなし親父の元で育った脱獄囚ブッチ(ケビン・コスナー)が主役のパーフェクトワールドは、父によく殴られた身として当時から共感出来たし、大人になってからは別の視点で共感出来るようになった。

ショーシャンクの方は昔は単に「いい話だ」的な感想だったけど、過去を後悔する中年になってから感情移入出来るようになった。

囚人と父親の複雑な関係

牢獄から「完璧な世界」へ脱獄したブッチは、ろくでなし親父を恨みながらも、アラスカで隠居する父から送られた絵ハガキを大事に持っていた。「一度訪ねて来い。そしてお互いをよく知ろう」的に短く書かれたハガキを読んで「短いが優しい」と感想を言うブッチ。

どんな毒親でも、子供は親を信じようとする。愛情を得ようとする。殴られても「自分がいけないんだ」と感じる。ほんの少しでも優しい一面を知っている場合は尚さらのこと。

親に虐待やネグレクトと愛情を同時に受けた子供の一部はその後、境界性パーソナリティ障害などの心の病理に悩まされる。オレも長い間そういうことに苦しんできた。

大人になって親と絶縁した人も多いけど、それでも心のどこかで親を慕ったり同情したり信じようとしたりするする部分が残ってる人は多いだろう。

パーフェクトワールドのそういう描写に惹かれた。

完璧な世界を求めて

副署長(?)「この世は完璧だ。すぐに捕まるさ」
犯罪心理学者サリー 『完璧ならこんな事件起こる?』

という会話も印象的で、これも歳をとった今になって考えさせられるようになった。

副署長はただの冗談で言ったけど、最近オレは「この世界は幸福も、不幸や不平等も全部含めて"完璧"なんだろうか?」という、古今東西で議論される哲学的な質疑応答をすることが多い。

少し前にオレはそういう哲学とAIブームをミックスさせて「人間の良い面も悪い面も全て模倣したAIだけが生きている世界」を描いた本とミュージック・ビデオを制作したが、それも一つの不器用な答えでしかない。

悲劇で終わる映画も多いが、それが物語を完璧にすることもある。

魂の"仮"釈放

舞台をショーシャンク刑務所に移そう。中年になってこの映画に惹かれた点は、無実の主人公アンディやその活躍ではなく、主人公の囚人仲間のレッド(準主役。モーガン・フリーマン)の存在だった。

レッドは若い頃に殺人を犯した囚人で、一度も仮釈放が許可されなかった。服役40年目の面接では悟りと投げやりの表情で:

「罪を犯したその日から、後悔しない日などない。当時の自分と話したいがそれは無理だ。彼は死に、この老いぼれが生き残った。更生?そんなのは社会が用意した都合のいい言葉だ。さっさと出所不可の判を押せ。正直、仮釈放などどうでもいい。」

と答えた。それを見てオレは「更生」について考えさせられた。

オレもたくさんの罪を犯してきたし、何度か警察の世話になったこともある。それを後悔して反省してるけど、それでもちょっとしたことで苛立ったり欲望に支配される。更生したとは言い難い。

同じように「過去に後悔しながらも更生出来ない自分がいる」という、ロシアの文豪ドストエフスキーがよく描いた人物は多いだろうし、それこそが人生を映画や小説以上に文学的で詩的なものにしてると思うし、人生なんて入獄と釈放の繰り返しだと思う。

「悟り」つまり「完全な釈放」をゴールとする宗教観はよく見られるけど、それはもはや人生をやめることに等しいとさえ思うようになってきた。

更生と聞くと、罪を犯した"一人の"人間が、一人の良い人間に生まれ変わるというニュアンスがある。そこに違和感がある。

実際には人間はもっと複雑で、一人の人間の中に複数の自我が生きている。過去のレッドにも良心はあったし、今のレッドにもダメな面はある。

罪を犯すとハリーポッターのラスボス、ヴォルデモートのように魂が分裂する。人はたくさんの罪を犯す。その分だけ分裂した魂が全て一度に更生労働大臣に認められるというのは都合のいいマニフェストのように感じる。

「罪が消える」的なニュアンスも違和感があった。罪が消えることはない。だから多くの人間が諦めてしまう。「更生するか否か」と一元的に考えるとなおさら諦めざるを得なくなる。

だからオレは自分が更生したとは思わないし、悟りを開こうとも思わない。今のオレに出来ること、それはこれ以上記事を長くしないこと、そしてnoteに対して「さっさと落選の判を押せ。オレはもうコンペ企画なんてどうでもいい」と述べることだけだ。

御意


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